ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県日立市、鹿島神社の駒つなぎのイチョウです!!

2017-04-05 05:57:59 | 巨樹・大木
鹿島神社は、日立市市役所の南南西約5kmのところ

国道6号線の諏訪五差路を西に入った台地の上に在ります

神社の社務所西側に駐車スペースがあります




参道入り口です

郷社 鹿島神社です

拝殿前の石段です

左手の境内端に目的のイチョウが在ります

手水舎です

拝殿です

本殿です

頑丈そうな御神輿庫です

境内社の交通神社です






他にも沢山の境内社が有ります

境内南端のイチョウの巨木です

茨城県指定文化財 天然記念物 駒つなぎのイチョウの標柱です

説明版です
    駒つなぎのイチョウ
      このイチョウは昭和44年12月1日付で、茨城県指定文化財天然記念物第48号で指定され
     ております。
      駒つなぎのイチョウといわれる理由は、坂上田村麻呂が、奥州蝦夷を成伐に行くときこの鹿島
     神社に戦勝を祈願し、その際このイチョウの木に駒をつないだという伝説からの名称です。
      イチョウは雌雄別株になっています、このイチョウは雄株で実は付けません。
      幹周りは5,5m、樹高約20mあり、樹齢は推定550年といわれております。
                              日立市教育委員会

西側から

南西側の道路から見上げました


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茨城県日立市、十王町伊師愛宕神社のスダジイです!!

2017-04-04 06:29:55 | 巨樹・大木
十王町伊師地区は、日立市役所の北北東約9kmのところ

国道6号線が、小石川を渡る手前を西に入った台地の上に

愛宕神社が在ります、鳥居前の道路脇に車を置かせて頂きました





参道入り口鳥居です

村社 愛宕神社です

手水舎です

杉の大木の並ぶ参道石段を上がります

参道で一番太い杉ですが、巨木と呼ぶほどではありません

拝殿です

本殿です

愛宕神社由来の石碑です
   愛宕神社の祭神は軻遇突智命である、軻遇突智命は伊邪那岐尊・伊邪那美尊の間に生まれた
    命であり、火を掌る神として尊崇されている。
     その総本宮は、京都愛宕山といわれ、元亀3年(1572)別当宝鏡院の租法印海高が愛宕
    山の 霊のご尊像を奉持し来たりて友部の御澤小屋に遷座したと言う。
     霊験真に顕著なるものり、時の山尾城主小野崎義昌城内に奉奉りしが、天正元年(1573
    )夏此の地に長者山を選定し天正4年(1576) 4月24日遷宮の式を行い、伊師町及び
    本郷伊師浜の鎮守に定む、後に伊師町の鎮守として現在に至る火伏信仰の霊場として参拝者も
    多く、旧暦1月24日の例祭日には終日遠近を問わず講中及び参詣者で賑わいを呈している。







本殿の周りには境内社が並びます

目的の、スダジイの巨木は境内北の端にあります

東側から

日立市指定天然記念物 愛宕神社境内「椎」の標柱です

説明版です
   愛宕神社境内「椎」
      日立市指定天然記念物(昭和57年5月25日指定)
     愛宕神社の境内にある、いわゆる「鎮守の杜」の一部をなすこのシイは、種名をスダジイ
    といい、ブナ科の常緑高木です。樹勢よく、幹の太さは5,8m、樹高は25mあります。
    樹齢はおよそ400年と推定されています。
     スダジイはツブラジイの変種で、福島県以南の特に海岸付近見られ、うっそうとした大木
    に生育します。材はシイタケ栽培の原木などに利用されて、種子は食用になります。
     このシイの東側には水戸から岩沼(宮城県岩沼市)に至る江戸時代の岩城相馬街道(明治
    時代に改称され陸前浜街道の一部となる)が通っていますので、行き交う旅人を見つめてつ
    づけてきた大木ということがいえるでしょう。
                      日立市教育委員会

西側から見ました

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茨城県日立市、十王町友部艫神社の大杉です!!

2017-04-03 02:32:37 | 巨樹・大木
艫神社は、JR常磐線じゅうおう駅の直ぐ南側に在ります

県道297号線の西側台地の端です

周りは、すっかり住宅地化してしまっています

直ぐ駅寄りに駐車スペースが有ります



参道入り口です

艫神社です

石段左手の社務所脇に由緒の石碑があります
   艫神社由緒
     治承元年9月19日、山崎田中郷国井浜(現在の川尻町国井)に不明の一船が漂着し、
    艫に一像を安置してあったという。浜の住人達これを収めて、時の櫛形城主矢田部山道
    吉憲に献じたところ「これは鹿島の神の乗りし船」と称して城内に安置し、艫之大明神
    武運長久の守護神とたたえ、同年11月19日船見山(現在地)に遷宮し、領内の総鎮
    守とした。
     後、元禄6年9月16日、徳川光圀公、神体を鏡と替え社領6石7斗4升、山林2町
    3反を封して厚く尊敬した。
    明治40年7月19日(代343号)共進指定村社。昭和7年10月6日宗教法人設立
       昭和60年11月吉日        前宮司  中村文雄撰文
                         現宮司  中村昭良謹書

手水舎です

石段手前右手に天神様です

石段を上がると直ぐ拝殿です

本殿です

社殿造営事業の石碑です

石段の左手に大杉が在ります、注連縄を巻かれた御神木です

拝殿前から

拝殿横(北側)から見上げました、目通り幹周り5,5mの巨木です

南西側から

神楽殿と境内社です

西側から

もう一本、石段の右手天神様の脇に杉の大木が在りますが、幹は途中で折れ焦げ跡が有ります、雷が落ちたのでしょうか




境内社です

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茨城県高萩市、安良川八幡宮の爺杉(国指定天然記念物)です!!

2017-04-03 01:38:26 | 巨樹・大木
安良川八幡宮は、高萩市役所西側の台地の上にあります

国道461号線を西側へ進んで坂道の途中から折り返すように

坂道を上ると、大鳥居の前に出ました、中学校の直ぐ隣です

鳥居の脇に駐車スペースがあります




八幡宮参道の大鳥居です

総鎮守八幡宮です


高萩の観光10選 安良川八幡宮の森です

参道には樹齢200年を越える大木が並びます

間もなく拝殿前の鳥居が見えて来ます

参道左側に一際大きい杉が在ります、合体木のようですが、目通り幹周り5,0mの巨木です、でも目的の杉ではありません

拝殿前鳥居です

手水舎です

拝殿です

本殿です

境内社の天満宮です

建築の石碑が有ります、由緒書きです
      当社は、人皇65代花山天皇の御宇藤原左京太夫が勅宣を蒙り寬和元年(985年)男山八幡宮
     (京都石清水八幡宮)祭神誉田別尊(応神天皇)、日女大神、神功皇后(息長帯比賣命)の御分霊
     を移し奉り当国松原郷(高萩市安良川)に勧進したもので日立以北(旧多賀郡)唯一の県社にて、
     又、当地方の総鎮守として人々の心の拠り所となり、それぞれの時代に重要な役割を果たし、繁栄
     祈願所として崇敬され現在に至っております。
      現本殿は元禄年間に建てられたもので、近年老朽化が目立っていた為、平成の大造営として本殿
     復元、幣殿拝殿の改築を計画。
      平成15年7月19日仮遷座祭、平成16年4月7日地鎮祭、同年9月7日立柱祭、同年10月
     30日上棟祭、平成17年2月15日幣、拝殿地鎮祭、平成18年3月23日遷座祭、同年12月
     竣工。

本殿裏西側に爺杉です

説明版です
   国指定文化財 天然記念物
     安良川の爺スギ
      大正13年12月9日指定
      所在地 高萩市大字安良川1180番地
     このスギは樹高約40、0m、幹周り10,0mで、県内で最大級のスギとされている。
     樹齢は約1000年で、本殿の北西部に所在する。この巨木のほかに、境内全体にわたっ
     て70~80年生のスギやヒノキがあり、立派な神社林をなしている。
       平成3年3月
                              高萩市教育委員会

西側から

北西側から、幹の下部に大きな傷が有ります

東側から見上げました、目通り幹周り10,0mの巨木です

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福島県いわき市、上平窪のシイノキ群です!!

2017-04-02 10:46:19 | 巨樹・大木
上平窪地区は、いわき市役所の北約4kmのところ

国道399号線を北へ進みます

国道が北側の山間地に登って行く途中から左手の住宅地の中を進むと

旧利安寺跡の大日堂の入り口が有ります

標柱前の駐車スペースっを利用させて頂きました

寺の跡には民家があり、大日堂は庭の南端に在ります

シイノキ群は、墓地を取り巻くように在ります



旧利安寺の参道入り口です

福島県指定天然記念物 上平窪のシイノキ群の標柱です

参道を進むと大日堂が有ります、後ろ側にシイの巨木が立います

説明版があります
   福島県指定天然記念物
     上平窪のシイノキ群
         昭和28年10月1日指定
        所在地 いわき市上平窪字横山
        所有者 いわき市
      シイノキは暖地い生えるブナ科の常緑高木です。
      当地は旧利安寺の境内で、その外周に巨樹7本がうっそうと茂っている。
      南側の東(御堂の後ろ)にあるものは、目通り幹周り5,0m、樹高約15,0m、
     その西にあるものは同幹周り5,0m、北側の西にあるものは同幹周り6,0mで、樹
     は二つに分かれ、樹高は18,0m、その他の小さいものでも幹周りは2,0mにおよ
     ぶ。
      シイノキは、本県と宮城県の海岸部が自生の北限であるが、いわき地区以外には、こ
     のような巨樹をみることはまれである。
      なお、この旧利安寺には、明暦年間に小川堤を開いた沢村勝為の墓があり、付近には
     横山台古墳群などの遺跡もある。
                             福島県教育委員会
では、説明版にある順序で見てみましょう


南側東にある幹周り5,0mのシイノキです

北側から観ました


南側西にある幹周り5,0mのシイノキです

北東がわから見ました


北側西の幹周り6,0mの一番太いシイノキです

南から見ました

御堂わきから見ました

北の端の目通り幹周り約2,0mのシイノキです

沢村勝為の墓です

説明版です
   記
      磐城小川江筋は、江戸時代初期、磐城平藩主内藤侯の治世下(せいさくのもと)に開削されたもので
     あり、工事は寛永10年(1633)頃に始められ、寛文5年(1665)に完成したと伝えられてい
     る。
      本水路は、いわき市小川町関場地内に於いて夏井川から大堰により取水し、北部丘陵地帯を山麓(山
     のふもと)に流下し、仁井田川に達する延長約30kmの農業用水路である。
      地域は、小川町関場地区から平窪・神谷・草野・四倉町北部までの受益面積945ヘクタール、夏井
     川左岸地域をうるおしている、また、本水路を共用していわき市上水に一部利用されている。
      藩主内藤忠典侯の命を受け開削に当たった郡奉行澤村勘兵衛公は、慶長18年(1613)現在の千
     葉県君津市佐貫町に生まれ、幼名を直勝と言った、後で郡奉行になった兄重勝氏とともに平才槌小路に
     居を賜ったといわれている。澤村勘兵衛公が普請奉行につかれたのは寛永10年(1633)、また、
     郡奉行になられたのは寛永18年(1641)9月5日、澤村侯29歳の秋である。
      伝承によると、当時いわき地方が干ばつ(日照り)にみまわれ、農民が大変困っていた、澤村公が藩
     命を受け、被害の様子を調べての帰り、泉崎の光明寺の住職歓順法師を訪ねて会談して
      「名には似ぬ泉崎にて水に飢え、実らぬ村の寺の淋しさ」
     と、一句詠む、かねてより澤村公の人となりを尊敬していた法師は次の一句を返して、川筋の開削を進  
     言した。
      「稲のめ、江水ひかれよ関場より、用うる水は、山のふもとを」
      奉行である澤村公は知行高・役高合わせて500石、そのうち300石を費用に充てることを申し出
     て藩主の許可を得、工事に着手した。当時は今のような測量機械が無かったために、夜提灯を灯して高
     低を調べ、漏水箇所には菰(藁で編んだ物)を敷き、その上に粘土を塗り、隧道を掘ったときに岩場か
     ら蛇の大群に遭っては、蛇塚を築き利安寺を建立して僧を招き経をとなえ、その後正保2年(1645
     )には大日堂を建てて本尊に大日如来を勧進(迎え入れる)して工事の完成っを祈った。澤村公は昼夜
     の別なく懸命に工事を進め下流まで水を通した。然るに「田の見直し測量が悪かった」「許可なく寺を
     建て寄付をした」などのざん言(事実っを曲げ偽り目上の人に悪く言うこと)が理由で追放の身となり
     、遂に明暦元年(1655)7月14日、大館の西岳寺(現在大宝寺)に於いて自刃された、享年43
     歳であった。
      墓地は地元民によって整えられ、その後、明治27年(1894)に修復された、現在の墓は大正2
     年(1913)平窪村村長松崎松治の上申によって、小川江筋普通水利組合管理者青沼鉾太郎郡長時代
     に改修されたものである、その後澤村公の功績が認められ大正4年(1915)10月1日、従五位が
     追贈されたのである。
      江戸時代初期から澤村公の霊を慰めるため、地域の農民達によって「じゃんがら念仏おどり」が始め
     られた、これが「磐城じゃんがら念仏」の始まりとされている。
                                         合掌
         福島県いわき農林事務所   前所長 小山正雄撰
         いわき小川江筋沿革史より記す
                      理事長 中根久守
       平成19年7月
         水土里ネット磐城小川江筋
           福島県いわき市平鎌田字小山下39番地
             磐城小川江筋土地改良区



治水の石碑です

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千葉県銚子市、猿田神社です!!

2017-04-01 08:47:04 | 文化財・寺社
猿田神社は、銚子市役所の西約9kmのところ

JR総武本線さるだ駅の西側、県道71号線の北側の台地上にあります

県道沿いに、猿田神社参拝者用の駐車場がたくさん有ります

又、裏参道側にも広い駐車場が有ります


県道側の参道入り口鳥居です

石段がJR総武本線を跨ぐようになっていて、更に上に続きます

ちょうど総武本線の電車が通過して行きます

こちらが、さるだ駅です

千葉県指定天然記念物 猿田神社の森の石碑です

説明版です
   猿田神社の森郷土環境保全地域
      指定 昭和59年
      面積 1,7ヘクタール
     この森は銚子地域における希少なスダジイの極相林として貴重です。
     本殿の南斜面には、高木層にはスダジイ、亜高木層にヤマボウシ、アカガシ、
     ヤブニッケイなどが育成し、東側斜面には高木層にはスダジイ、タカオカエデ
     タブノキなどが育成しています。
     郷土記念物の本殿(有形文化財)は天正二年(1574)に再建され、延宝8
     年(1680)に改修されたもので三間社流造であり、内陣中央に猿田彦大神
     が祀られています。
                       千葉県環境部環境保護課

航空写真付の説明版です


手水舎です

神輿殿です

拝殿です

本殿です

本殿説明版です
   千葉県指定有形文化財
     猿田神社本殿 一棟附棟札一枚
       所在地 銚子市猿田町1677番地 猿田神社
           昭和30年12月15日指定
      猿田神社は、社伝によると平安時代初期の大同2年(807)社殿が建立され
     猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)、天細女命(あめのうずめのみこと)、菊
     理姫命(くくりひめのみこと)を祀っている。
      この本殿は、正面三間、側面二間の三間社流造りで、檜皮葺の屋根の棟に千木
     勝男木を置き、正面に唐破風の向拝がつけれれている。周囲には、高欄つきの縁
     をめぐらし、正面三間に両開き桟唐戸を用い、両側面と背後に狐格子をはめてい
     る。
      本殿内部は、一間通りを外陣とし、後部一間通りは外陣より一段高くして内陣
     とし、三基の宮殿を安置している。また天井、側壁の彩色画や向拝・虹梁・持送
     り・手挟等の籠彫りには、豪壮で華麗な桃山時代の特色がよくあらわされている。
     そして、蟇股に表現されている十二支の彫刻は、方位盤に基づいて社殿に刻まれ
     ている。
      今の本殿は、棟札によれば、延宝8年(1680)の建立である。
        平成21年3月24日        銚子市教育委員会    

神輿殿の南側に力石があります、大きい方が180kgだそうです

力石の奥には、御神水を汲む施設が設けられています


周りには境内社が祀られています

猿田小学校発祥の地の石碑です、小学校が出来た当初は寺や神社の建物が利用されていたところは多いようです

こちらは、神輿殿右側の境内社です

では、裏参道に出て、猿田彦大神の降臨の地へ行きましょう

案内図を確認します

道路脇の仏像が親鸞聖人に見えます

まず、御神砂・御神水と親鸞上人旧跡へ行きましょう

木の鳥居を潜って

細い道を下って行きます


御神砂の採取地です

更に下って行くと

湧水が有ります

奥の地層の境目から水が湧いています、御神水です

傍に、親鸞聖人霊場旧跡の石碑が建っています

裏参道に戻り、もう少し進むと・・・

猿田彦大神降臨の地です、きれいに整備されています

降臨の地の石碑です

右手の玉垣の中の土盛りが降臨の地の様です

土盛りの中央に石が乗せられています


猿田神社元宮です

では、戻って次へ行きましょう




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