ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

三重県桑名市、江場「円通寺のイチョウ」です!!

2025-02-13 18:57:20 | 巨樹・大木
 ここからは2025年1月25日取材分です

 江場地区は、桑名市役所の南東約1kmのところ

 桑名市役所南側の道路を東に出て信号を右(南)へ、国道1号線です

 約300mの「浅川}信号を左(東南東)へ、県道401号桑名四日市線です

 約700mの「萱町」信号を右(南南西)へ、県道613号福島城南線です

 約200mで右手に、東南東向きの境内入口です

 境内に車を止めさせて頂きました

 「浄土真宗 本願寺派 法城山 圓通寺」寺号標です

 側面に由緒文です
   由緒
 当寺開基敬園元亀3年の創建なり、和国俗性は藤原氏出羽国治義企左衛門慰公請  佐藤
 六右エ門尉秀勝と云う。織田信長公に属し之に付日  に北勢の  江場村に衣住す。    
 一人息男佐藤杢之助秀道跡を嗣に 左流7月 或時信長和 たりて
 らる秀道の代り濃州力屋に退去す、同3年再び江湯村に帰り出家して一寺を潟墓せし羽奮寺をと
 天祥12年正月18日息男教 血脈相意して親住まで15代視集す  七代目
 寺転派せりし までは願證寺末寺なり。寺の南向池の中に 山跡の記  を残す。・・・??読めませんでした

 *初代佐藤 清信(さとう きよのぶ、生年不詳 - 永禄6年(1563年))は、戦国時代の武将。秀信(異本佐藤系図)、方信、正秋とも。通称六左衛門尉、将監。初代美濃国鉈尾山城主。子女に佐藤秀方、遠藤慶胤室。
 『美濃明細記』により考察すると、佐藤氏は一族として美濃国の守護代斎藤氏に仕え、上有知の支配者浅野氏が領地を返上した永正年間以降にその地を与えられて、天文年間に鉈尾山城を築いた。
 永禄6年(1563年)には保寧寺(後に清泰寺に改号)を建立し、上有知八幡神社も建立したと伝わる。同年に死去したとされるが、常在寺記録によれば、元亀元年7月27日(1570年8月28日)没ともいう]。墓所は清泰寺。
 *二代佐藤 秀方(さとう ひでかた)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。読みは、ひでまさとも伝わる。佐藤清信の子。美濃国鉈尾山城主。
 
 *江場城は北伊勢四十八家のひとつ、佐藤杢之助秀勝の居城として知られています。秀勝は織田信長に従っていましたが、1570年(元亀元年)に追放されると、城も焼かれました。現在城址は宅地化により遺構は残っていませんが、「城山跡」と書かれた石碑が建てられています。なお近くにある法城山円通寺は秀勝の子の佐藤秀道(釈敦円)が1572年(元亀3年)に開基した寺院です。 

 境内に入ると左手に鐘楼です

 本堂前に目的のイチョウです

 本堂です

 親鸞聖人像です

 南南東側から、樹高30m、目通り幹囲5.7mの巨木です

 乳柱(気根)が見られます

 南南西側から

 東北東側から見ました

 では、次へ行きましょう



 2025・1・25・7・00


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 三重県桑名市、太夫「南大山... | トップ |  三重県四日市市、京町「橋北... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

巨樹・大木」カテゴリの最新記事