ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

三重県四日市市、市場町「大樹寺のシイノキ(スダジイ)」(市巨木・名木)です!!

2025-02-12 18:35:40 | 巨樹・大木
 市場町は、四日市市役所の北西約12kmのところ

 四日市市役所西側の「諏訪栄町」信号を北北東へ、国道1号線です

 約900mの三滝川を渡った「四日市橋北詰」信号を左(西)へ、三滝川の左岸土手上の四日市関ケ原線(途中から県道365線)を進みます

 道成に約9.4kmの新名神高速道路高架下の「新小牧橋北詰」信号を左(北西)へ、下野保々線です

 約1.3kmで右(北東)へ、土手道から道成りに約200mの横断歩道のある一時停止十字路を右(南東)へ

 間も無く左手に南西向きに「大樹寺」の山門です

 山門前の道路脇に車を止めさせて頂きました


 「奉安善光寺御分身三尊佛」 の標柱です

 説明版です
   保福山 大樹禅寺 由緒
 当山は、臨済宗妙心寺派に属し、桃源禅師の開山に係り七堂伽藍を有する北伊勢に於ける一大修養道場で、且つもろもろの信者の中心であり近郷に散在する禅寺の宗家である禅寺で、従来七百余年を経て今日に至ったのであるが、途中天正年間織田信長の北勢平呑に際し、長島桑名両城攻略戦の砌、其の武将滝川一益の攻撃を受け、僧兵必死の防戦にも拘らず焼き打ちの災に会いし、全く灰燼の悲運を甘受するの外なかったのである。
 面して従後暫くは、敗所に茅屋を構え布教に、専念しつつありたる処、信者の心からなる寄進に依り現在の堂宇を建立いたし、以来約300年を経て今日に至ったのである。

 *山門は通行止めでしたので東側の通路から境内へ入らせて頂きました

 境内東側に鐘楼です

 本堂です

 本堂北西側に目的の「スダジイ」です

 西南側から

 説明版です
   大樹寺のシイノキ(ブナ科スダジイ)
 四日市市巨木・名木一覧表の一本です。
 大樹寺はかつて七堂伽藍を備えた禅寺でありましたが、天正年間織田勢の滝川一益の焼き討ちにより焼失しました。
 後に信者の寄進で堂宇が再建され現在に至っています。
 このシイノキは本堂再建時植栽されたものと思われ、幹回り7m、樹高20m、樹齢は400年とも云われています。
 シイノキの果実は食用、材は建築・器具、樹皮は染料、椎茸栽培等古くから人間との関わりの深い有用な木です。
 保々の田んぼで刈り取った藁を使って、皆で作ったしめ縄を、今もなお凛として佇むこのシイノキに飾り付けました。
 保々の宝の一つとして育て、見守り、語り継ぎたいと思います。
       平成29年3月  保々の自然に親しむ会・保々の歴史を語る会・保々地区弐千年会
                保々地区連合自治会・保々地区市民センター

 南側から

 東側から

 北東側から見上げました

 では、次へ行きましょう



 2025・1・24・15・55
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三重県いなべ市、大安町石榑南「演暢寺のイヌマキ」です!!

2025-02-12 06:51:34 | 巨樹・大木
 大安町石榑南地区は、いなべ市役所の南約8km、いなべ市役所大安支所の西北西約4kmのところです

 いなべ市役所大安支所を北東側に出て、丁字路を左(西北西)へ

 道成に約3.8kmで東向きの「演暢寺」前に出ます

 道路と参道の間の駐車場に入りました

 駐車場の北側に「演暢寺」参道です

 山門です

 「浄土真宗 本願寺派 石山 演暢寺」寺号標です

 山門を潜ると右手に手水舎です

 正面に本堂です

*演暢寺は、かつて「円長(えんちょう)寺」といいましたが、文化8年(1811)に改称したとされる。
 文政11年(1828)に火災にあって全焼し、天保3年(1832)に再建されています。

 左手に目的の「イヌマキ」です

 北東側から

 北北西側から、樹高約13.5m・目通り幹囲4.4m・推定樹齢200年の大木です

 本堂前から

 西側から

 西南西側から見ました

 *イヌマキは古い時代から、庭木や生垣として植栽され、病虫害に強く土壌環境を選ばず、風害に強く成長が遅いので剪定などの管理が少ない特長がある。

 では、次へ行きましょう




 2025・1・24・15・25
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