ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県阿南町新野「瑞光庵址の公孫樹」(町指定)です!!

2020-10-10 06:32:00 | 巨樹・大木
新野地区は、阿南町役場の南西約10kmのところ

国道151号線遠州街道を南へ、トンネルを数本抜けて山を越えます

国道が新野の中心地へ近づく手前の右側山裾にイチョウの巨木をみることが出来ます

案内板が有ります(南側から)

正面にイチョウが見えて来ました(案内板に従って鉤の手に進んできました)

手前に数台止められる駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

手前の木々で幹が確認できません

根元への通路へ入りましょう


根元から幹を見上げました、気根(乳)が多数見えました


文化財案内板です
 
説明版です
  瑞光庵址の公孫樹
 この史址は室町時代の終り頃、伊勢平氏の関氏が新野に土着して領主として近くの人々の信頼を受けていたが関氏二代盛国が父盛春の菩提をとむらうために 荷ここに庵を建てて、瑞光庵とし一般住民の  んでおったところであります。庵は約70年して関右馬充が、ここから近くの寺山の八幡原の館のそばに移して、享禄3年に長子が早死し、その菩提を弔うために現在の伽藍に改造し、庵号を院号とし三河国二連木全久院光国舜王和尚を招いて開山した、この地は瑞光院の旧地であり、傍の公孫樹は樹齢500年以上で庵創立当時に植えたものといわれている。
  昭和44年 阿南町公民館




南側の根元です、目通り幹囲6mの巨木です

南側から

根元の祠です

ヒガンバナが見頃でした

石碑です
  瑞光庵史址と銀杏樹史
 この史址は室町時代の終わり頃伊勢平氏関氏が新野に土着し領主として人々の信頼を受けていたが初代盛春が永享元年(1429)
夫がたため、永享2年(1430)盛国(盛貞)が父の菩提を弔うため日 から見て北東鬼門方角に一庵を建立し武運の長久と家門の繁栄を祈る菩提所として十九庵の仏像を携え十九庵と称する庵を 創立し一般住民の仏事も斉行しその後関氏の発祥地である伊勢の瑞光寺から瑞光庵と改名した。庵家は弐間半の三間一堂茅葺とある(土屋家史記より)
 永正17年(1520)関城主二代盛国の二男関右馬之充平春光が近くの寺山八幡原である自分の館のそばに移す。享禄2年(1529)長子が早世その菩提を弔うため現在の伽藍に改造同時に庵呼を院号とし三河国仁連木全久院免国体王和尚を招いて開山した
 従ってこの地は瑞光院の元寺跡である傍の銀杏樹は600年で庵創立当時植えられたと伝えられる。昭和2年(1927)「天然記念物銀杏樹」長野県「空蹟瑞光庵址」懸指定標柱二本(市村成人先生書)立てられたが、その後、昭和52年(1977)阿南町文化財指定となる。
  平成29年(2017)秋
  地主 十九庵 村松額佼

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