下久堅南原地区は、飯田市役所の南南東約6kmのところ
国道151号線の駄科信号から県道237号米川飯田線を南へ、間もなくの旧道を左へ道なりに進みJR飯田線だしな駅前を通り東に進むと南原橋で天竜川の左岸へ渡ります
県道1号飯田冨山佐久間線を戻るように南へ入って間もなく左上への道路へ、も一度左上への道路が文永寺の参道です

文永寺参道入口です

参道から山門です



境内入口です
境内手前右手に
駐車スペースが有りますので利用させて頂きました
「石室 五輪塔」は文永寺参道の北側へ少し入った所に有ります

正面に石室が見えています

石室五輪塔と右に五輪塔三基が並んでいます

五輪塔です


石室は石をただ積んだだけではなく、しっかり組み立てられています

説明版です
重要文化財
石室 五輪塔
昭和5年5月23日指定
石室・五輪塔ともに花崗岩の石質で、石室は方1058cm、高さ1088cmの大きさでその中に五輪塔が安置されている。
石室の天井には、つぎの銘が刻まれている
弘安6年発未12月29日 神敦幸造 南都石工 菅原行長
左衛門尉神敦幸生年62歳
この銘文により、五輪塔が弘安6年(1283)に知久敦幸が62歳の時造立したこと、知久氏が神氏であったこと、作者が奈良の石工菅原行長であることがわかる。
五輪塔は下方より地輪、水輪、火輪、風輪、空輪よりなり、総高1016cmで、各輪の四方に梵字が彫られている。石室・五輪塔は、作者・年代が明らかで、鎌倉時代初期の様式を備えている大切な文化財である。
なお、昭和62年7月から12月にかけて文化庁の指導により、石質の解体修理が実施された。
昭和63年3月
飯田市教育委員会
*文永寺参道沿いに説明版が建っています、そこから北側を見ると石室が見えます
では、次へ行きましょう
国道151号線の駄科信号から県道237号米川飯田線を南へ、間もなくの旧道を左へ道なりに進みJR飯田線だしな駅前を通り東に進むと南原橋で天竜川の左岸へ渡ります
県道1号飯田冨山佐久間線を戻るように南へ入って間もなく左上への道路へ、も一度左上への道路が文永寺の参道です

文永寺参道入口です


参道から山門です




境内入口です

境内手前右手に

「石室 五輪塔」は文永寺参道の北側へ少し入った所に有ります


正面に石室が見えています


石室五輪塔と右に五輪塔三基が並んでいます


五輪塔です



石室は石をただ積んだだけではなく、しっかり組み立てられています


説明版です
重要文化財
石室 五輪塔
昭和5年5月23日指定
石室・五輪塔ともに花崗岩の石質で、石室は方1058cm、高さ1088cmの大きさでその中に五輪塔が安置されている。
石室の天井には、つぎの銘が刻まれている
弘安6年発未12月29日 神敦幸造 南都石工 菅原行長
左衛門尉神敦幸生年62歳
この銘文により、五輪塔が弘安6年(1283)に知久敦幸が62歳の時造立したこと、知久氏が神氏であったこと、作者が奈良の石工菅原行長であることがわかる。
五輪塔は下方より地輪、水輪、火輪、風輪、空輪よりなり、総高1016cmで、各輪の四方に梵字が彫られている。石室・五輪塔は、作者・年代が明らかで、鎌倉時代初期の様式を備えている大切な文化財である。
なお、昭和62年7月から12月にかけて文化庁の指導により、石質の解体修理が実施された。
昭和63年3月
飯田市教育委員会
*文永寺参道沿いに説明版が建っています、そこから北側を見ると石室が見えます

では、次へ行きましょう

