避難指示が解除されてしばらく経ちました
太平洋を望む小高い丘の上に村上城跡が有ります
本丸跡には貴布根神社が在って参道は南側から
崖を登るような道になっています
城跡としての登城口は北側かなと
北側から丘に上がることにしました
城跡を南側から見ました、登城口は北側のようです
西側を回って北側の道路を進みます
東日本大震災の津波被害地に松の苗木が育てられています
ここが登城口のようです
木段に手すりが有ります
平にされている部分は郭の跡でしょうか
右に曲がるように上がって行きます
岡の上に出ます
祠に石塔・石造が並んでいます
手水舎です
丘の北側に貴布根神社の社殿です
南側に続く参道の西側には、古四王社の社殿です
説明版です
南相馬市指定文化財第4号
村上城跡
1、指定年月日 昭和41年3月31日
2、種類 史跡
3、所在地 小高区村上字舘腰舘内地内
4、説明
慶長元年(1596)相馬藩主第16代
義 は、東に蒼海を望み西に湖沼をめぐら
す、四願一望、最も要害の地と定め、十塁
を築き濠をめぐらしまさに殿舎を建てよう
とした前日、火事が起きて山積みした材木
がたちまち灰になってしまったと伝えられ
る。義 はこれを不吉として、牛越に城を
築いて慶長2年、小高城から移った。当時
の築城様式を後世に伝える重要な史跡であ
る。旧本丸跡には貴布根神社・古四王社な
どが祭られている。海岸の浸食により、城
跡と推定される一部は海に没している。
震災の被害です、鳥居が倒れてしまっています
貴布根神社の石塔は立っています
丘の上は広い草地(刈払いがされていました)です
東端です、戻りましょう
車で東端へ向かいます
城跡の東端です、太平洋の荒波に崖が崩れています
北側に続く海岸線です
大きな防潮堤が築かれています
では、次へ行きましょう
太平洋を望む小高い丘の上に村上城跡が有ります
本丸跡には貴布根神社が在って参道は南側から
崖を登るような道になっています
城跡としての登城口は北側かなと
北側から丘に上がることにしました
城跡を南側から見ました、登城口は北側のようです
西側を回って北側の道路を進みます
東日本大震災の津波被害地に松の苗木が育てられています
ここが登城口のようです
木段に手すりが有ります
平にされている部分は郭の跡でしょうか
右に曲がるように上がって行きます
岡の上に出ます
祠に石塔・石造が並んでいます
手水舎です
丘の北側に貴布根神社の社殿です
南側に続く参道の西側には、古四王社の社殿です
説明版です
南相馬市指定文化財第4号
村上城跡
1、指定年月日 昭和41年3月31日
2、種類 史跡
3、所在地 小高区村上字舘腰舘内地内
4、説明
慶長元年(1596)相馬藩主第16代
義 は、東に蒼海を望み西に湖沼をめぐら
す、四願一望、最も要害の地と定め、十塁
を築き濠をめぐらしまさに殿舎を建てよう
とした前日、火事が起きて山積みした材木
がたちまち灰になってしまったと伝えられ
る。義 はこれを不吉として、牛越に城を
築いて慶長2年、小高城から移った。当時
の築城様式を後世に伝える重要な史跡であ
る。旧本丸跡には貴布根神社・古四王社な
どが祭られている。海岸の浸食により、城
跡と推定される一部は海に没している。
震災の被害です、鳥居が倒れてしまっています
貴布根神社の石塔は立っています
丘の上は広い草地(刈払いがされていました)です
東端です、戻りましょう
車で東端へ向かいます
城跡の東端です、太平洋の荒波に崖が崩れています
北側に続く海岸線です
大きな防潮堤が築かれています
では、次へ行きましょう