2018年2月3・4日の投稿で紹介させて頂いた花園神社へ行って来ました
華川町花園地区は、北茨城市役所の北西約14kmのところ
北茨城市役所の南側の道路を西へ進みます、役1.4kmで丁字路信号を右(北西)へ、県道69号北茨城インター線です
約1.6kmの下相田信号からは県道10号日立いわき線となって進みます
約2.2kmの華川小学校西信号からは、県道153号水沼磯原線となって道路幅が狭くなりますので注意です
約5kmで右手に水沼ダムのダム湖を見るようになりますが、道路脇からの土砂崩れの跡が二か所ありました
更に約2kmで県道27号塙大津港線に変わります、日陰の道路には圧雪が現われます
約2.2kmで花園川の橋を右岸に渡て直ぐに花園神社の案内板です、左(西)へ入ります、花園神社までは約1kmです
神社の約300m手前の左手に市営駐車場が有ります、地区の案内図です
ここに車を止めて歩いて行きましょう(神社参道入口先約200mにも駐車場が有りますが雪が積もっていました)
右手に赤い橋が見えて来ます
参道の橋を渡ります
左手に社號標です
社號標の後ろ側に杉の巨木が並びます
北側から見てみました、左のスギ(目通り幹囲:目測で約6m)は根元で合体融合しています
参道右手側にもスギの巨木が並びます、真ん中のスギがコブ杉です
参道石段を上がりましょう
手水舎です
北側から参道側の大杉(目通り幹囲:目測で約6m)です
北側からコブ杉です、大きな丸いコブが出来ています
説明版です
こぶ杉
天に向かって真直ぐに聳え立つ「こぶ」のある御神木
大物主大神の御神徳により「もの」を産む信仰のある古杉。
子を授かった母の腹部の様に育ち撫でて、子宝・安産・夫婦円満・開運・心願成就の御利益があると親しまれています。
楼門形式の仁王門の山門です
説明版です
楼門
木造銅版葺二階建権現造
(現存の楼門は寛政4年(1792年)建替)
平城天皇の御代大同2年(807年)4月、花園山と号づけ勅願が掲げられ、明治初期までは花園山王大権現と称えられた。
石像仁王
左は寛文13年(1673年)弁高寄進
右は宝暦12年(1762年)鈴木権衛門寄進
*寄進者2名の情報はネットを調べても見つかりませんでした
石段の上に拝殿が見えます
拝殿です
説明版です
拝殿 祭典・祈祷・拝礼するための社殿
例祭日 5月5日
木造銅版葺権現造(現在の拝殿は、嘉永4年(1851年)建替)
創始は桓武天皇の御代、延暦14年(795年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が勅定により奥州へ下向の折、霊夢により導かれ創建したと伝えられる。
神の使いが神猿(まさる)のことから屋根には正面・東・西を猿面が護る。
拝殿西側の神楽殿前には、古い御札等が集められています
拝殿面の東側の池の中には厳島神社です
厳島神社前にもスギの巨木です
本殿へ行きましょう
拝殿後面から急な石段を上がると
本殿です
説明版です
本殿 神様がご鎮座されている社殿
御祭神 大山咋大神(おおやまくいのおおかみ)
大山祇大神(おおやまずみのおおかみ)
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
木造銅版葺権現造 (現存の本殿は天保3年(1832年)建替)
神の使いが神猿(まさる)のことから、見ざる・聞かざる・言わざる彫刻があり、屋根には正面を猿面・東西を鬼面が護る。
*(本殿周辺の詳しい内容は2018年2月4日のこのブログを確認いただければと思います)
本殿東側の境内社は「東照宮」です
長く成ってしまいましたので、続きにさせて頂きます
華川町花園地区は、北茨城市役所の北西約14kmのところ
北茨城市役所の南側の道路を西へ進みます、役1.4kmで丁字路信号を右(北西)へ、県道69号北茨城インター線です
約1.6kmの下相田信号からは県道10号日立いわき線となって進みます
約2.2kmの華川小学校西信号からは、県道153号水沼磯原線となって道路幅が狭くなりますので注意です
約5kmで右手に水沼ダムのダム湖を見るようになりますが、道路脇からの土砂崩れの跡が二か所ありました
更に約2kmで県道27号塙大津港線に変わります、日陰の道路には圧雪が現われます
約2.2kmで花園川の橋を右岸に渡て直ぐに花園神社の案内板です、左(西)へ入ります、花園神社までは約1kmです
神社の約300m手前の左手に市営駐車場が有ります、地区の案内図です
ここに車を止めて歩いて行きましょう(神社参道入口先約200mにも駐車場が有りますが雪が積もっていました)
右手に赤い橋が見えて来ます
参道の橋を渡ります
左手に社號標です
社號標の後ろ側に杉の巨木が並びます
北側から見てみました、左のスギ(目通り幹囲:目測で約6m)は根元で合体融合しています
参道右手側にもスギの巨木が並びます、真ん中のスギがコブ杉です
参道石段を上がりましょう
手水舎です
北側から参道側の大杉(目通り幹囲:目測で約6m)です
北側からコブ杉です、大きな丸いコブが出来ています
説明版です
こぶ杉
天に向かって真直ぐに聳え立つ「こぶ」のある御神木
大物主大神の御神徳により「もの」を産む信仰のある古杉。
子を授かった母の腹部の様に育ち撫でて、子宝・安産・夫婦円満・開運・心願成就の御利益があると親しまれています。
楼門形式の仁王門の山門です
説明版です
楼門
木造銅版葺二階建権現造
(現存の楼門は寛政4年(1792年)建替)
平城天皇の御代大同2年(807年)4月、花園山と号づけ勅願が掲げられ、明治初期までは花園山王大権現と称えられた。
石像仁王
左は寛文13年(1673年)弁高寄進
右は宝暦12年(1762年)鈴木権衛門寄進
*寄進者2名の情報はネットを調べても見つかりませんでした
石段の上に拝殿が見えます
拝殿です
説明版です
拝殿 祭典・祈祷・拝礼するための社殿
例祭日 5月5日
木造銅版葺権現造(現在の拝殿は、嘉永4年(1851年)建替)
創始は桓武天皇の御代、延暦14年(795年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が勅定により奥州へ下向の折、霊夢により導かれ創建したと伝えられる。
神の使いが神猿(まさる)のことから屋根には正面・東・西を猿面が護る。
拝殿西側の神楽殿前には、古い御札等が集められています
拝殿面の東側の池の中には厳島神社です
厳島神社前にもスギの巨木です
本殿へ行きましょう
拝殿後面から急な石段を上がると
本殿です
説明版です
本殿 神様がご鎮座されている社殿
御祭神 大山咋大神(おおやまくいのおおかみ)
大山祇大神(おおやまずみのおおかみ)
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
木造銅版葺権現造 (現存の本殿は天保3年(1832年)建替)
神の使いが神猿(まさる)のことから、見ざる・聞かざる・言わざる彫刻があり、屋根には正面を猿面・東西を鬼面が護る。
*(本殿周辺の詳しい内容は2018年2月4日のこのブログを確認いただければと思います)
本殿東側の境内社は「東照宮」です
長く成ってしまいましたので、続きにさせて頂きます
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