下久堅南原地区は、飯田市役所の南南東約6kmのところ
国道151号線の駄科信号から県道237号米川飯田線を南へ、間もなくの旧道を左へ道なりに進みJR飯田線だしな駅前を通り東に進むと南原橋で天竜川の左岸へ渡ります
県道1号飯田冨山佐久間線を戻るように南へ入って間もなく左上への道路へ、も一度左上への道路が文永寺の参道です

文永寺参道入口です

参道から山門越に高い樹冠が見えて来ます

山門です



境内入口右側に目的のスギです
境内手前右手に
駐車スペースが有りますので利用させて頂きました




石段の上側境内に立っています

境内左には御堂です

正面に本堂です



本堂前から見ました



境内端から、目通り幹囲5,8mの巨木です



鐘楼越しに見上げました

.鐘楼です

説明版です
長野県宝 梵鐘(文永寺)
昭和45年4月13日指定
この梵鐘は、総高141,5cm、口径78cmを測ります。竜頭は中央に宝珠をもつ両頭式で、笠形は大きくふくらみ、茸形の乳は乳の間四区に四列四段に64個を配します。撞座は八葉複弁の蓮華紋で、駒の爪に接する下帯に流水紋風の文様があります。
鐘名を欠くものの、類似資料より鋳造時期を推定することができます。重要文化財に指定されている松原諏訪神社(南佐久郡小海町)の梵鐘と、竜頭や下帯の流水紋が酷似しています。
松原諏訪神社の梵鐘は弘安2年(1279)の銘をもち、大和国下田村の鋳物師大工伴長が鋳造したことが分かっています。
このことから此の梵鐘は、文永寺の創建間もない弘安2年の頃に、文永寺を創建した知久氏によって寄進されたものと考えられます。いずれにせよ、鎌倉時代を降らない作例と考えられ、大変貴重な梵鐘といえます。
平成21年9月
長野県教育委員会
飯田市教育委員会

説明版の龍頭の部分です

庫裏への通用門の隣に保護屋根に守られた勅使門です

案内板です


庫裏側境内です通路右手にツバキです

案内板です

通路奥から



庫裏前の「勅使の松」です



長い枝が伸びています

案内板です
では、文永寺参道北側の「石室 五輪塔」(国重要文化財)を見に行きます
国道151号線の駄科信号から県道237号米川飯田線を南へ、間もなくの旧道を左へ道なりに進みJR飯田線だしな駅前を通り東に進むと南原橋で天竜川の左岸へ渡ります
県道1号飯田冨山佐久間線を戻るように南へ入って間もなく左上への道路へ、も一度左上への道路が文永寺の参道です

文永寺参道入口です


参道から山門越に高い樹冠が見えて来ます


山門です




境内入口右側に目的のスギです

境内手前右手に





石段の上側境内に立っています


境内左には御堂です


正面に本堂です




本堂前から見ました




境内端から、目通り幹囲5,8mの巨木です




鐘楼越しに見上げました


.鐘楼です


説明版です
長野県宝 梵鐘(文永寺)
昭和45年4月13日指定
この梵鐘は、総高141,5cm、口径78cmを測ります。竜頭は中央に宝珠をもつ両頭式で、笠形は大きくふくらみ、茸形の乳は乳の間四区に四列四段に64個を配します。撞座は八葉複弁の蓮華紋で、駒の爪に接する下帯に流水紋風の文様があります。
鐘名を欠くものの、類似資料より鋳造時期を推定することができます。重要文化財に指定されている松原諏訪神社(南佐久郡小海町)の梵鐘と、竜頭や下帯の流水紋が酷似しています。
松原諏訪神社の梵鐘は弘安2年(1279)の銘をもち、大和国下田村の鋳物師大工伴長が鋳造したことが分かっています。
このことから此の梵鐘は、文永寺の創建間もない弘安2年の頃に、文永寺を創建した知久氏によって寄進されたものと考えられます。いずれにせよ、鎌倉時代を降らない作例と考えられ、大変貴重な梵鐘といえます。
平成21年9月
長野県教育委員会
飯田市教育委員会

説明版の龍頭の部分です


庫裏への通用門の隣に保護屋根に守られた勅使門です


案内板です



庫裏側境内です通路右手にツバキです


案内板です


通路奥から




庫裏前の「勅使の松」です




長い枝が伸びています


案内板です

では、文永寺参道北側の「石室 五輪塔」(国重要文化財)を見に行きます
