ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県飯田市、下久堅南原「重要文化財 石室 五輪塔」(国指定)です!!

2020-10-16 06:45:00 | 文化財・寺社
下久堅南原地区は、飯田市役所の南南東約6kmのところ

国道151号線の駄科信号から県道237号米川飯田線を南へ、間もなくの旧道を左へ道なりに進みJR飯田線だしな駅前を通り東に進むと南原橋で天竜川の左岸へ渡ります

県道1号飯田冨山佐久間線を戻るように南へ入って間もなく左上への道路へ、も一度左上への道路が文永寺の参道です


文永寺参道入口です


参道から山門です


境内入口です

境内手前右手に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

「石室 五輪塔」は文永寺参道の北側へ少し入った所に有ります


正面に石室が見えています

石室五輪塔と右に五輪塔三基が並んでいます

五輪塔です

石室は石をただ積んだだけではなく、しっかり組み立てられています

説明版です
重要文化財
 石室 五輪塔
  昭和5年5月23日指定
 石室・五輪塔ともに花崗岩の石質で、石室は方1058cm、高さ1088cmの大きさでその中に五輪塔が安置されている。
 石室の天井には、つぎの銘が刻まれている
  弘安6年発未12月29日 神敦幸造 南都石工 菅原行長
  左衛門尉神敦幸生年62歳
 この銘文により、五輪塔が弘安6年(1283)に知久敦幸が62歳の時造立したこと、知久氏が神氏であったこと、作者が奈良の石工菅原行長であることがわかる。
 五輪塔は下方より地輪、水輪、火輪、風輪、空輪よりなり、総高1016cmで、各輪の四方に梵字が彫られている。石室・五輪塔は、作者・年代が明らかで、鎌倉時代初期の様式を備えている大切な文化財である。
 なお、昭和62年7月から12月にかけて文化庁の指導により、石質の解体修理が実施された。
  昭和63年3月
 飯田市教育委員会
*文永寺参道沿いに説明版が建っています、そこから北側を見ると石室が見えます


では、次へ行きましょう
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長野県飯田市、下久堅南原「文永寺のスギとツバキ・松」です

2020-10-15 06:35:38 | 巨樹・大木
下久堅南原地区は、飯田市役所の南南東約6kmのところ

国道151号線の駄科信号から県道237号米川飯田線を南へ、間もなくの旧道を左へ道なりに進みJR飯田線だしな駅前を通り東に進むと南原橋で天竜川の左岸へ渡ります

県道1号飯田冨山佐久間線を戻るように南へ入って間もなく左上への道路へ、も一度左上への道路が文永寺の参道です


文永寺参道入口です


参道から山門越に高い樹冠が見えて来ます


山門です


境内入口右側に目的のスギです

境内手前右手に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

石段の上側境内に立っています



境内左には御堂です


正面に本堂です

本堂前から見ました

境内端から、目通り幹囲5,8mの巨木です



鐘楼越しに見上げました

.鐘楼です

説明版です
 長野県宝 梵鐘(文永寺)
  昭和45年4月13日指定
 この梵鐘は、総高141,5cm、口径78cmを測ります。竜頭は中央に宝珠をもつ両頭式で、笠形は大きくふくらみ、茸形の乳は乳の間四区に四列四段に64個を配します。撞座は八葉複弁の蓮華紋で、駒の爪に接する下帯に流水紋風の文様があります。
 鐘名を欠くものの、類似資料より鋳造時期を推定することができます。重要文化財に指定されている松原諏訪神社(南佐久郡小海町)の梵鐘と、竜頭や下帯の流水紋が酷似しています。
 松原諏訪神社の梵鐘は弘安2年(1279)の銘をもち、大和国下田村の鋳物師大工伴長が鋳造したことが分かっています。
 このことから此の梵鐘は、文永寺の創建間もない弘安2年の頃に、文永寺を創建した知久氏によって寄進されたものと考えられます。いずれにせよ、鎌倉時代を降らない作例と考えられ、大変貴重な梵鐘といえます。
  平成21年9月
  長野県教育委員会
  飯田市教育委員会


説明版の龍頭の部分です


庫裏への通用門の隣に保護屋根に守られた勅使門です

案内板です

庫裏側境内です通路右手にツバキです

案内板です

通路奥から


庫裏前の「勅使の松」です


長い枝が伸びています

案内板です

では、文永寺参道北側の「石室 五輪塔」(国重要文化財)を見に行きます
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長野県飯田市、立石「雄スギ雌スギ(雌杉)」(県指定)です!!

2020-10-14 06:15:00 | 巨樹・大木
立石地区は、飯田市役所の南約10kmのところ

国道151号線を南へ、国道151号線が阿智川を渡る万歳橋の手前カーブの北側で西へ入ります

阿智川の左岸沿いを西へ進み、県道491号親田中村線に出る手前を戻るように北へ登って行きます

間も無く正面に高い樹冠の杉が見えて来ます、これが大杉です

雄スギの北側道路を道なりに東へ進むと右手田圃の先に雌杉が見えて来ました、田圃道を南側に回り込むように近付きます

所有者宅西側の道路脇に車を止めさせて頂きました

南側から、こちらの御宅の裏側に立っています


北側から

天然記念物標柱です

説明版です
  長野県天然記念物
 「立石の雄スギ雌スギ」
名称 立石の雄スギ(指定の正式名称)
   俗称、別称雌杉・朝日御影杉・夫婦杉
指定 昭和43年5月18日指定
 測定の数値
樹高   :41,30m(平成2年9月
目通り周囲:9,00m
直径   : 3,00m
根張り  :17,20m
枝張り  :17,20m
樹齢   約1000年(推定)
所蔵   個人所有(宮崎哲氏)
解説 イ・雌杉・雄杉セットとしての指定
    (両木の間の距離約400m)
   ロ・雄杉と比較すると頂部の枯れも見られません
   ハ・両木は東西に植えられており、彼岸にはそれぞれの影が他方の根元に届くといわれています。
    朝日御影杉と別称されるゆえんです。
  長野県教育委員会
  飯田市教育委員会

 

南東側から見上げました(説明版の脇から裏庭におじゃまさせて頂きました)

では、次へ行きましょう
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長野県飯田市、立石「雄スギ雌スギ(雄杉)」(県指定)です!!

2020-10-13 06:19:00 | 巨樹・大木
立石地区は、飯田市役所の南約10kmのところ

国道151号線を南へ、国道151号線が阿智川を渡る万歳橋の手前カーブの北側で西へ入ります

阿智川の左岸沿いを西へ進み、県道491号親田中村線に出る手前を戻るように北へ登って行きます

間も無く正面に高い樹冠の杉が見えて来ます

北側の道路脇に車を止めさせて頂きました

北西側から見上げました


天然記念物標柱です


説明版です
  長野県天然記念物
 立石の雄スギ雌スギ(雄スギ)
  1968(昭和43)年5月18日指定
 立石の雄スギ雌スギは、雄スギを別名夕陽御影杉、雌スギを別名朝日御影杉と呼びます。この呼び名は、春秋のお彼岸の時(春分・秋分の日)、朝日の昇る朝方には、東の雌スギの影が西の雄スギの根元に届き、夕陽が沈む夕方には、西の雄スギの影が東の雌スギの根元に届くことから、呼ばれるようになりました。また、東西に並ぶ姿から、夫婦杉とも呼ばれています。
 立石の雄スギ雌スギは、どちらも、樹勢もまだ衰えず、樹形の整ったようす、堂々としたその大きさから、県下有数の杉の巨木と言われています。また、日本武尊の御手植えの杉であるとの伝承もあり、古くから地区住民に親しまれ、立石区のシンボルとなっています。
 立石の雄スギ計測数値
(平成2年9月 耕地課調)
樹高   :41,60m
目通り周囲:9,80m
直径   : 3,12m
根張り  :22,10m
枝張り  :15,30m
 2015(平成27)年10月
 飯田市教育委員会

南側に回り込むと根元に祠と大きな戦役記念碑です

水盤です

南側の境内から

南東側から

では、ここから東に400m程の雌杉に行きましょう
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長野県下條村、陽皐「新井展望公園」です!!

2020-10-12 06:48:00 | ドライブ
陽皐地区は、下條村役場の南約3kmのところ

国道151号線のひさわ信号から西へ入ります

大山田神社の参道入口を右に見てもう少し進むと

左側の沢を渡る橋が有ります

道なりに進み、新井公民館の前を過ぎると

新井展望公園への案内板が有ります

道なりに林道を庄田山(標高966m)の中腹まで上がって来ました


展望広場です


北側の展望です、山々の間に飯田市と背後に中央アルプスが見えています、見える最高峰は南駒ヶ岳のようです

東側の展望です、天竜川流域の村々の先に南アルプスの山々ですが雲の中ですね

展望案内板が有ります

では、次へ行きましょう
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長野県下條村、陽皐「大山田神社の大杉」(村指定)です!!

2020-10-11 06:13:00 | 巨樹・大木
陽皐地区は、下條村役場の南約3kmのところ

国道151号線のさつき信号を西へ入ります

間も無く大山田神社の参道が東向きに見えて来ます

少し先へ行って、左側の沢を渡る橋の南側に駐車スペースがあります

ここに車を置かせて頂いて、参道まで歩いて行きましょう




駐車スペース前から見た、沢を渡ると正面の山の上に大山田神社が鎮座します

参道入口です

郷社 大山田神社です

鳥居です

鳥居をくぐって直ぐ左に祠です

蚕玉神の石碑です

長い石段が続いています

石段中程に手水が有ります

杉の大木の並ぶ参道石段が続きます

ようやく平な参道に変わりました

右手に祠です

長い参道の先にようやく社殿が見えてきました

参道右手に参道杉並木で一番太いと思われる杉の大木です

境内に入りました、正面の社殿の前に目的の大杉です

右拝殿です

左拝殿です諏訪神社の建築方法に近いのでしょうか

軒の懸け額には福禄寿の文字が見えます


手水舎です

拝殿前から

天然記念物標柱です

説明版です
 下條村文化財 天然記念物2号
名称 大山田神社の大杉
所在地 下條村陽皐4588番地
所有者 大山田神社
管理者 大山田神社氏子
種別  すぎ(スギ科)
文化財の性質形状及構造
  目通り太さ7,2m、根廻り11,5m、樹高約45m
樹令 推定800年
参考となる事項
  杉は日本の特産種で全国各地で巨木喬木が多い。本樹は古くから大山田神社の御神木として保護崇められてきた
、当地方では羽根の大杉(月瀬の大杉)、立石の夫婦杉(雄杉と雌杉)など有名であるが、この木も郡下では有数のものである。
指定年月日
   昭和60年2月15日
     下條村教育委員会

南側から

拝殿前から

文化財標柱です



境内社です

石碑です

説明版です
 式内社 大山田神社
   重要文化財指定
御祭神 大巳貴命(大国主命)
 相殿 応神天皇
 相殿 鎮西八郎為朝
社地 下條村陽皐4588番地
社殿 拝殿奥の覆屋に三社殿が祀られている
八幡宮社殿(室町時代)重要文化財指定
  間口2,57m、奥行2,58m、一間社流造、向拝付、二重繁棰、栃板葺、縁勾欄、脗障子付、蟇股、木鼻象形で彫刻等格調高い社殿である。
山田神社社殿(江戸時代中期)一間社流造
八郎明神社殿(室町時代)重要文化財
  八幡宮社殿と同手法であるが梢附表である
 この二社殿は室町時代中期、永正4年(1507)に再建された。蟇股、木鼻、斗栱等当時の技法を伝え中央文化による数少ない貴重な社殿である。明治45年内務省により特別保護建造物に指定、昭和30年文化庁より重要文化財指定を受け、昭和47年文化庁による解体修理を行った。
神社の沿革・歴史
 古代この辺り一帯は「菅野荒野」と呼ばれ、万葉集に詠まれ、菅野朝臣真道縁の地とされている。神社の創立年代は詳かではないが、平安時代醍醐天皇による延喜式神名帳に載る信濃国48座、伊那郡2座の一座で、千年以上の歴史を持つ神社である。
 室町時代に至り、領主下条氏はここに正八幡宮と諏訪明神宮を祀り一族の氏神とした。これにより近郷の総鎮守として人々の崇敬厚く、特に下森氏七代目伊豆守家氏は京都より宮大工村氏一族を招き社殿の造営を為さしめ、現在当神社の外、古塔八幡宮に二社殿がのこり、何れも重要文化財指定を受けている。これは下条氏の文化水準及び力を示すものであり、神社の名声を広め重文を持つ式内社として貴重な存在となった。江戸時代は人々の産土神として祭られ、八幡宮へ幕府より朱印地拾石を与えられた。寛永年間風倒木のため、八郎明神社殿が損傷を受けるなど向拝の時期もあったが、貞享・延享・宝暦年代に神主等によって修復され、下条氏以来潜めていた式内社大山田神社の社名復活を行い、人々の信仰を冨に集め、明治7年郷社に列した。
 社叢、境内は数百年の老杉を初め杉桧の大木が繁り、この元に繁茂する植物は約二百八十種類で、然も南限北限の植物が混生する貴重な場所とされ、特に「青木」の群生は珍しい。
祭礼 春  4月5日
   秋 10月 日 電燈の獅子舞が行なわれる




長野の自然100選 選定記念の石碑です

裏参道から帰りましょう

秋そばの花が満開です



棚田の稲刈が済んで干されています

では、次へ行きましょう
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長野県阿南町新野「瑞光庵址の公孫樹」(町指定)です!!

2020-10-10 06:32:00 | 巨樹・大木
新野地区は、阿南町役場の南西約10kmのところ

国道151号線遠州街道を南へ、トンネルを数本抜けて山を越えます

国道が新野の中心地へ近づく手前の右側山裾にイチョウの巨木をみることが出来ます

案内板が有ります(南側から)

正面にイチョウが見えて来ました(案内板に従って鉤の手に進んできました)

手前に数台止められる駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

手前の木々で幹が確認できません

根元への通路へ入りましょう


根元から幹を見上げました、気根(乳)が多数見えました


文化財案内板です
 
説明版です
  瑞光庵址の公孫樹
 この史址は室町時代の終り頃、伊勢平氏の関氏が新野に土着して領主として近くの人々の信頼を受けていたが関氏二代盛国が父盛春の菩提をとむらうために 荷ここに庵を建てて、瑞光庵とし一般住民の  んでおったところであります。庵は約70年して関右馬充が、ここから近くの寺山の八幡原の館のそばに移して、享禄3年に長子が早死し、その菩提を弔うために現在の伽藍に改造し、庵号を院号とし三河国二連木全久院光国舜王和尚を招いて開山した、この地は瑞光院の旧地であり、傍の公孫樹は樹齢500年以上で庵創立当時に植えたものといわれている。
  昭和44年 阿南町公民館




南側の根元です、目通り幹囲6mの巨木です

南側から

根元の祠です

ヒガンバナが見頃でした

石碑です
  瑞光庵史址と銀杏樹史
 この史址は室町時代の終わり頃伊勢平氏関氏が新野に土着し領主として人々の信頼を受けていたが初代盛春が永享元年(1429)
夫がたため、永享2年(1430)盛国(盛貞)が父の菩提を弔うため日 から見て北東鬼門方角に一庵を建立し武運の長久と家門の繁栄を祈る菩提所として十九庵の仏像を携え十九庵と称する庵を 創立し一般住民の仏事も斉行しその後関氏の発祥地である伊勢の瑞光寺から瑞光庵と改名した。庵家は弐間半の三間一堂茅葺とある(土屋家史記より)
 永正17年(1520)関城主二代盛国の二男関右馬之充平春光が近くの寺山八幡原である自分の館のそばに移す。享禄2年(1529)長子が早世その菩提を弔うため現在の伽藍に改造同時に庵呼を院号とし三河国仁連木全久院免国体王和尚を招いて開山した
 従ってこの地は瑞光院の元寺跡である傍の銀杏樹は600年で庵創立当時植えられたと伝えられる。昭和2年(1927)「天然記念物銀杏樹」長野県「空蹟瑞光庵址」懸指定標柱二本(市村成人先生書)立てられたが、その後、昭和52年(1977)阿南町文化財指定となる。
  平成29年(2017)秋
  地主 十九庵 村松額佼

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長野県阿南町、西條「早稲田神社の大杉」(町指定)です!!

2020-10-09 06:47:35 | 巨樹・大木
西條地区は、阿南町役場のすぐ西側の地区です

町役場前の県道244号線が国道151号線に出る信号の西側山斜面に参道を東向きに開いて早稲田神社が鎮座します

参道入口前の道路脇に車を止めさせて頂きました


祭街道の里 あなん 早稲田人形芝居の案内板です


参道入口です


式外早稲田神社です、(式内はあるけど式外と記されているのは初めてかな)

鳥居です

金毘羅大権現と秋葉大権現の石碑です

社殿までもう少しです

手水です

拝殿左手に目的のスギです

説明版です
 文化財指定
名称 早稲田神社大杉
指定年月日 昭和52年7月21日
早稲田神社大杉の概要
樹齢  約1200年
高さ  約46、5m
根回り 約16,3m
直径(目の高さ)約2,4m
円周(目の高さ)約7,5m
枝下  約12,5m
枝最長 約11,0m
根玉   22
  (平成5年の調査)



もう一枚 町指定文化財 早稲田神社の一括出土銭と広口壺の説明版です




境内右手(北側)から

境内左手(南側)から

本殿は覆屋のなかです

本殿左側(南西側)から見ました

神楽殿の様です

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長野県根羽村、月瀬「月瀬の大杉」(国指定)です!!

2020-10-08 06:24:11 | 巨樹・大木
月瀬地区は、根羽村役場の西北西約2kmのところ

国道153号線沿いに大杉公園駐車場が有りますが朝早くだったので空いていませんでした

北側の一心寺前から矢作川を渡って、大杉前の諏訪神社境内に車を止めさせて頂きました

諏訪神社参道です


北側からの大杉です

東側から、左に出た大枝が特徴的です

説明版です
  月瀬の大杉
 長野県下伊那郡根羽村月瀬日影平地積にある月瀬の大杉は、目通り1,5mの高さで、幹廻り約14m、樹高は40mに達する巨木であり、全国的にも有数のものである、昭和19年(1944)11月国の天然記念物として指定された。樹齢は文部省調査による指定当時の1800有余年を採用している。
 平成元年環境庁の巨木調査により、長野県第一位の巨木であることが確認された。
 昔から虫歯に病む者が祈願すると、霊験が著しく、また大事変の起きるときは前兆として大枝が折れると語り継がれている。
 旧月瀬神社の御神木として古来から尊崇され、地区民の手で保護されてきた。
 弘化元年(1844)の江戸城本丸焼失後の復興用材として、また明治41年(1908)村内神社統合の後、大杉売却の決議がなされたが、月瀬全住民の団結の力によって、保存され現在に至っている。
 平成8年11月
   根羽村



足元に国指定天然記念物の石碑です

南側から
南側の水路の中に太い根が有るようです、注連縄が巻かれています

西側から、目通り幹囲13,8mの巨木です、一説では国内11位の太さだそうです

北西側から、月瀬の大杉の形が良く解ります

では、次へ行きましょう
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長野県根羽村、万場瀬「八柱神社の神代杉(左)」(村指定)です!!

2020-10-07 06:34:01 | 巨樹・大木
右の神代杉に続いて、左の神代杉と八柱神社社殿です


万場瀬地区は、根羽村役場の北西約1kmのところ、すぐ隣の地区です

国道153号線沿いに、南向き参道で八柱神社が鎮座します


八柱神社と月瀬の大杉の案内板が有ります

車を止めさせて頂きました



下の境内から見てみましょう

.
もう一本の左の神代杉は、社殿面境内に立っています

南西側から

西南西側境内端から見あげました

では、社殿面へ上がりましょう

社殿面に上がって左の神代杉です(東側から)

天然記念物標柱です

社殿脇(北東側)から、目通り幹囲7、mの巨木です

北側から

西側から


狛犬です

文化財標柱です

拝殿です

本殿覆い屋です

境内社です

手水舎は裏参道側に有ります

裏参道を下ると石塔が並んでいました

では、次へ行きましょう
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長野県根羽村、万場瀬「八柱神社の神代杉(右)」(村指定)です!!

2020-10-06 06:38:58 | 巨樹・大木
万場瀬地区は、根羽村役場の北西約1kmのところ、すぐ隣の地区です

国道153号線沿いに、南向き参道で八柱神社が鎮座します


八柱神社と月瀬の大杉の案内板が有ります

車を止めさせて頂きました


八柱神社参道入口です

鳥居です

変わった形の水盤です

参道石段を登ります

参道石段上部に目的のスギでは有りませんが目通り幹囲5m越えの巨木です

石段を登り切って下側境内から見ました

さて目的の神代杉です、まず右の杉は下側境内と社殿の立つ上側境内の間に在ります、社殿面へ上がる石段は三ケ所に有ります、右と中央の間に立っています

天然記念物標柱です

西側から

西側に離れて見ました

真中の石段下から見上げました、目通り幹囲7,7mの巨木です


右の神代杉を上側境内端から見ました



社殿脇から右の神代杉です


では、次は左の神代杉を見て行きましょう
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長野県根羽村、横旗「信玄塚」です!!

2020-10-05 06:34:00 | 文化財・寺社
横旗地区は、根羽村役場の北北東約3kmのところ

国道153号線で小川川沿いを北へ進みます

横畑集落の手前で信玄橋を渡ります、直ぐ先の左に信玄塚の大きな看板が出ています

国道右手に駐車スペースがあり、国道西面には風林火山騎馬隊の大きな壁画を見る事が出来ます



信玄橋です(駐車スペース側から見ました)

信玄塚はこちらです

大きな信玄塚看板です

信玄塚入口です

信玄塚宝篋印塔を見に行きましょう

水盤です


文化財標柱です

説明版です
  信玄塚 宝篋印塔の由来
信玄塚
 武田信玄は、三河野田城(愛知県新城市)攻略中に肺肝を患い、田口・津具を経て甲斐国へ引き返す途中、天正元年(元亀4年・1573)4月12日、53歳にて、ここはばねの上村において他界された。(甲陽軍鑑より)その折、風林火山の旗を横にしたのでこの地を横畑という。
 信玄公が葬られているとされている信玄塚は村史跡に指定されており(昭和56年指定)、現在の国道153号線沿いの風林火山騎馬隊の大壁画の東方国道敷に埋没されている。
宝篋印塔
 寛文年間(1661~1673)の頃、信玄公百年目の遠忌に際し、供養のため、武田家ゆかりの人々によって建立されたと伝えられているが、塔の形式等から室町末期と推測されている。
 花崗岩製で高さ1,84m、塔身に四仏を表す梵字が刻まれており、塔の規模、様式から見て城主・大名格のものであるとされている。
  平成6年3月
   根羽村教育委員会



鳥居が有ります、懸け額には八幡社とあります

信玄塚の宝篋印塔です


こちらの説明版も内容的には同じものです



左手の祠です


石塔が並びます

国道の法面にモザイクで風林火山の出陣シーンが表現されています

法面表示版です

国道説明版です

信玄塚が国道に埋没しているということは、私達は信玄公の墓の上を通っているのでしょうか

では、次へいきましょう
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長野県阿智村、智里「神坂神社のトチノキ群」(村指定)です!!

2020-10-04 06:47:05 | 巨樹・大木
*日本杉に続いて村指定天然記念物のトチノキ群を見て行きましょう

智里地区は、阿智村役場の西約7kmのところ

国道153号線から国道256号線、県道89号線とたどって中央自動車道園原インタチェンジ入口を過ぎます

月川温泉への道路を別けて恵那山トンネルの上へ続くように林道を登って行きます

地区の一番奥に東向きの参道で神坂神が鎮座します

参道入口に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました


参道入口です


神坂神社です


参道を進みましょう

参道右手のトチノキの大木です


参道奥側から

拝殿前にはトチノキの巨木です

拝殿前のトチノキを北側から見ました

トチノキ群の天然記念物標柱です

説明版です
 阿智村天然記念物 神坂神社の栃の木群
  智里 園原 所在
  平成6年8月25日 指定
 境内に在る5本のトチノ木の巨木は、いずれも目通りの径約2m、樹高30mで、推定樹齢250~300年です。個体数も多く飯田・下伊那郡では有数のものであり、名木として村天然記念物に指定されています。
 トチノキ(トチノキ科)は、ムクロジ科トチノキ属の落葉高木です。分布は北海道、本州、四国、九州で山地の谷間に多く生育する日本固有の種です。種子は光沢のある茶褐色の種皮につつまれています。かつては種子を水にさらしたり灰汁に浸けたりして渋をぬき、とち餅などにして食べました。
 トチノキは、栗・胡桃とともに江戸時代に飢饉にそなえ、伐ることが禁止され、さらに神域に生えていることから大切に守られてきました。
 トチノキは材木に指定されています。
  阿智村教育委員会

 

拝殿左手沢側トチノキの大木です

東山道へ続く奥側にもう一本トチノキの大木が在ります



東山道の神坂峠へ続く山道です


壁に石碑が嵌め込まれています

では、次へ行きましょう
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長野県阿智村、智里「神坂神社の日本杉(やまとすぎ)」(村指定)です!!

2020-10-03 06:44:49 | 巨樹・大木
園原地区は、阿智村役場の西約7kmのところ

国道153号線から国道256号線、県道89号線とたどって中央自動車道園原インタチェンジ入口を過ぎます

月川温泉への道路を別けて恵那山トンネルの上へ続くように林道を登って行きます

地区の一番奥に東向きの参道で神坂神が鎮座します

参道入口に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました

まずは、日本杉から見て行きましょう


参道入口です


神坂神社です


参道入口の石碑です

説明版です
 阿智村史跡「園原の里」
   神坂神社
 園原の里の最も奥まったところに鎮座する神坂神社は、俗に住吉様といわれ、表筒男命・中筒男命・底筒男命の三海神を主神として、日本武尊・誉田別尊(八幡神)・建御名方命(諏訪明神)・須佐之男命(牛頭天王)が合祀されている。
 この山中に、わだつみ(航海)の神がなぜ祀られたかについては、この神社の創建時期とともに明らかでないが、一説には安曇族が西方から信濃国に移住して来た遺跡のひとつではないかともいわれている。相殿の神々は江戸時代中期以降の合祀である。
 社殿は一間社流れ造りで、明治22年に木曽郡上松出身の坂田亀吉(通称木曽亀)の建造によるものであるが、障壁、虹梁等の透かし彫りの精巧さが見事である。
 境内には、樹令千年を超す日本杉や、数百年を経た杤の巨木数本あり、社殿の横を通っていたと思われる古代東山道跡と共に万葉人の去来を偲ばせる。又、富岡鉄斎揮毫による園原の由来を刻んだ霊暁碑、北原阿智之助(痴山)揮毫の万葉集防人の歌碑、犬養筆による万葉集東歌の歌碑、黒坂周平筆による凌雲集の漢詩磨崖碑、日本武尊の腰掛石とも古代祭祀の磐座とも言われる大石など、情趣に富んだ石造文化財も多い。
 ここから神坂峠まで古代東山道のルートをたどる自然歩道があり、約6,5km、徒歩約3時間である。
  阿智村教育委員会



参道を進みましょう


右手上に大きな石碑が有ります

手水の水盤です



拝殿です

拝殿の懸け額には、祭祀の飾り物の様子が絵が描かれています

拝殿右手に日本杉です

境内右手から日本杉です

根元に天然記念物標柱です

石垣脇から見上げました

説明版です
  神坂神社と日本杉
 祭神は表筒男命・中筒男命・底筒男命の三海神の住吉様で、海に遠いこの地には珍しく、かつての中央の都との深い関係を考えさせられます。
 社殿は一間社流造りで、明治22年に、木曽郡上松出身の坂田亀吉(通称木曽亀)の建造によるもので、精巧な彫刻で飾れれており、覆屋の中にあります。
 境内にある大きな杉の木は、日本杉といわれ、もとは二本あったものが明治25年9月の暴風雨のため一本は倒れてしまいました。
 その年輪は二千年以上もあったそうです。
   阿智村観光協会




北側から社殿越しに日本杉を見ました


東山道の神坂峠へ続く山道です



壁などに石碑が嵌め込まれています

では、次は境内のトチノキ群です
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長野県阿智村、清内路「小黒川のミズナラ」(国指定)です!!

2020-10-02 06:18:38 | 巨樹・大木
清内路地区は、阿智村役場の北西約8kmのところ

国道153号線の阿智川大橋東詰から国道256号線へ、昼神トンネルを越えてかつての清内路村に入ります

阿智村立清内路小学校を左に見て1km足らずで国道が大きく左にカーブする所、右の林道を登って行きます

小黒川沿いの林道を奥へ奥へと進みます、下清内路集落を過ぎて右岸から左岸に渡った林道が右岸に戻って間もなく

広場に大きな樹冠の木が見えて来ます、広場に車を止めさせて頂きました




あ現地までは案内板が要所要所に有りますので迷う事はありません

道路右側に大きな木が広場の真中に見えて来ました



説明版です
国指定天然記念物
 小黒川のミズナラ(こぐろかわのみずなら)
   平成8年9月4日 指定
下伊那郡阿智村清内路1158番地4
 地元では「小黒川のおおまき」とよんでいるミズナラの巨木である。ミズナラは別名おおならともいい、各地に普通に見られ、当地方では標高千mくりまでコナラ、それ以上高いところになるとミズナラが、自生する。
 この樹の幹周り9,4m、樹高33m、枝張り37m(大枝が折れる以前の枝張りの長さ)あり、樹齢500年以上と思われ、国内でも最大のミズナラである。
 平成24年6月に北側の大枝が折れたが、支柱設置などにより、養生を行っている。
 平成28年3月 建立
 文化庁
 長野県教育委員会
 阿智村教育委員会



近ずくと大きな樹冠は入り切りませんね



大きな幹を見上げました、赤黄色の幹が大枝が折れた傷の跡の様です

ミズナラ保護の案内表示です




沢側から

広場の東屋の中に大枝の輪切りが有ります

大枝の円盤標本の説明書きです




東屋前から見ました

では、次へ行きましょう
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