脇本富永梅ノ沢地区は、おがし役所の北東約6kmのところ
県道59号男鹿半島線を東へ、国道101号線との五差路信号を越えて坂道を上って峠を越えます
JR男鹿線の線路沿いを進み、右カーブの先で(北)へ、踏切を越えて道成りに進むと
「八英の梅」の案内板に従って左へ入ります
墓地のところを左(西)へ入ると
「菅江真澄の道 八英の梅」の標柱です
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
道路わきに小さな梅の木が三本立っています
真ん中の梅の木は根の周りに板が敷かれています
梅の木の奥には石碑が建っています
説明版です
菅江真澄の道
文化元年(1804)8月21日
真澄は岩倉の岡で八英の梅をみて歌を詠む。
岩倉という岡に、八英の梅という年を経た一本の樹がある。
毎年3月のころは、野も山も谷もおしなべて、このかぐわしい匂いに包まれ、風にのって広がるという。これと同種の梅が越後の国蒲原郡の児島村にあった(新潟県蒲原郡京が瀬村児島の海護寺、親鸞の旧跡、真澄は天明4年(1784)にこの地を訪れたと思われる)
*現:新潟県阿賀野市小島の梅護寺に「親鸞聖人八房梅」が今もあります。このブログの2016/6/13「梅護寺の八房梅と数珠掛桜」でも紹介させていただきました。
また仙台の伊達政宗が朝鮮に渡って戦い(豊臣秀吉の朝鮮征伐)、加藤清正、小西行長におとらない多くの戦功をたてた。その帰還にさいして故郷への土産に朝鮮の松と梅をとってこられ、松島寺(瑞巌寺)に植えた。そして「まつしまの松の齢もこの寺の末栄なん年はふるとも」とよまれた。その松のかたわらに八英の梅がいまもなおあった。そのころであったか、後水尾帝がお聞きになって、これに「花香樹」の名を賜ったと伝えられている。
八英の梅は越後の国と陸奥の国の二本だけが有名で、他のところにあると聞いたことがなかったが、この岩倉の岡のあたりに、このように年を経た大木があるとは思いがけないことであった。
ここが安東友季の時代、大平城(脇本城)の栄えていたころの従者の人々がいた跡であろうと、人が語った。
梅のもとにたちってあおぎ見ると、下葉の葉は色づいている。眺めると木が二、三本生いたつ下方に、武御雷命を祀る祠があった。
たて植えて 八の花英春はさぞ 秋はもみじの 色を見すらん
「男鹿市天然記念物 八英の梅 平成28年3月15日指定」
*説明版のスケッチには大きな梅の木が確認できますが、現在の梅は何代目なのでしょうか
(下側の案内板)
八英の梅 (男鹿市指定天然記念物)
「八英の梅」は、和名はザロンバイ、「座論梅」「八房の梅」とも言われ、八重咲の淡紅色の花を咲かせます。
一花に子房が数個あり、果実が複数個つきます。東北でも数が少なくまた植物学的に貴重なものです。
菅江真澄の紀行文「男鹿の秋風」〔文化元年(1804)〕にも描かれた梅の後継樹として、大切に守られています。
(平成28年3月15日 指定)男鹿市教育委員会
では、次へ行きましょう
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JR男鹿線の線路沿いを進み、右カーブの先で(北)へ、踏切を越えて道成りに進むと
「八英の梅」の案内板に従って左へ入ります
墓地のところを左(西)へ入ると
「菅江真澄の道 八英の梅」の標柱です
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
道路わきに小さな梅の木が三本立っています
真ん中の梅の木は根の周りに板が敷かれています
梅の木の奥には石碑が建っています
説明版です
菅江真澄の道
文化元年(1804)8月21日
真澄は岩倉の岡で八英の梅をみて歌を詠む。
岩倉という岡に、八英の梅という年を経た一本の樹がある。
毎年3月のころは、野も山も谷もおしなべて、このかぐわしい匂いに包まれ、風にのって広がるという。これと同種の梅が越後の国蒲原郡の児島村にあった(新潟県蒲原郡京が瀬村児島の海護寺、親鸞の旧跡、真澄は天明4年(1784)にこの地を訪れたと思われる)
*現:新潟県阿賀野市小島の梅護寺に「親鸞聖人八房梅」が今もあります。このブログの2016/6/13「梅護寺の八房梅と数珠掛桜」でも紹介させていただきました。
また仙台の伊達政宗が朝鮮に渡って戦い(豊臣秀吉の朝鮮征伐)、加藤清正、小西行長におとらない多くの戦功をたてた。その帰還にさいして故郷への土産に朝鮮の松と梅をとってこられ、松島寺(瑞巌寺)に植えた。そして「まつしまの松の齢もこの寺の末栄なん年はふるとも」とよまれた。その松のかたわらに八英の梅がいまもなおあった。そのころであったか、後水尾帝がお聞きになって、これに「花香樹」の名を賜ったと伝えられている。
八英の梅は越後の国と陸奥の国の二本だけが有名で、他のところにあると聞いたことがなかったが、この岩倉の岡のあたりに、このように年を経た大木があるとは思いがけないことであった。
ここが安東友季の時代、大平城(脇本城)の栄えていたころの従者の人々がいた跡であろうと、人が語った。
梅のもとにたちってあおぎ見ると、下葉の葉は色づいている。眺めると木が二、三本生いたつ下方に、武御雷命を祀る祠があった。
たて植えて 八の花英春はさぞ 秋はもみじの 色を見すらん
「男鹿市天然記念物 八英の梅 平成28年3月15日指定」
*説明版のスケッチには大きな梅の木が確認できますが、現在の梅は何代目なのでしょうか
(下側の案内板)
八英の梅 (男鹿市指定天然記念物)
「八英の梅」は、和名はザロンバイ、「座論梅」「八房の梅」とも言われ、八重咲の淡紅色の花を咲かせます。
一花に子房が数個あり、果実が複数個つきます。東北でも数が少なくまた植物学的に貴重なものです。
菅江真澄の紀行文「男鹿の秋風」〔文化元年(1804)〕にも描かれた梅の後継樹として、大切に守られています。
(平成28年3月15日 指定)男鹿市教育委員会
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