ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県長野市、戸隠栃原志垣「鬼の塚」です!!

2021-09-15 06:14:00 | ドライブ
戸隠栃原志垣地区は、長野市役所の西北西約11kmのところ

国道406号線を西へ裾花川に沿って進みます、祖山地区入口で県道86号戸隠篠ノ井線を北へ入ります

県道86号線を最初の楠川の橋を渡って道なりに進むと、集落を過ぎた所に有ります

道路脇の説明版の前に車を止める事が出来ました



道路から見上げました

説明版が有ります
 志垣の里に伝わる鬼の塚
 ーーげにや谷川に、風乃懸けたる柵八。流れもやらぬももみじ葉をーー
   いる野のすすき霧分けて。行方も遠き山陰の。
     鹿垣乃道の険しきに。――
   (観世次郎信光作謡曲「紅葉狩」)
 安和2年(969年)、時の帝冷泉天皇の命を受けた平維茂は、荒倉山を根城に北信濃一帯を荒らし回る”鬼女紅葉”一党を退治すべく下祖山の里(現在の下内矢本八幡宮)までやって来たが、紅葉の住家を探しあぐね、南無八幡大菩薩を念じて二本の矢放つと、矢はこの鹿垣(志垣)の里(西ノ矢)に落ちた。(この矢の落ちた所が現在の矢先八幡宮であり、この八幡宮の周囲には矢篦竹が繁っており、この竹が根付いたものだという)
 矢の行方を追って、維茂の軍勢は裾花川にかかっていた藤蔓(現在のしがらみ橋)を渡り、鹿垣の坂を登り、十二社(維茂手植えのカツラがあったと云う)に先勝祈願をし一路深山紅葉の荒倉山へと進む、摩利支天を信仰しその妖術を使う紅葉一族に苦戦した維茂は、別所北向き観音に七日間の願かけをし、その仏陀の加護と名刀鬼切丸の助けにより大願成就し、鬼女の首を打ち落としたが、その首はとても重すぎて都に持ち帰ることが出来なかったので、矢の落ちたあたりに首を埋め、五輪の墓を立てた。これが鬼の塚(紅葉の塚)であるといわれている。
 一説には、紅葉は京の文化を伝え、万病を癒す術を心得、里人にとって鬼女ではなく、貴女であり、紅葉を慕う里人の懇願により維茂は、紅葉の首をこの地に葬ったとされる。里人は紅葉の霊を哀れみ五輪の塔を建ててこの地を「京の峰」、五輪坂と名付け供養をかかさず、それは現在迄続いており、春秋二回の供養祭を行い伝説を大切に守り続けている。
   長野市
   志垣区



塚に登ってみましょう


上がって来ました

頂上には・・・

祠が有ります

祠の後には太い杉の木です

では、次へ行きましょう


*2021年9月12日訪問です
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長野県小川村、宮の入法地「本州のHeso」です!!

2021-09-14 06:34:00 | ドライブ
宮の入法地地区は、小川村役場の北約5kmのところ

役場前から県道36号小川アルプスラインを西へ、県道31号長野大町線に出て土尻川を二度目に渡った橋の先を右(北)へすぐに製材所のところを左斜めに瀬戸川に沿って進みます、高度が上がって集落が点在してきたところに東屋が建っています

東屋の前の駐車スペースに車を入れました


聖地「本州のHESO」2kmの案内板が有ったので行って見ました


東屋があります

説明版です
  聖地「本州のHESO」
 この地・本州の中心に。その昔、神社があったと伝えられています。現在の法地・李平にある瀬戸川神社です。
 本州の中心に当たるこの宮の入に神社を建立した当時の先人の意図は今のわたしたちには推し量れないものがあります。
 八百万の神々のはたらきによるものか、底知れない人知を超えた力を感じます。
 「私たちの身体の中心は臍である」と言われることに鑑み、ここ本州の中心点を「本州のHESO・へそ」と親しみをもって呼びます。
 わたしたちがこの世に生を授かったのは父母の力によるもの、生命維持の「臍の緒」により母から世に送り出して戴いたものです。
その「HESO・へそ」は、切っても切れない父母の絆です。
 「父の恩はやまより高く、母の恩は海より深し」の教えは先人からの金言、この「恩」を忘れないことは「先人・父母への恩返し」でしょう。
 そして今わたしたちはこの地に「恩柱」を建てることにしました。
  2005年11月27日 いやしの里・法地会

 2004年12月11日
 ここ信州・小川村、法地の里「宮の入」の地に、本州の中心地点があることが確認されました。
  東経137度58分40.2708秒
  北緯36度39分17.75736秒
 この地点は、標高差を無視した本州の平面図において、均衡を保てる点(=重心)に当たります。
 中心のことを一般に「臍」と言いますが、「臍」(へそ)は「臍」(ほぞ)とも呼ばれ、母と子の命を結ぶ絆です。へそを大切にすることは父母や先人の恩を忘れないこと・・・・。
 そう考えた法地の人々は2005年11月27日、この地に柱を建て「恩柱」と命名しました。
 柱の高さは11m。
 以来、聖地「本州のHESO」は、いやしの里法地会の皆さんによって守られています。
  2006年10月
  小川村 癒しの郷・村づくりプロジェクト


説明版の案内図部分です、先日行った「沢之宮の大杉」が左端に載っています

東屋の脇から「恩柱」を見ました

アップにしてみました、紅白のシマシマが目立ちます

東屋の中から、鬼か河童かの造形ですね

鐘が鳴る賽銭箱です


では、次へ行きましょう



*2021年9月12日訪問です
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新潟県新潟市、北区「福島潟の北限のオニバス」です!!

2021-09-13 06:28:00 | 草花
福島潟は、新潟平野の北東の端にある大きな沼地です

日本海東北道豊栄新潟東港インターチェンジの南東約4kmのところ

多くの河川から流れ込んだ水を一時的に溜めて新井郷川や福島潟放水路(新潟東港まで)に流しています

水の公園福島潟として整備され、観光地としても知られて

今年放送のHKのBSP「にっぽん縦断 こころ旅」でも到着地点となっていました

展望のビュー福島潟を中心に、北側には温水プールの遊水館・古民家の潟来亭・宿泊施設の菱風荘・野鳥観察の雁晴れ舎が整備されています

冬の渡り鳥オオヒシクイ(国の天然記念物)をはじめとする220種類の鳥類(渡り鳥等)の鳥獣保護区でもあり

春は桜に菜の花、夏から秋はオニバス・ミズアオイ・ミクリなどの珍しい植物の自生地でもあります

オニバスの自生地は福島潟の南端です、桜並木の中に駐車スペースが有ります

どんばす(オニバス)のモニュメントです、後方遠くに白い展望棟のビュー福島潟が見えています
  どんばすとは?
 オニバスの事をかつて福島潟周辺では方言で「どんばす」と呼び親しんで来ました。
 理由はその大きさから親分・首領(どん)又は、種を焼いた時に「どん」という音が出るなどいろいろな説があります。
 昭和63年8月に絶滅したと思われていたオニバスが再発見され、福島潟が自生地の北限ある事から、保護活動がスタートしました。
 現在では、この自生地は地元の人たちが維持管理し、保護しています。

福島潟案内図と見晴台です

オニバスの説明版です
  オニバス自生地
 7月下旬から9月中旬が見ごろのオニバスはスイレン科で、絶滅のおそれのある植物のひとつです。
 ここオニバス自生地のように毎年生育するところは珍しく、ぜんこくでもごくわずかとなっています。
 葉が直径2mを超すのに対し、花は直径4~5cmと小ぶりです。

小さな赤紫色の花が咲いています

トゲトゲの葉を突き破るようにして花を咲かせているものも多く見られます

では、次へ行きましょう
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新型コロナ対策ワクチン接種2回目を受けて来ました!!

2021-09-12 06:41:00 | Weblog
9月3日にワクチン接種2回目の接種を受けて来ましたよ

一回目(8月13日)の接種で自動的に二回目の日時が指定されていたので、二回目の9月3日金曜日から土曜・日曜の三連休として副反応に備えました

実際に二回目の接種して、初めは一回目より痛みも少なかったのですが、接種からほぼ半日過ぎてから痛みが現われたので、用意していたロキソニン60mgを呑むことにしました、それから2日半痛みは続きました、傷みの範囲も一回目より大きく、約2倍の範囲に感じました

二回目は体調不良がでる方もいるとの事でしたが、無事に過ごすことが出来ました

一週間すぎて、異常は発生していません

今後も新型コロナ対策の、手洗い、うがい、マスクと三密に注意して巨木・大木を見に行きたいと思います



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長野県長野市、鬼無里高橋「高橋のシダレザクラと石仏群」です!!

2021-09-11 06:30:00 | 巨樹・大木
鬼無里高橋地区は、長野市役所の西北西約13kmのところ

国道406号線を裾花川に沿って西へ、鬼無里郵便局の直ぐ先が鬼無里信号です、信号を右(北)へ県道36号信濃信州新線です

ここから約2kmで高橋集落です、集落の中の県道カーブ左に石仏が並んでいます、石仏に上にシダレザクラが在ります

手前の道路脇に車を止めさせて頂きました




鬼無里観光マップです

高橋バス停です

向かい側にしだれ桜です


大きな看板が有りました

説明版です
 高橋薬師堂前石仏群由来
  西国三十三番観音・六地蔵・馬頭観音等石仏群
 西国三十三番観音は、三十三箇所の観音霊場の御本尊を彫った石仏で、お参りする事により三十三の寺々を回った事と同様の御利益があると言われ地域の信仰を集めました。
 この高橋薬師堂前西国三十三番観音は堂守玄道僧の発願により、地元高橋村17戸が発起人となって、地域の縁故信者59名を募り伊那高遠等の石工4人に手彫され文政11年(1828年)に建立開眼されました。
 この地積は古くから旅人の要衝の地であり、以来高橋地区住民によって、維持・管理・保存されており先人の意志を継承し、守護するに当たり、その起源と由来を改めて記述しました。 合掌
  平成28年(2016年)8月
   高橋薬師堂前石仏群保存会


庚申や家形石塔に如意輪観音です

石仏群です

シダレザクラです

天然記念物標柱です

根元の高さに上がって来ました

左側から

右側から

では、次へ行きましょう
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長野県長野市、鬼無里東京二条「加茂神社のスギとアカシデ」(市指定)です!!

2021-09-10 06:29:00 | 巨樹・大木
 鬼無里東京二条地区は、長野市役所の西約23kmのところ

 国道406号線を裾花川に沿って西へ、鬼無里の中心部を過ぎて約5kmの所に「東京口」バス停が有ります、加茂神社参道入口の石標が建っています、ここを北へ入ると東京地区です、道なりに高度を上げて行くと、右手奥に神社の鳥居が見えて来ます

 境内前道路脇に車を止めさせて頂きました

国道に面して加茂神社参道入口標石です

加茂神社への参道入口です

境内入口鳥居です

加茂神社です

石塔が並びます

説明版です
  建造物 加茂神社本殿
  天然記念物 加茂神社のスギ
  天然記念物 加茂神社のねずこ
    長野市指定
    平成17年1月1日指定
 加茂神社は天武天皇が遷都の地を検分するため派遣した三野王((みぬのおう)が加茂大神宮の称を与えたといい、また勅使の館をおいたので地名を東京(ひがしきょう)といいます。
 貞観7年(865)創立と伝えられる旧村社で、東京組の産土神(うぶすながみ)であり、別雷命(わけいかずちのみこと)・建御名方命(たけみなかたのみこと)・天思兼命(あめのおもいねのみこと)を祀っています。
 文明13年(1481)と元和3年(1617)の再建棟札があります。
 加茂神社本殿 本殿は覆屋の中にあり、一間社流造、こけら葺。組物に出組の詰組を用いた重厚な建築です。様式から元文・延享(1736~47)期とみられる手法で、棟札の示す天明7年(1787)としては古風な感じがします。
 拝殿は虹梁(こうりょう)の絵様から18世紀後期の建築とみられるため、棟札はあるいは拝殿や覆屋再建を指すものかもしれません。なお、規模の大きな神楽殿は明治20年(1887)の再建といわれています。
 加茂神社のスギ 樹高約40m、幹の目通り周囲約6.4m、枝の広がり南へ約15m、北へ約5m、東西に約6m、樹齢は約600年と推定されています。
 加茂神社ねずこ 樹高約30m、幹の目通り周囲約3.4m、枝の広がり南へ約4m、北へ約7m、東西に約5m、樹齢は約400年と推定されています。
  平成24年3月21日
   長野市教育委員会




正面に社殿です、社殿後ろに目的のスギが見えています

狛犬です

境内南側には神楽殿です

目的のスギです、右に天然記念物のネズコが見えます

スギの天然記念物標柱です

ネズコの天然記念物標柱です

少し左から

もう少し左から見ました、ネズコがスギの影になってしまいました

境内社です

杉の根元の高さに登って来ました、西側から

古蹟の石だそうです

では、次へ行きましょう
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長野県長野市、鬼無里日影「白髭神社のウラジロモミ」です!?

2021-09-09 06:31:00 | 巨樹・大木
鬼無里日影地区は、長野市役所の西約19kmのところ

国道406号線を裾花川に沿って西へ、鬼無里信号を左へ、道なりに右へ曲って行きます、長野県鬼無里支所への県道36号線を過ぎて約500m、国道から裾花川を渡る橋の位置口に案内板が有ります

案内板に従って進むと白髭神社参道です

広い駐車場に車を止めました

白髭神社への案内板です

ここは右ですね

次は左へ

ハイキング観光案内図です、しらひげの社コースです

白髭神社です、後方に参道入口が見えています

重要文化財標柱です

手水舎です

参道鳥居です、参道は北東向きになっています

鳥居建設記念碑です
   鳥居建設記念碑
 白髭神社は日影三区の氏神を祀り、本殿は国の重要文化財に指定され、社有林400㌶を所有する古社である。
 今回88年間星霜に耐えた大鳥居が老朽化して改修の必要に迫られ、永久保存のため石造として再建することとなった。
 たまたま、平成10年長野冬季オリンピックの開催にあたり、白馬会場への電力供給のため社有林内に送電線の鉄塔が三基建設されて、中部電力より保証金が得られ、これを建設費として新鳥居が完成した。
 永年にわたる氏子の社有林の護持育成の尽力が実ったことを感謝し、その功績をたたえここにその事由を記した。
   平成10年9月吉日
     白髭神社氏子一同


長い石段を登ります

説明版です
  白髭神社
 縁起に天武天皇遷都の計画に基づき鬼門の守護神として白鳳年間に創立したといい、また鬼女退治の平維茂・平家追討の木曽義仲の祈願所であったと伝えられている。


鬼女紅葉をキャラクターにしているようですが~かわいすぎますね

社殿は東向きです

舞殿(神楽殿)です

社歴の額が掲げ良ています
  社歴
 社号 白髭神社(本殿 重要文化財)
 旧社格 郷社(明治6年4月認証 当寺の日影村・鬼無里村・柵村一円の郷社)
 祭神 猿田彦命
 創立斎祀 白鳳13年天武天皇がこの地に遷都計画を企て鬼門守護神として「白髭大明神」を祀り、天孫降臨の際、道案内した猿田彦命を勧請され、その後白髭神社として鎮守の宮となった。
 武将の祈願 安和2年(929年)荒倉山の鬼女紅葉討伐の平維茂将軍の必勝祈願
       寿永2年(1182年)平家追討のため北陸を目指す木曽義仲が武運祈願
本殿の造り 一間社流れ造り 杮葺き
      母屋は船形肘木を用いた和様の造り、背面の垂木の反りが古風である、向拝は室町時代の特徴がはっきり見える。
  令和2年12月 
    白髭神社社務所

本殿の写真です

拝殿内の額です「郷社白髭神社」となっています  

本殿説明です
  重要文化財
   白髭神社本殿
この建物は
 間口1.3m(四尺五寸五分)
 奥行1.23m(四尺五分)の平屋一間社流造で、屋根は杮葺き、主屋は円柱上に舟肘木を、向拝は角柱に組物三斗を用い、主屋と子向拝を蝦虹梁で繋いでいる。
 室町時代の建築で角柱の大きな面取木鼻やに紅梁及び懸魚などに時代の特色を示している。殊に木鼻や紅梁の渦巻に二葉の若葉を加えているのは珍しい手法である。
  平成17年1月1日
    長野市教育委員会
    白髭神社


本殿覆い屋は鉄筋コンクリートですね

境内南側山の斜面に境内社です

境内社参道のおみくじ掛です

目的のウラジロモミは、社殿の右側後の林の中です

二本在るようですが良く解りませんね~

目通り幹囲4mほどのウラジロモミが在るはずなのですが、藪が濃くて見通せませんでした

では、次へ行きましょう

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長野県長野市、戸隠上祖山「南方神社のスギ」です!!

2021-09-08 06:29:00 | 巨樹・大木
 戸隠上祖山地区は、長野市役所の西約13kmのところ

 国道406号線を裾花川に沿って西へ、新しくなった国道の志垣トンネル・祖山トンネルと連続して貫けると間も無く国道右手(北側)に南方神社本殿参道の道標が建っています、南方神社は集落の中を南側の山の斜面を上がって行きます

 参道入口に車を止めさせて頂きました



国道脇の南方神社本殿参道標柱です

参道入口です

県宝南方神社です

水盤には水が滾々と流れています

説明プレートです
 長野県宝南方神社本殿
  文化財保護条例(昭和35年長野県条例第43号)第2条の規定により昭和37年7月12日指定
 文献史料がないので年代ははっきりしないが、組物蟇股木鼻などの様式からみれば室町時代末期から桃山時代までの間に建てられたものと考えられる。
 光背の柱の面はかなり大きく古様である、しかし母屋柱の床下部は八角となって年代はややくだるようである。
 後補がわりに少なく建立当初のままを伝えており、この地方の文化を理解するうえに価値高い建物である。
   昭和39年3月31日
   長野県教育委員会

説明版です
  県宝
  南方神社本殿
 本殿は一間社流造りで、細部その他様式上から室町時代後期(16世紀中頃)の建築と認められ、ごく一部に補修の跡が見られるが、造顕当初のままをよく伝えている貴重な文化財である。
   昭和37年7月 長野県宝指定

石段の上に朱色の鳥居です

鳥居右手にはスギの大木です

鳥居下から境内超しに社殿です


社殿前境内には御柱が建ちます


狛犬です

社殿軒下の由緒書です
 南方神社由緒  戸隠村上祖山鎮座
沿革
 当社は往古諏訪大明神といい、のち南方神社と改称した上祖山村の鎮守である
 創立年代は不詳であるが、室町期にさかのぼることができ、社伝によれば領主または社家によって諏訪神社の分霊が勧請されたという。祭神は建御名方命で、明治期に区内7社が合併し6神となった。
 社歴は概ねつぎのとおりである。
 慶長9年(1604)松代城主松平忠輝から神領高一石寄進、大久保長安黒印状がある。
 寛政6年(1794)諏訪大明神を南方神社と改称神祗管領長上家の宣告を受領。
 明治41年(1908)行政指導により区内6社を合併、翌年1社追加合祀。
 明治43年(1910)勅令による神饌幣帛料供進神社に指定(古社条項)。
 昭和28年(1953)3月宗教法人南方神社(神社本庁承認、長野県認証)成立。
 昭和37年(1962)本殿が県宝に指定。
  県宝指定
 本殿は室町末期の建築様式をもつ遺構として、長野県文化財保護条令によって県宝に指定された。
 学術調査は、昭和24年以来10年間にわたって,長野県文化財保護委員会米山一政委員長、新潟大学教授金原省吾博士、東京大学教授太田博太郎博士によっておこなわれた。
 昭和36年(1961)県教育委員会調査
 昭和37年(1962)7月12日県宝指定(長野県教育委員会告示第5号)
 昭和38年(1963)県宝指定奉告祭
   平成6年5月3日600年祭掲額




本殿は覆屋の中です

社殿前境内右手に目的のスギです

境内右手の建物は舞殿(神楽殿)のようです

スギを南側から

南東側から、目通り幹囲5.8mの巨木です

北側から見ました

では、次へ行きましょう
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長野県長野市、戸隠祖山(平出諏訪神社・道祖神)「平出の夫婦栂」(市指定)です!!

2021-09-07 06:20:00 | 巨樹・大木
 戸隠祖山平出地区は、長野市役所の西約11kmのところ

 国道406号線を西へ、裾花ダムをすぎ裾花トンネルを貫けて戸隠橋を渡ると間も無く県道86号線が南側の地蔵峠へ向かっています(地蔵峠までの道は平出集落の上で土砂崩れの為通行止めになっています)、

 平出集落の西端に諏訪神社が南向に鎮座します、参道入口に車を止めさせて頂きました

国道406号線から県道86号線への入り口です、天然記念物平出の夫婦栂の案内板が有ります

県道を登って来ました、まもなく平出集落です、まずは雄株に行きましょう


集落の中を登って諏訪神社参道です、イチイの梢が見えました

諏訪神社社殿とイチイです

説明版です
 天然記念物
  平出の夫婦栂(雄株)
   樹高18.0m
   幹囲 6.8m
 諏訪神社の御神木、平維茂が植えたという伝説がある。
 樹齢1000年を超える、県内有数のイチイの古木。
 雌株はこの南東約200mの道祖神にある。
   昭和47年11月1日指定

社殿です

南東側から

東側社殿前から見ました

社殿脇(北側)から、根元には大きな洞が出来ています

社殿の西側に祠が有ります

西側から

南西側から

では、雌木に行って見ましょう

県道に戻って地蔵峠側に進みます

車両通行止めになっています、この先の右カーブの内側のはずです

県道から諏訪神社を見返りました

UPにズームしました

カーブのところに入口が有ります

イチイの雌株が見えて来ました

太い幹が見えました

根元に道祖神の碑が建っています

南側から

説明版です
  天然記念物
   平出の夫婦栂(雌株)
    樹高13.5m
    幹囲 4.2m
 道祖神の御神木,
 平惟茂が植えたという伝説がある。
 樹齢1000年を超える、県内有数のイチイの古木。
 雄株はこの北西約200mの諏訪神社にある。
   昭和47年11月1日指定

東側から

北東側から

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長野県長野市、桜「中村のサルスベリ」(市指定)です!!

2021-09-06 06:16:00 | 巨樹・大木
桜地区は、長野市役所の北西約6kmのところ

 国道406号線を西へ、頼朝山トンネル東信号を左へ県道76号長野戸隠線へ入ります、道なりに高度を上げて行くと、道路右側に神代桜800mの案内板が有ります、ここは左へ県道を進みます、間もなく芋井公民館があります、県道がジグザグに登って行く先に紅色の花を付けた大きなサルスベリが見えました

 すぐ上の県道脇に広い場所が有りましたので
車を止めさせて頂きました

長野市芋井支所です

芋井マップです、支所のすぐ左に「中村のサルスベリ」が描かれています

芋井支所そばから見上げた「中村のサルスベリ」です

上の県道まで上がって来ました、「中村のサルスベリ」入口です、周りはリンゴ畑です

百日紅の上へ降りて来ました、根元は見えませんが、三分咲き位に紅色の花が咲いています

根元の高さに下りて来ました

幹の太さ約3mの大木です


天然記念物標柱です



説明版です
  長野市指定天然記念物
   中村のサルスベリ
  平成9年4月1日指定
 サルスベリは、中国南部原産の落葉高木樹で日本には江戸時代初期に伝来したといわれている。
 観賞用として庭園等に植えられているが、花期の長い花のため、仏花としても親しまれ、寺院や墓地に植えられていることも多い。
 指定木は、推定樹齢200年余で県内では、老中の類にはいる貴重な樹目である。規模は、根元の幹回りが約3m、樹高約8mの大きさを誇る。
 幹の肌に特徴があり、つるつるで皮が剝げやすく、その滑らかな木肌の状態から木登りの上手なサルも滑り落ちることから、サルスベリの名が付いたとされる。材は粘りがあり、堅く腐りにくいので、農具の柄やステッキ、ろくろ細工に用いられる他、皮つきのまま茶室の床柱とされることもある。
 盛夏から秋にかけて枝先に円すい花序を出して、美しい紅色の花が集まって付き、次々に咲く。漢名の百日紅は、百日にもわたって咲く意味をもつ。
  平成30年12月26日
   長野市教育委員会

南西側から見ました

南側から

では、次へ行きましょう

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長野県長野市、泉平「素桜神社の神代桜」(国指定)です!!

2021-09-05 06:27:31 | 巨樹・大木
泉平地区は、長野市役所の北西約5kmのところ

 国道406号線を西へ、頼朝山トンネル東信号を左へ県道76号長野戸隠線へ入ります、道なりに高度を上げて行くと、道路左側に神代桜800mの案内板が有ります、まだまだ曲がりくねった登りが続きます

 素桜神社の参道入口前に車を止めさせて頂きました



神代桜の案内板が有ります

芋井マップです、図面右泉平に神代桜が描かれています


入口です

大きな神代桜の看板です

説明版が有ります
  謡曲「素桜」と神代桜
 神代桜は樹齢1200年とも推定されるエドヒガン桜。国の天然記念物に指定されております。
 謡曲「素桜」は明治31年、観世宗家によって、この老桜の伝説から作られました。長野の住人が桜見物に来ると一人の里女が「この桜は昔、神が植えたもので神代桜と呼ばれ、たぐい少ない木なので素桜とも言う。御神体は八坂刀売命」と教える。
 男が桜の下でまどろんでいると、里女は花の精となって現れ、桜を賛美して舞い、明け方、春霞とともに消えて行く。
 平成4年春、老桜に大がかりな手術が行なわれてよみがえり、謡曲も明治本が分かりやすく改訂されました。
   謡曲史跡保存会

では、階段を上がりましょう


正面に素桜神社です

参道左手に神代桜です

大きな天然記念物標柱です「天然記念物素櫻神社之神代櫻」の文字が刻まれています


南側根元から


説明版です
 国指定天然記念物
  素桜神社の神代ザクラ
   昭和10年12月24日指定
 この桜は泉平集落の西方にあり、神代桜と呼ばれ、この地方で知られたる名木である。
 その昔、素戔嗚尊がこの地で休んだ時、手に持っていた桜の枝を池辺に挿したものが根付いて成長したものと伝えられる。明治時代には、この老桜伝説から謡曲「素桜」が作られている。
 指定木は、エドヒガンの種類で別名アズマヒガン、ウバヒガンとも呼ばれ、桜の中では長寿の種であることが知られており、国内各地に、天然記念物の巨木とされるものがある。
 根回り約9m、目通り周辺は11.3mで、幹の下の方から三本の大きな枝幹に分かれている。推定樹齢約1200年の巨木で開花期には華麗な花を咲かせる。
 当市内における最も重要な天然記念物の一つである。
   平成30年1月30日
    長野市教育委員会



南東側から

東側の路地から


東側の鳥居下から


何時もの天然記念物標柱は素桜神社鳥居脇に有ります

北側の石碑です

明治31年春の神代桜記の石碑です




北側から

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長野県長野市、山田中「余五将軍駒つなぎのイチイ」(市指定)です!!

2021-09-04 06:28:22 | 巨樹・大木
山田中小野平地区は、長野市役所の西約8kmのところ

 国道19号線小市西信号から県道406号入山小市線です、道なりに進んでだいぶ登って来ました、長野市小田切支所前に観光案内図がありますので確認します、目的の小野平は支所から更に上に登った山の上のようです


小田切観光図です、左上に目的の「駒つなぎ一位」の文字が見えます

小田切支所です

分かれ道の案内板です、ここは左ですね

ここは右へ進みます

山の上に上がって来ました

戸隠への道路を進むと建物の屋根の上にイチイの梢が見えました

集落の中からの道を進むと道路右手に目的のイチイです

鳥居と祠が有ります(西側から)

天然記念物標柱です

説明版です
 天然記念物
  余五将軍駒つなぎのイチイ
   長野市指定文化財
   昭和49年7月20日指定
 指定木のイチイは、むかし信濃守余五将軍平維茂(万寿元年=1024年、80歳で没と伝えられる)が鬼女紅葉討伐の時この地に宿り、駒をつないだと伝えられる老樹である。
 昭和8年長野県史跡名勝天然記念物調査報告書で「人口に、膾炙せる伝説を有する上に、稀に見る大木なれば保護の要あり」とされ、旧県指定を受けた雌木nお名木である。
 その当時の計測によると、目通り周囲4.55m、高さ13mぐらいとあるが、約40年後の昭和49年の計測では目通り周囲4.30mとなっている。
 幹の内部はうろになっているが周囲は生きており、枯死した大きな枝は特に見られないが、老樹のためか、ほかのものに比べて葉や実が小型である。
 イチイは別名アララギともいい、日本・朝鮮・中国北部・東シベリアなどに分布する雌雄異株の東亜の植物である。日本ではこの材で笏を作ったので、位階の正一位・従一位などの一位からこの名がつけられたという。
 この指定木は樹齢が1000年を経ているかは疑問であるが、市内の古い伝説に関係ある老樹として得難いものである。
  平成7年2月10日
   長野市教育委員会
   余五将軍駒つなぎのイチイ保存会

保存会の石碑です「駒つなぎかりの宿りの小野平 富士を南に北は戸隠」と維茂が詠んだそうです

北東側から

東側から


北側から見ました


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長野県長野市、小鍋「国見のイチイ(三ッ木の栂)」(市指定)です!!

2021-09-03 06:19:55 | 巨樹・大木
小鍋国見地区は、長野市役所の西約8kmのところ

 国道19号線小市西信号から県道406号入山小市線です、道なりに進んでだいぶ登って来ました、長野市小田切支所前に観光案内図がありますので確認します、ここからは県道401号小川長野線を北東方向へ進みます、ほどなく国見集落入口です、すぐ下の公会堂の脇に目的の「国見のイチイ」が在ります

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

小田切観光図です、真ん中上に目的の「三ッ木の栂」の文字が見えます

小田切支所です

国見入口です

すぐ下側にイチイです

東側から

南側から

天然記念物標柱です

公会堂の軒下に説明版です
  天然記念物
   国見のイチイ(一位)別名”三ッ木の栂”
    長野市指定文化財
    昭和42年11月1日指定
 イチイは別名をアララギ・ミネゾ・トガ等ともいわれる常緑高木で、実は美しい紅色を呈し、甘味があって食べられる。材は木目が緻密で優美なので彫刻、細工物、床柱などに多く用いられている。また鉛筆材としても最優秀品とされている。
 一位(いちい)とは、木材として最高の品位を持つことを意味し、笏の材として用いられている。
 このイチイは、雄木で樹高19m、目通り周囲7mで、枝張り直径約17m、樹齢は推定700年で樹勢も盛んである。口伝によると、往古、八百比丘(僧)が村の鎮護と繁栄を祈って、正三角形に三本のイチイを植え、その中央でゴマをたき、草堂をたて日夜読経し果てたという。そのためこのイチイのことを別名「三ッ木の栂」とも呼ばれているが、三本の内一本は火災で、他の一本は枯死し今はなく、その後株は昭和の初期まで残っていた。
 この指定木は、旧県指定を受けた名木であり、市文化財として貴重である。
  平成3年3月1日
   長野市教育委員会
   国見のイチイ保存会
   小田切地区観光協会




南西側から

西側から見あげました

北西側から

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長野県長野市、七二会戊「赤岩のトチ」(市指定)です!!

2021-09-02 06:31:00 | 巨樹・大木
七二会戊(坪根)地区は、長野市役所の西約9kmのところ

 国道19号線を西へ(犬戻トンネルの西詰めが土砂崩れの為片側交互通行した),明治橋を渡って間もなく瀬脇信号を右(北)へ入ります、道なりに坂道を上って行きます、長野市役所七二会支所の前を右(北)へ県道86号線戸隠篠ノ井線です、間もく県道401号線小川長野線を右(東)へ更に道なりに緩く上ります、集落で「赤岩のトチ」の案内板が有ります、集落の中を通って集落上の尾根への道路を上っていきます、間もなく道路右手に「赤岩のトチ」の天然記念物標柱が立っています、赤岩のトチへはここから山道を下ります

 すぐ先に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました


集落の中、坪根バス停の向かい側に「赤岩のトチ」の案内板が立っています

急な坂道を上って、地区の墓地の脇を通り尾根筋の展望台を過ぎてまた古い案内板「赤岩の大橡」が有ります

道路右側に標柱が立っています

天然記念物標柱です

ここを下ります

階段が付けられています

つづら折の山道の先に大きな幹が見えて来ました

すぐ手前にもトチの大木が有ります

大きな幹です

周りの木々のため全体を見る事はできません

根元近くに近づきます

説明版です
 天然記念物
  赤岩のトチ(橡樹)
   長野市指定文化財
   昭和42年11月1日指定
 このトチの木は、推定樹齢1300年といわれ、樹高20m、目通り周囲12.4mあり、上方で7本に枝がわかれており、全国的にも珍しい大木である。
 トチの木は、葉が長柄で大形の掌状複葉で、小さい葉は5~7枚もつ。紅色を帯びた白色の花は大きく、蜜が多いので開花時には、蜜蜂が群集する。
 口伝によると、天長年間(およそ1150年前)にこの樹の下には、百坪ほどの平地があり、樹下から湧き出す清水が発見され「橡の木滝」と称し、以来この木は水神様として崇められてきた。その後、弘化4年(1847)の善光寺地震で広場も滝も崩落したが、トチの木は残り湧水も涸れることなく村人の親水として、生活を支えてきたという。
 トチの木は北海道から、四国、九州の温帯地方に分布しており、街路樹、庭木として植栽もされている、木材は優れた建築材・家具材として珍重されており、またトチの実はタンニンを抜いて昔からトチモチ、トチの実センベイの材料などに用いられた。
 このトチは、旧県指定を受けた名木であり、新日本名木百選にも選ばれており、市文化財として貴重である。
  平成3年6月20日
 長野市教育委員会
 長野市七二会坪根組

右手の岩壁に新・日本名木100選のプレートが有ります、名称は「赤岩のトチノキ」となっています

ようやく全体を確認出来ました


幹は根元から大枝を出しています

祠が有ります


祠の脇から幹を見上げました

では、次へ行きましょう

*トチの木の下側にはロープを伝って行けるように成っていますが、アブが多くて諦めました 
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長野県長野市、七二会丙「性乗寺稲荷社のイチイ」(市指定)です!!

2021-09-01 06:37:00 | 巨樹・大木
七二会丙(岩草)地区は、長野市役所の西約12kmのところ

 国道19号線を西へ(犬戻トンネルの西詰めが土砂崩れの為片側交互通行した),明治橋を渡って間もなく瀬脇信号を右(北)へ入ります、道なりに坂道を上って行きます、長野市役所七二会支所の前を右(北)へ県道86号線戸隠篠ノ井線です、間もく県道401号線小川長野線を左へ更に道なりに緩く上ります

 「曹洞宗性乗寺」の案内板が所々に有りますので迷う事はありません、遠見下で性乗寺と「性乗寺稲荷社のイチイ」の案内板が有ります、案内板に従って進むと岩草集落を抜けた所に性乗寺が有ります

 墓地側の駐車場に車を止めさせて頂きました



案内板があります

磐草地区の案内図です、一番上に性乗寺のイチイの文字が見えます

岩草集落入口です、もう少し先です

また案内が有ります


参道入り口です

参道左手のお地蔵様です

本堂です

本堂の額です「冨景山」山号ですね

鐘楼です


墓地側から本堂を見ました

風穴の案内板です、後で行ってみます


本堂裏側に当たる左カーブのところに案内板が有ります、ここから山道へ入ります

山道は刈り払いがされていてイチイまでは歩きやすくなっています

この先で左にカーブすると間もなくです

杉林の出口にイチイの梢が見えて気ました

イチイです

天然記念物標柱です

説明版です
  天然記念物
  性乗寺稲荷社のイチイ
   長野市指定文化財
   昭和53年3月25日指定
 イチイは、別名アララギ、オンコ、トガともいい、アジア東北部、北海道、四国、九州の低山帯から亜高山帯にかけて分布する。
 イチイの材は古来、神職の笏の材料として有名で、正一位・縦一位などの一位から、この名が付けられたという。
 イチイは、雌雄異株の植物で、指定木は雄株である。樹高18m、幹の目通り周囲3.14m、四方の枝張りは、6~7mある。
 性乗寺が現在地に移転(1582頃)し、稲荷社をまつった頃からあったものと思われる。
 この境内や裏山一帯の樹木中で、一番の老木である。寺の歴史とともにある名木でもある。
   性乗寺
   長野市教育委員会


東側から

南側から

西側から幹を見上げました、根元に祠が有ります

この祠が稲荷社でしょうか

北西側から

では、900mほど移動して風穴を見に行きます


風穴入口です、道路脇に車を止める事が出来ます

石の間から冷たい風が出ています

説明版です
  大平風穴
 萩野山~大平地籍には岩石が堆積し、その地下には空洞域が存在しています。空洞域に浸透した地下水が蒸発する際、周りの熱を奪い、岩石の隙間から冷涼な空気が吹き出す場所を石積で囲い「大平風穴」と呼んで利用されていました。
 気温2~3℃の環境を活かし、明治~大正にかけて、岩草集落の人たちを中心に養蚕・食品の貯蔵庫として活用されていました。
 規模は、概ね間口3.6m・高さ3.6mで、岩草区の記録によると、当時内部は2層の構造となっており、明治43年には蚕種貯蔵枚数26000枚とされています。
 養蚕は往時七二会地域に大きな現金収入をもたらした産業であり「大平風穴」は七二会のみならず、県下の養蚕業に大きく貢献しました。
 本施設は、権利者様の理解を得て、七二会地区住民自治協議会が中心となり、修復、管理しているものです。
 明治時代に構築されたものであり、立入には安全上、十分配慮をお願します。
七二会地区住民自治協議会

では、次へ行きましょう

(8月後半に入って、アブが多数飛んでいます、咬まれて傷痒い思いをしました、ご注意ください)
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