箟岳神楽岡地区は、涌谷町役場の東北東約6kmのところ
涌谷町役場前から県道155号線を東へ、間も無く県道173号線となって江合川を涌谷大橋で左岸へ渡ります
道成りに約1km進むと国道346号線と合流する信号を鋭角に南東へ
約500mで涌谷高等学校グラウンド先を崑峯寺の案内板に従い左(北東)へ、直ぐに右にカーブしてまた左(北東)へ
ここからは山道を登って行きます、約4,5km道成りに進みます
崑岳山(ののだけやま)・崑峯寺(こんぽうじ)駐車場の案内板を通り越して進むと
山門(仁王門)下の駐車場に入りました
説明版です
崑峯寺
崑峯寺とは、観音堂・白山社などを中心として古くは24坊からなる一山寺院(総称)である。
山頂にある観音堂は、征夷大将軍坂上田村麻呂がこの地において蝦夷を討ったとき敵味方の戦死者を葬り、京都清水寺の十一面観音を勧請、僧延鎮を以って開山し、大同2(807)年に建てたものと伝えられる。
この山は非常に霧が深いところから法相宗霧岳山正福寺と称した。その後、嘉祥2(849)年、天台宗総本山比叡山延暦寺の第3世慈覚大師(円仁)がこの地に来たとき堂宇を増建、無夷山崑峯寺と改称。以来、殺生禁断・女人禁制の聖地、また奥州鎮護の祈願所として南北朝時代には葛西・大崎の両氏、江戸時代には仙台伊達氏の外護を受けた。
観音堂は2度焼失し、現在のものは嘉永4(1851)年に再建されたものである。
崑岳観音は奥州三観音のひとつ、奥州33霊場第9番札所として知られる。
白山祭(県無形民俗文化財)
観音堂に向かって右に、白山神事で有名な白山神社がある。坂上田村麻呂将軍より先に蝦夷追悼の命を受け、この地に来た大伴駿河麻呂が宝亀元(770)年に建立したと伝えられる。
白山信仰は、もともと山岳信仰で、これに天台密教が結びつき作神様として当地方の信仰の中心となっている。
白山神事は神仏習合の考えにより一山の僧によって執り行われる。この様に特定の人が神を祭る方法を宮座式といい、正月行事を中心として古式に則り数百年にわたって引継がれていることは全国的にも珍しく昭和57年3月宮城県無形民俗文化財に指定された。
平成3年12月 涌谷町教育委員会・観光協会・崑峯寺
参道石段を上りましょう
仁王門です
阿形像です
吽形像です、どちらも可愛いですね
日本遺産説明版です
みちのくGOLD浪漫
ー黄金の国ジパング、産金はじまりの地をたどるー
崑峯寺
奈良時代、日本初の金の産出によって「神仏の加護を受けた聖なる山」と位置付けられた崑岳山は、平安時代になると山岳信仰と結びつき「みちのくに安泰をもたらす聖地」と認識されるようになりました。その頂きに建つ一山寺院「崑峯寺」は、創建から1250年を経た今も「殺生禁断」の聖地としてまもり続けており、地域信仰の拠点となっています。崑峯寺は、産金で名を馳せた山が聖地化する中で、地域の安定を願う信仰の対象へと昇華したことを示す好例です。
本堂観音堂へ行きましょう
手水鉢です
境内西側には地蔵菩薩様です
寛保3年(1743)建立。台座には「念仏供養 奉造立地蔵尊一躯・・」とあり、そのあと崑峯寺一山の坊名、僧名が連名している。
この地蔵様は昔から先祖(水子含)供養の地蔵さまとして厚く信仰をあつめている。又一方、頭痛持ちの方が願掛けすると楽になるといわれている、有難い地蔵さまである。
本堂観音堂です
本堂観音堂の説明版です
本尊十一面観世音菩薩の説明版です
境内東側に白山神社です
鐘楼です
では、境内北側の木々(大スギ群)を見て行きましょう
2023年4月4日午後2時10分訪問です
涌谷町役場前から県道155号線を東へ、間も無く県道173号線となって江合川を涌谷大橋で左岸へ渡ります
道成りに約1km進むと国道346号線と合流する信号を鋭角に南東へ
約500mで涌谷高等学校グラウンド先を崑峯寺の案内板に従い左(北東)へ、直ぐに右にカーブしてまた左(北東)へ
ここからは山道を登って行きます、約4,5km道成りに進みます
崑岳山(ののだけやま)・崑峯寺(こんぽうじ)駐車場の案内板を通り越して進むと
山門(仁王門)下の駐車場に入りました
説明版です
崑峯寺
崑峯寺とは、観音堂・白山社などを中心として古くは24坊からなる一山寺院(総称)である。
山頂にある観音堂は、征夷大将軍坂上田村麻呂がこの地において蝦夷を討ったとき敵味方の戦死者を葬り、京都清水寺の十一面観音を勧請、僧延鎮を以って開山し、大同2(807)年に建てたものと伝えられる。
この山は非常に霧が深いところから法相宗霧岳山正福寺と称した。その後、嘉祥2(849)年、天台宗総本山比叡山延暦寺の第3世慈覚大師(円仁)がこの地に来たとき堂宇を増建、無夷山崑峯寺と改称。以来、殺生禁断・女人禁制の聖地、また奥州鎮護の祈願所として南北朝時代には葛西・大崎の両氏、江戸時代には仙台伊達氏の外護を受けた。
観音堂は2度焼失し、現在のものは嘉永4(1851)年に再建されたものである。
崑岳観音は奥州三観音のひとつ、奥州33霊場第9番札所として知られる。
白山祭(県無形民俗文化財)
観音堂に向かって右に、白山神事で有名な白山神社がある。坂上田村麻呂将軍より先に蝦夷追悼の命を受け、この地に来た大伴駿河麻呂が宝亀元(770)年に建立したと伝えられる。
白山信仰は、もともと山岳信仰で、これに天台密教が結びつき作神様として当地方の信仰の中心となっている。
白山神事は神仏習合の考えにより一山の僧によって執り行われる。この様に特定の人が神を祭る方法を宮座式といい、正月行事を中心として古式に則り数百年にわたって引継がれていることは全国的にも珍しく昭和57年3月宮城県無形民俗文化財に指定された。
平成3年12月 涌谷町教育委員会・観光協会・崑峯寺
参道石段を上りましょう
仁王門です
阿形像です
吽形像です、どちらも可愛いですね
日本遺産説明版です
みちのくGOLD浪漫
ー黄金の国ジパング、産金はじまりの地をたどるー
崑峯寺
奈良時代、日本初の金の産出によって「神仏の加護を受けた聖なる山」と位置付けられた崑岳山は、平安時代になると山岳信仰と結びつき「みちのくに安泰をもたらす聖地」と認識されるようになりました。その頂きに建つ一山寺院「崑峯寺」は、創建から1250年を経た今も「殺生禁断」の聖地としてまもり続けており、地域信仰の拠点となっています。崑峯寺は、産金で名を馳せた山が聖地化する中で、地域の安定を願う信仰の対象へと昇華したことを示す好例です。
本堂観音堂へ行きましょう
手水鉢です
境内西側には地蔵菩薩様です
寛保3年(1743)建立。台座には「念仏供養 奉造立地蔵尊一躯・・」とあり、そのあと崑峯寺一山の坊名、僧名が連名している。
この地蔵様は昔から先祖(水子含)供養の地蔵さまとして厚く信仰をあつめている。又一方、頭痛持ちの方が願掛けすると楽になるといわれている、有難い地蔵さまである。
本堂観音堂です
本堂観音堂の説明版です
本尊十一面観世音菩薩の説明版です
境内東側に白山神社です
鐘楼です
では、境内北側の木々(大スギ群)を見て行きましょう
2023年4月4日午後2時10分訪問です
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます