ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

愛知県弥富市、前ケ須町小前ケ須「須盞之男社のイチョウ」です!!

2025-02-07 18:42:54 | 巨樹・大木
 弥富市は愛知県西端の市です、木曽川が県境になっていて、木曽川の直ぐ西側は三重県桑名市です、桑名市がわに成りますが、木曽川と長良川の中州状のところは「輪中」といって、大きな堤防に囲まれた低地です。

 前ケ須町小前ケ須地区は、弥富市役所の南約500mのところ

 弥富市役所南東側の「弥富市役所前」信号を西南西へ、約400mの「前ヶ須新田」信号を左(東)へ、県道104号線です

 間も無く左手(北側)に幹の途中で切られた大きなイチョウの幹が目に入ります

 須盞之男社が南向きに鎮座します

 道路南側の山車倉庫前に参拝者用駐車場が有りますので利用させて頂きました

 「須盞之男社」の社號標です、写真の上の部分が切れてしまいました

 西側から、切られた幹の上には鉄の輪が付けられています

 離れて見ました

 南側から、幹はボロボロ、枝は丸刈りにされていますが、黄色の葉が残っています

 東側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

 境内に入って北東側から

 拝殿です
 
 *素盞之男社の創建は、平安時代初期と伝えられています。当時は、前ケ須村の鎮守社として祀られていました。その後、江戸時代には、素盞之男社は、五穀豊穣や厄除けの神様として、広く信仰されるようになりました。
 *素盞之男社のご利益は、五穀豊穣や厄除けです。素盞之男命は、日本神話に登場する神様で、ヤマタノオロチを退治した英雄として知られています。また、素盞之男命は、農業や漁業、航海の神様としても信仰されています。

 社殿東側の境内社は「尾張天満宮」です

 尾張天満宮の裏側(北側)にもイチョウの大木です

 見上げてみると、切られてしまった枝の跡から緑色の芽が吹き出しています

 本殿です

 では、次へ行きましょう




 2025・1・24・12・50
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愛知県東海市、荒尾町仏供田「観音寺の大樟」(市指定)です!!

2025-02-07 06:41:48 | 巨樹・大木
 荒尾町仏供田地区は、東海市役所の北約2kmのところ

 東海市役所を西へ出て「東海市役所前」信号を右(北北東)へ、名和養父線です

 約1.5kmの「二本木」信号を左(北西)へ

 約200mの変形十字路の交差点に観音寺の参道が西側から出ています

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 「細井平洲先生遺跡 新四国八十六番霊場 潮音閣 觀音寺」の寺号標です

 坂道を上っていくと大きな樹冠が見えます

 お地蔵様です

 南側から目的のクスノキを見上げました

 南西側から

 根元にはユキツバキです

 椿の説明版です
   師弟椿(ユキツバキ)
 細井平洲先生は69歳のとき、米沢藩主であった上杉鷹山公の招きによって米沢(出羽国、現在の山形県)を訪れました。
 そのとき、出迎え場所であった米沢関根・普門院の境内に椿を植えられ、今も青々と育っています。
 この椿は、普門院の故高橋有長ご住職が持参された枝を、荒尾町の坂野夫婦が挿し木して育てたものです。
 平洲先生と鷹山公の功績を末永く後世に伝えるため、ここに「師弟椿」を植樹するものです。
          東海市教育委員会

 参道石段を上ります

 右手に手水舎です
 
 その北側に鐘楼です

 観音寺の説明版です
   平洲の歴史を感じる散策路
      観音寺
   観音寺と細井平洲
 伊勢湾に面する丘陵の上にあり、古くから風光明媚な名勝地として有名でした。
 江戸時代に描かれ、尾張国中の名所を紹介した尾張名所図会にも描かれていいます。
 細井平洲が幼少時代に通った寺子屋が観音寺で、義観和尚と出会ったことは、後に平洲が名古屋へ出て学び、学者を志すきっかけとなる重要な出来事でした。
 境内には平洲が登って遊んだといわれる松の木もありましたが、空襲で燃えてしまい、現在はその子孫の松が植えられています。
 毎年8月10日の夜半には提灯まつりが行われ、沢山の提灯を灯した竹が献灯されます。
 お参りの後には、無病息災を願って提灯が奪い合うようにして取られていきます。
   観音寺文化財
     種観音立像(市指定文化財)
 鎌倉時代の作とされ、市内に残る仏像では古い段階に位置づけられています。
   如来山
 観音寺の南側、加家の切り通しを挟んだ南側にはかつて如来山という山がありました。
 現在は削られて低くなっていますが、伊勢湾を見下ろす風光明媚な場所でした。
 平洲は幼いころから如来山で遊び、学者として大成してからも「如来山人」という号を名乗るほど愛していました。
             東海市教育委員会
 左の小さな説明版には
   観音寺
 郷土の偉人細井平洲先生は、8歳(享保20年・1735年)から10歳(元文2年・1737年)にかけて、この寺子屋の義観和尚について教えを受けました。

 北東側から

 北側から、根元から大きな幹と小さな幹に分れています

 文化財説明版です
   観音寺  
    市指定文化財第7号(彫刻)
     聖観音立像
 ひのきの一本造り、像高 171cm、鎌倉時代の作。
 宝冠、瓔珞は江戸時代の作。
    市指定文化財15号(天然記念物)
     大樟
 高さ 約23m、幹回り 約10m、枝張り 南北約31m、東西約30m。
 根元に白竜照玉だいみょうじん)が祭られる。
     東海市教育委員会    東海市文化財標示板第8号

 保存樹標識です 

 北西側から見上げました


 観音寺観音堂です

 東側には本四国八十八霊場の「御砂踏」です

 境内西端にはは、三代目となる「草紙掛け松」です
 昔、平洲が寺子屋にいたとき、寺僧が松の下に通りかかると、頭上の枝に平洲がまたがって遊んでいた。
 そのとき、「これ、頭の上に足をたらすとは無礼だぞ」としかった。
 すると平洲は、「足ばかりじゃないぞ。今に学問だって、先生なんかに負けないよ」と、やり返したという。
 そういった逸話のある松の三代目、当所の松は空襲で燃えてしまった。
           東海市平洲会

 では、次へ来ましょう





 2025・1・24・11・00
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