ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

徳島県鳴門市、大津町大幸若宮ノ本「若宮八幡神社のクスノキ)です!!

2024-06-25 20:28:24 | 巨樹・大木
 大津町大幸若宮ノ本地区は、鳴門市役所の西南西約5kmのところ

 鳴門市役所の西側の国道28号線を南西へ進みます、約1kmの「大津町吉永」信号を右(西北西)へ、県道12号線です
 
 約4.1kmで信号を左(南)へ、県道39号線です

 約600mで斜め右へ入ります


 右手奥に大きな樹冠が見えます

 約400mの横断歩道と「大幸バス停」のある交差を右(西北西)へ

 約300mで右手に鳥居が見えます

 参道脇に車を止めさせて頂きました

 若宮八幡神社改築寄付者碑が玉垣の一部に成っています

 参道を進みます

 手水舎です

 社殿です

 *手水舎で水を飲みながら境内で作業をされていた方に挨拶しました、この日は梅雨入り前の気温が高い日で「夏日」です、
 枝打ちをしているので、入らないように注意していただきました

 社殿の北側に目的のクスノキです

 北側へ参道を戻って東側の道路を北へ進み集落を半周しました

 北側から

 枝打ちをしています、左右の大きな幹が根元で繋がっています、右側が目通り幹囲5.1mの巨木だそうです

 案内書きです
   危険
 こちらから神社境内敷地に入り、右側祠の裏を抜けて、神社前に通り抜けする事を禁止します。
 写真のクスノキの枯れ枝が、落ちてくるので危険です。
   大幸総代・神社委員長
 *大きな枯枝の写真が載っています、怪我をした人がいなければよいのですが~

 では、次へ行きましょう


 2024・6・7・11・00
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徳島県鳴門市、撫養町木津「長谷寺のオハツキイチョウ」(市指定)です!!

2024-06-25 12:36:00 | 巨樹・大木
 さてさて、渦潮を見たかったのですが「道の駅うずしお」が改修中でしたので、高い所にある「道の駅うずしおInうずまちテラス」までしか行けませんでしたので、神戸淡路鳴門自動車道の大鳴門橋で鳴門海峡を越えて徳島県に入りました

 撫養町木津地区は、鳴門市役所の西約2.5kmのところ

 鳴門市役所西側の国道28号線を北東へ、約100mの信号を左(西)へ

 約1.8kmの「木津神橋」の所の信号を右(北)へ、JR鳴門線の踏切を渡り先の丁磁路を左(西)へ、旧撫養街道です

 約400mで右側に「長谷寺」入口が南向きにあります

 高野山真言宗 駅路寺 史跡 長谷寺の寺号標です

 すぐ先を右(北)にはいると長谷寺の駐車場が有ります

 新四国 曼荼羅霊場 第二番札所に指定されています

 境内中央に目的のイチョウが樹冠を拡げています

 南西側から、目通り幹囲6.9mの巨木です

 西側から、見通しの良い幹を見上げました

 北西側の幹です、古い幹の上からヒコバエの様な新しい枝が出ています

 北側から

 東側から見ました

 鉄筋コンクリートの本堂です

 阿波北嶺薬師第19番霊場です

 本堂前のソテツの大株です

 改築記念碑です
   改築記念碑
 長谷寺は文明12年(1480)船戸左衛門尉次正が、大和長谷寺本尊と同木の観音像を迎えてこの地に開創。
 以来、細川、三好氏の帰依を受け、特に、三好氏十三貫を奉納しておおいに発展す。
 天正10年(1582)長曾我部の侵攻によって焼失。
 蜂須賀氏入国後、慶長3年(1598)駅路寺に指定され、田畑、山林の寄進を受け、金毘羅大権現の別当として再び隆盛に向う。
 方丈は天正の乱後、慶長6年(1601)5世清雅上人代に建立。
 寛文11年(1671)8世宥継上人代に再建。
 安永 4年(1775)12世寛充上人代に草葺を瓦葺に改修。
 昭和14年(1939)28世興邦上人代に大修理を加う。
 しかし、再建以来三百十余年を経ているため、昭和58年(1983)4月天井の一部が落下、檀徒岡田秀尾氏、多額の浄財を寄せて改築を進言する。
 昭和58年7月 9日 檀信徒一同改築決議
 昭和59年8月25日 旧建物撤去
 昭和59年9月 5日 起工式
 昭和60年9月27日 完工
 昭和61年5月10日 落慶法要

 東側には観音堂です

 境内南東端から境内を見ました

 では、次へ行きましょう


 2024・6・7・10・35
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兵庫県南あわじ市、賀集福井「大日寺の夫婦杉」です!!

2024-06-25 07:28:56 | 巨樹・大木
 ここからは、出来れば一日3回投稿させて頂きますので宜しくお願い致します

 賀集福井地区は、南あわじ市役所の南南西約6kmのところ

 南あわじ市役所西側の道路を南へ、約500mで右(南西)へ、国道28号線です

 約4.8kmの「八幡」信号を左(南東)へ県道76号線です

 約500m左手の大きな樹叢が「淳仁天皇陵」です、更に約1.4kmの交差点を斜め左(東南東)の細い道路へ

 約1.9kmで大日寺山門前に出ました

 右手の道路脇に車を止めさせて頂きました

 賀集山 法華寺 大日寺寺号標です
 
 下り参道を進みます
 
 参道は敷石に成っています

 左手に祠です

 境内社があります

 境内に降りてくると正面にモミの大木です

 西側から境内を見ました

 北西側からモミの木です

 北側から

 鐘楼です

 弘法大師像です

 目的の夫婦杉です

 西側から、細い注連縄で結ばれています

 南内板です
   夫婦杉
 樹齢500年・高さ30m・周囲5.5m
 縁結び夫婦和合に霊験あり
 交合不離の故事は淡国通記に明かなり

 北側から

 北西側から見上げました

 夫婦杉も南側に三社権現です

 案内板です

 直角に曲がると西向きに本堂です

 本堂前から夫婦杉を見ました

 本堂前の疱瘡神社です

 お不動様です

 では、鳴門海峡大橋を渡って徳島県へ行きましょう



 2024・6・7・8・50 
 
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兵庫県南あわじ市、市十一ケ所「市陵墓参考地(伝淳仁天皇初葬地)のクスノキ」です!!

2024-06-24 18:32:43 | 巨樹・大木
 市十一ケ所地区は、南あわじ市役所の西約1kmのところ

 南あわじ市役所の西側の道路を北北西へ、約800mで左(西南西)へ、県道478号線で三原川を西川橋で渡ります

 約200mで斜め左(西南西)へ、約700mで左(南)へ、

 約200mで右(東)へ入ると市陵墓参考地ですが、駐車スペースがないので

 少し南へ進んだ事代主神社境内に車を止めさせていただき歩いて向かいました


 市陵墓参考地(伝淳仁天皇初葬地)が見えて来ました

 南側に入口です

 陵墓参考地の注意事項です

 東側には水路ですが、大きな木は見えません

 西側の道路を進みました

 金網越しの奥に太い幹が見えました

 陵墓参考地北側の道路です

 頂部を伐り払われてしまっていますが、目的のクスノキです

 北側です、目通り幹囲9.0mの巨木です

 北西側から見ました

 では、南あわじ市賀集鍛冶屋の淳仁天皇陵 拝所へ行きましょう

 賀集鍛冶屋地区は、南あわじ市役所の南西約5kmのところ

 南あわじ市役所西側の道路を南へ、約500mで右(南西)へ、国道28号線です

 約4.8kmの「八幡」信号を左(南東)へ県道76号線です

 約500m左手の大きな樹叢が「淳仁天皇陵」です


 南側から見ました

 ここまでです

 当たり前ですが中には入れません

 石柱に淳仁の文字が見えます

 では、次へ行きましょう


 2024・6・7・8・25
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兵庫県南あわじ市、榎列掃守「栄福寺のヤマモモ」です!!

2024-06-24 07:21:22 | 巨樹・大木
 榎列掃守地区は、南あわじ市役所の北約4kmのところ

 南あわじ市役所西側の道路を北北西へ、三原川右岸沿いを進みます

 約1.7kmで三原川左岸側の道路へ移り北北西へ

 約1kmで信号を斜め右(北東)へ、県道66号線です

 約1.0km高速道路の下を潜った「掃宗」信号を過ぎると左手に「木戸市池」が有り、間も無く栄福寺の案内板が有ります

 「高野山真言宗 栄福寺」は池の対岸(北西側)なので、左(西)に入って約200mで右手に参道入口です

 反対側に駐車スペースがあります

 参道左に目的のヤマモモの木です

 北東側から、太い注連縄が巻かれています

 北側から、後方の建物は開山堂です

 太い幹は、目通り幹囲3.8mの大木です

 北西側から見ました

 おのころ放光観世音菩薩です
 古事記や日本書記によりますと、伊弉諾尊と伊弉冉尊が始めて国生みをされたのが、おのころ島と云い伝えられております。
 現在私達の住む地球は、環境汚染や天変地異により、自然が破壊されつつあります。
 このような時に、観世音菩薩がおのころ神社の近くの栄福寺にお姿を現して下さいますのは、誠にありがたい事と思います。
 御仏の御力により、地球の安泰と生きとし生きた方々と、生きとし生きておられる方々のお幸せを祈念して、この観世音菩薩を建立させて頂きます。
    美しき 国護らんと 観世音 神生み給う おのころに建つ 
      平成17年11月23日 観音奉賛会

 手水舎です

 境内南東側に石仏が並びます

 南西向きに不動堂です

 修行大師像です

 本堂は南東向きに建っていて、笊で出来た額の「八臂弁財天」が懸かる鳥居が在りますが、本尊は不動明王です

 南あわじ市指定文化財の三尊像案内板です

 本堂前からヤマモモの木を見ました

 参道右手に鳥居が有ります

 石段を上ると祠が並びます

 では、次へ行きましょう
 
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兵庫県南あわじ市、松帆櫟田「日光寺のビャクシン」です!!

2024-06-23 18:48:58 | 巨樹・大木
 松帆櫟田地区は、南あわじ市役所の北西約6kmのところ

 南あわじ市役所西側道路を北北西へ、三原川右岸沿いを進みます

 約1.7kmで三原川左岸側の道路へ移り北北西へ

 約1kmで信号を斜め右(北東)へ、県道66号線です

 約800m高速道路の下を潜った「掃宗」信号を左(西北西)へ、県道125号線です

 約1.6kmで鋭角に右(北)へ、目印はJAあわじ島松帆センターです、約100mで突き当りを左(北西)へ

 約1.1kmで倭文川を松木橋で渡って、更に約100mで斜め右(北東)へ入ると間も無く

 山門です

 法性山 上宮院 日光寺です

 山門を入った境内に車を止める事が出来ました

 境内東端に鐘楼です

 中央に大きな宝篋印塔です

 大きなソテツが境内に数株見る事が出来ます


 布袋尊です


 聖徳太子像です

 本堂です

 由来石碑です
   法性山上宮院日光寺由来
 当山は、推古天皇21(西暦613)年仲秋、時の摂政聖徳太子が初めてこの地に行幸され、慶野海浜の浪間に漂う一つの筥を獲り、これを開かれた処、如意輪観世音の尊像であり、常に御身を離さず尊信護持されていたが、たまたま奇瑞の事あり七堂伽藍をその場所に創建、用明、推古両帝の御木像並びに聖徳太子御自身の御木像を安置。
 さらに如意輪観世音の尊像を写彫して、御本地(観音堂)に崇祭。
 産宮を鎮守として御自身の御名上宮聖徳勝鬘の二字を冠し、上宮院日向寺と号して南海道仏法最初の霊場と定められた。
 然るに創立以来700年を経る中、兵乱、地震、津波、大風、洪水等の天変のため、伽藍悉く廃頽したのを元亨年中、因幡の国の一阿聖人霊夢を感じて海路を渡いでこの地に訪ね来り。
 不思議にも当国の一阿という同名の禅尼とこの場所で遭遇。互いに夢を語ってその奇瑞を喜び、忽ち再建の志を一つにして広く道俗を勧奨、浄財を集めて旧観に復したのであります。
 この時に寺名が、州号(日向の国)にに混じやすいとの事由で「日向」を「日光」に改め一阿聖人を中興とされたと古記に記されてあります。
 時恰も御醍醐天皇の御代に当たり、現存する大なる五輪塔(県文化財)の中央に元享2(西暦1322)年11月4日と誌されてあるが、一阿聖人の碑と伝承されている。
 又明応年間(1492~1501)にも再興の記録があり。以来星霜を経て、永禄6(1564)年の大地震に太子寄進の田園20町歩悉く荒野となり、後に松生えて日光寺松原と称する様になった。今尚残る中御堂屋敷跡周辺一帯がそれである。
 檪田現在地に移転の歳月は詳らかではないが、恐らく明応年間以降と推測される。その頃の勧進状に「後に峨々たる高山あり、前に冷々たる蒼海あり」と記されているところから案ずると、正しく海浜近くにあった事が立証され、数度の天変を恐れて現在の平地に移転してきたことが窺われるものであります。     「日光寺縁起」より

 本堂東側に薬師堂です

 不動堂です

 不動堂の後に目的のビャクシンの樹冠が見えます
 
 寺務所手前にビャクシンです

 夫婦柏槇樹の石碑です

 説明書きです
 この柏槇は樹齢約750年といわれており、柏槇では淡路島の中で最も古いとされている天然記念樹です。
 二本の大樹が寄り添うように重なり合い枝分かれしている様子から、古来より「縁結び」「子宝成就」「男女和合」「夫婦円満」など御利益があるとされ、夫婦柏槇樹として大切にお祀りされてきました。
 皆様にも良き「ご縁」がございますよう是非大樹に触れていただきお参り下さい。
       山主敬白

 北西側から
      
 北側から、合体木ですが目通り幹囲5.7m、樹高20mの巨木です

 北東側から見上げました

 では、次へ行きましょう


 2024・6・7・7・30
 
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兵庫県洲本市、五色町鳥飼中「鳥飼八幡宮のホルトノキ」(市指定)です!!

2024-06-23 06:31:33 | 巨樹・大木
 五色町鳥飼中地区は、洲本市役所の西15km、洲本市役所五色庁舎の南南西約5kmのところ

 洲本市役所五色庁舎東側の「都志」信号から県道31号線を南西へ「淡路サンセットライン」です

 約5.4kmの「鳥飼川」にかかる「鷹橋」の手前を左(南東)へ、鳥飼川右岸に沿って進みます

 約800mで丁字路を左(北東)へ出ると

 すぐに南向きの鳥飼八幡宮参道入口です

 「石清水 八幡宮 鳥飼別宮」の社號標です

 説明版です
   鳥飼八幡宮
 鳥飼八幡宮は、京都石清水八幡宮淡州別宮として勧請されました。
 境内には露盤の上に鳳凰を据えた国指定重要文化財である神輿や淡路最古の建築遺構で県指定文化財でもある本殿、町指定文化財にもなっている大変珍しいホルトノキの巨木があります。
 また、秋祭りの最後に直径80cm、長さ30mの大綱を浜と陸に分かれて氏子たちが引き合う「大綱引き」は豊漁、豊作を占う行事で、江戸時代の「淡路国名所図絵」にも描かれた有名な綱引きです。
    近畿自然歩道・環境庁・兵庫県

 鳥居です

 参道左手に目的のホルトノキです

 南側から、参道側の大枝は伐られてしまっています

 東側から、西側の鳥飼保育園側には大きな枝が伸びています

 ソテツの葉の影に説明版です
   町指定文化財(天然記念物)ホルトノキの巨木
     昭和62年11月20日指定
 ホルトノキ(モガシ)は、千葉県から西の暖かい地方に生える常緑高木であるが、県下では淡路島にのみ自生し、淡路島でも主として五色町、三熊山、由良とに自生しています。
 五色町では、神社、寺院や個人の屋敷内などに生き残っており、現在五カ所に確認しています。
 この木の大きいものは、通常幹回り6m、になるとされているが、本物件のように、目通り幹回りが4.1mに及ぶ巨木は極めて珍しく、天然記念物にして保護する価値がある。
 ●樹種名・ホルトノキ(モガシ)
 ●樹高・17.1m●根回り8.0m●目通り幹回り4.1m回り●枝張り・東へ10.0m・西へ7.6m、南へ7m、北へ4.5m
 ●推定樹齢600年
    昭和63年3月    五色町教育委員会

*平成18年(2006)2月11日に 津名郡五色町と洲本市が対等合併し、改めて洲本市が発足しました。


 北東側から 

 すぐ北側にはソテツの大木です

 手水舎です

 ニノ鳥居です

 石段の上には神門です

 神門を潜ると右手にはイブキです

 左手にがクスノキです

 力石です、これで150kgですね

 拝殿です

 本殿です

 由緒石碑です
   鳥飼八幡宮由緒
由緒
 平安時代の貞観元年(西暦859年)京の都、朝廷の守護神として男山に石清水八幡宮が鎮座されてより数年後、淡路島の八幡宮として淡路島鳥飼別宮が造られたといわれている。
 明治6年郷社、大正11年県社、昭和27年鳥飼八幡宮
御祭神(本宮と同じ)
 応神天皇(おうじんてんのう)
 比売大神(ひめおおかみ)
 神功皇后(じんぐうこうごう)
御神徳
 豊作・大漁・厄除開運・家内安全・海上安全・交通安全・知徳向上・勝負運などの守り神として広く崇敬されている。
例大祭
 10月第3日曜日
 勇ましい神輿や舟檀尻、布団檀尻、大太鼓の練り寄せ、大綱引きなどで賑わう。
文化財
 神輿(平安時代)国指定重要文化財
 本殿(慶長8年)県指定重要文化財

 説明版です
   県指定文化財 鳥飼八幡宮本殿
     指定年月日 昭和42年3月31日
     所有者・管理者 鳥飼八幡宮
 鳥飼八幡宮は、京都石清水八幡宮の別宮として建立された歴史を持つ。
 現本殿は棟札から慶長8年(1603)に再興されたものであることが確認されている。
 建築様式は、三間社流造りで、杮葺の屋根を現在銅版葺で覆っている。
 向拝の一部、扉、縁回り、屋根などに補修の跡が見られる。
 蟇股、手挟、笈形などの形はよく桃山時代の建築様式を示しているが、彩色が失われているのが惜しまれる。
 古建築の少ない淡路島にあっては、貴重な建築遺構である。
     平成7年2月


 本殿東側の境内社です、左が若宮神社、真ん中が織姫神社、右が天神社です

 本殿西側のイブキです

 高良神社です

 二社宮は左に天照皇大神・恵美須大神・ーーーーー、出雲大神と右に太子殿です

 左に月讀神社、右に日讀神社です

 玉垂神社です

 社務所前にはイチョウですが小さく切り詰められてしまっています

 では、次へ行きましょう


 2024・6・7・7・10
 


   
 
 
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兵庫県洲本市、五色町鮎原南谷「河上神社天満宮のイブキ」(県指定)です!!

2024-06-22 18:47:20 | 巨樹・大木
 ここからは2024年6月7日取材分です、今日は淡路島の取材を終えたら徳島県へ移動します

 五色町鮎原南谷地区は、洲本市役所本庁舎の北西約10km、洲本市役所 鮎原行政連絡所のあるところです

 洲本市役所 鮎原行政連絡所の西側の県道46号線を北西へ、約200mの「鮎原」信号の直ぐ先の交差点を右へ

 河上神社参道が南向きに出ています、鳥居です

 参道西側の県道沿いの電話ボックス脇に車を止めさせて頂きました

 山門です

 右側には自然石の川上神社の社號標です

 左側には、天萬宮です

 参道を進みます、太鼓橋で都志川を渡ると

 手水舎です

 延喜式内社の石碑です

 鳥居です

 境内に入ると正面左に目的のイブキです

 天然記念物標柱です、「檜柏 兵庫縣」の文字が見えます

 南東側から、北側に倒れています

 御神木の石碑です

 御神木縁起の石碑です




 東側から

 北東側から

 北側から

 説明版です




 

 南西側から

 拝殿です

 本殿ですが木々が塞いでいて判りませんでした

 境内東側に境内社が並びます

 では、次へ行きましょう

 
 2024・6・7・7・00
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兵庫県南あわじ市、神代國衙「八幡神社(鎮守神社)のクスノキ」です!!

2024-06-22 06:30:18 | 巨樹・大木
 神代國衙地区は、南あわじ市役所の南西約3.5kmのところ

 南あわじ市役所西側の道路を南南東へ、約500mで国道28号線を右(南西)へ出ます

 約3.3kmの「国衙東」信号を右(北)へ、約200mで左(西)へ細い道路を入ると

 先の交差点の右側に八幡神社が南向きに鎮座します

 すぐ南側の道路脇に車を止めさせて頂きました

 境内に入ると水盤です

 境内左手に目的のクスノキです

 南東側から、目通り幹囲5.7mの巨木です

 東側から、枯れ枝が目立ちますが、葉は沢山付いています

 北東側から見上げました

 八幡神社社殿です

 隣の寺院の入り口(南南西側)から見ました

 大きなソテツです、バス停は「鎮守神社前」となっています

 では、今日の取材はお終いにして、道の駅福良へ移動しましょう
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兵庫県南あわじ市、賀集野田「若宮神社の巨木(クスノキ)」です!!

2024-06-21 18:32:38 | 巨樹・大木
 賀集野田地区は、南あわじ市役所の南西約4kmのところ

 南あわじ市役所西側の道路を南南東へ、約500mで国道28号線を右(南西)へ出ます

 約3.3kmの「国衙」信号を左(南)へ、約200mで信号を左(東南東)へ

 約200mで道路左に若宮神社です

 境内に車を止める事が出来ました

 若宮神社社號標です

 南南西向きに若宮神社社殿が鎮座しています

 古い水盤です

 目的のクスノキです

 東側から、幹は途中で折れてしまっているようです

 北東側から、北側面は大きな傷になっていますが、目通り幹囲4.5mの大木です

 北側から、大きな穴が開いています

 北東側には目立つカヤノキが二本立っています

 では、次へ行きましょう


 2024・6・6・17・50

 
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兵庫県南あわじ市、八木馬回「成相寺のイブキ」(市指定)です!!

2024-06-21 06:39:54 | 巨樹・大木
 八木馬回地区は、南あわじ市役所の東南東約4kmのところ

 南あわじ市役所西側の道路を南へ、約500mで国道28号線を左(東北東)へ出ます

 約500mの「立石」信号を右(南南東)へ、周りは日本一の玉ねぎの生産地です

 玉ねぎを吊るし乾燥させる建物や、収獲を行う特殊な運搬機が走っています

 約1.5kmで「食肉御三昭」の看板を斜め左(東)へ坂道を上って行くと右手に「皿池」という溜池が見えます

 約1.4kmの左手に墓地のある交差点を左(北東)へ

 約200mで右手に成相寺の山門が見えて来ます

 山門西側の「成相ふれあいセンター前に車を止めさせて頂きました

 薄くなってしまっていますが、サイクリングコースの案内図です、成相寺は真ん中下側です。
   ■まちの紹介
 三原町は淡路島の南部、三原郡の中央に位置し三原平野の大部分を占め中央を三原川・成相川などが流れ、気候・風土に恵まれ、古くから淡路の政治・経済・文化の中心として発展してきた。
 古事記の国生みの神話に登場する伝説の地、おのころ島は本町の榎列(えなみ)にある。
 島の最高峰諭鶴羽(ゆするは)山(608m)が本町の東部にそびえ、ゆずるはダム・上田ダム・成相ダムを擁し、三原平原をうるおし、広大で肥沃な平野で水稲を中心に玉ねぎなどの新鮮で多彩な野菜が栽培されている。
 こうした豊かな緑と清流による田園風景と渓谷美が人々の心をなごませ、春の桜・夏のホタルなど情緒豊かな自然にふれることができ、楽しみとやすらぎを与えている。

 *平成17年(2005)1月11日に 三原郡全町の三原町、緑町、西淡町、南淡町の4町が新設合併し、南あわじ市が誕生しました。

 擁護山 成相寺山門の仁王門です

 薬師如来の石碑です

 山門を潜ると境内左手に目的のイブキです

 南東側から

 説明版です
   市指定天然記念物(いぶき)
 寺伝によれば、この木は中興の相実弘上人のお手植えで、樹齢数百年といわれる。
 幹廻7.0m、高さ16m、東西14m、南北16m巨木に成長したこの種のものは淡路島内では唯一の存在であり町指定天然記念物とした。
 *三原町時代に天然記念物として指定され、南あわじ市に成っても受け継がれています。

 南西側から

 西側から

 北側から

 歌碑です

 宝蔵でしょうか

 大きな宝篋印塔です

 本堂です

 説明版です
   国指定重要文化財
     成相寺本尊木造薬師如来立像(彫刻)
 当成相寺は、寺伝によると、仁治4年(1243)高野山と根来寺の争乱に関係して淡路に配流された高野山悉地院の実弘上人が、高野山に模して寺院を営んだのが始まりいわれている。
 しかし、貞応2年(1223)の「淡路国大田文」に成相寺の名が見えるので、実弘上人が来島したときには、すでに成相寺があったことになる。
 本尊の木造薬師如来立像は、像高156.2cm、大粒の螺髪を植えつけた頭部、厳しい容貌、きりりと結ばれた唇、伏目ながら切れの深いまなざし、よせ返す波を文様化した翻波式の衣文等、まことに端麗で力強く、また、右手で施無畏の印を結び、左手に薬壺を持って蓮華座の上に直立する姿態は、豊満で重厚な桧の一木彫成の像であり、平安初期の作で、島内で最も古い仏像である。
 明治34年8月2日、国宝に指定され、現在は国の重要文化財に指定されている。
 なお、この寺には、昭和49年3月22日、兵庫県の重要文化財に指定された、室町時代後期の作といわれる絹本着色成相寺伽藍絵図が保存されている。
      南あわじ市教育委員会

 境内南東側には石仏や五輪塔等が集められています


 阪神淡路大震災にる修理に関する石碑です
   擁護山成相寺中門並びに毘沙門・持黒・二天修復勧進の序
 擁護山成相寺は、仁治4年(西暦1243年)に高野山悉地院実弘上人により再興され、その後百年を経て暦応3年(西暦1340年)細川師氏が淡路守護職となり、現在の中八木の大土居に舘を定め、それから約174年成相寺の復興に力を注ぎ、本堂、中門、大門、聖天堂、六角堂、大師堂、奥の院等々又大慈院、明王院、長福院、善如坊、眞崇院、遍昭院、影仙院等の僧房を有し、淡路高野と親しまれ其の様子は、現存する県重文指定成相寺伽藍絵図により当時の隆盛が偲ばれます。
 永正14年(西暦1517年)に四国の三好之長に滅ぼされて、以後施主を失い建物は次々と無くなり、元禄年間には、本堂、大日堂のみとなり、中門もなく柱石のみとなりました。
 その後、正徳5年(西暦1715年)に寺内村の山口多助氏により中門が再建され、その後宝暦6年(西暦1756年)に馬囬村の水田道悦氏が寄付を募って復旧し、後に明治33年に講中、寺内組長坂大吉、清水新蔵、大久保組原田市太郎、清水兵三、鳥居組大浜音蔵、島田島五良、馬囬組堤六郎、水田勘平各氏のお世話に依り修復されました。
 又、昭和50年には、寺総代入谷繁氏、寺役員等のお世話に依り修復工事を行っています。
 今回、平成7年1月17日の阪神淡路大震災に依り、中門及び毘沙門・持黒二天が破損し、大修理をしました。

 では、次へ行きましょう

 2024・6・6・16・50



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兵庫県洲本市、鮎屋「楠神社のクスノキ」です!!

2024-06-20 18:38:25 | 巨樹・大木
 鮎屋地区は、洲本市役所本庁舎の南西約7kmのところ

 洲本市役所本庁舎北側の県道76号線を西へ
 
 約700mで洲本川を潮橋で渡った「新潮橋北詰」信号を左(西南西)へ、国道28号線です

 約700mの「青雲橋北詰」信号で左(南西)へ、洲本川を青雲橋で渡り返します、まだまだ国道28号線です

 約1.5kmの「宇原」信号を左(南)へ、約300mの「池田橋」信号を右(南西)へ、県道473号線です

 約700mで「鮎屋の滝・鮎屋ダム」の標識に従って斜め左(南)へ、県道534号線です

 約2.9kmで「鮎屋の滝⇒」の標識を斜め右(西)へ、約400mの茶色の壁の建物と所を右(北西)へ入って直ぐ斜め左へ

 坂道を下るように進むと道路左手に大きな幹が見えました

 北側の一段高い道路から楠神社を見ました(北西側から)

 回り込む様に進むと広場があり奥にクスノキ見えます

 鮎屋班消防器具庫の建物です

 建物脇に車を止めさせて頂きました

 西側から目的のクスノキです

 南側から、目通り幹囲9.0mの巨木です

 東側から

 北東側から、何本かの合体木なのかもしれません

 北側から楠神社の鳥居です

 額には「楠大明神」の文字が有ります

 楠神社社殿です 

 広場の南西端から鮎屋班消防器具庫の建物とクスノキを見ました

 そばには石組の五神名地神塔です



 天照太神、少彦名命・大巳貴命・倉稲魂命・埴安媛命の五柱の名前が刻まれています

 *徳島藩では、五神名地神塔を祀る信仰が藩の主導で広まった。徳島城下にある富田八幡宮の祠官・早雲古宝が寛政元年(1789)に藩主蜂須賀治昭に進言したのが始まりとされ、各村浦では五角柱の地神塔を奉斎し、庄屋が斎主となって春秋の二回、五穀豊穣を祈願した。塔の造立と祭儀は大江匡弼の『春秋社日醮儀』に従って行われたと考えられている。
 淡路島は、藩政時代には徳島藩に属していました。
      (以上、ウィキペディア一部抜粋です)

 では、次へ行きましょう


 2024・6・6・16・20
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兵庫県洲本市、桑間「大上権神社の大クス」です!!

2024-06-20 06:30:05 | 巨樹・大木
 桑間地区は、洲本市役所本庁舎の西約2.5kmのところ

 洲本市役所本庁舎北側の県道76号線を西へ、約700mの潮橋で洲本川を渡ります
 
 洲本川を渡った「新潮橋北詰」信号を左(西南西)へ洲本川左岸を進みます、国道28号線です

 約700mで国道28号線を左に別けて直進します、県道46号から県道474号に変わって新加茂橋で洲本川右岸側へ

 約1.1kmの「桑間」信号を右(北方)へ、約200mで洲本川の「上加茂橋」の手前を左(西)へ入ると

 道路左手に大きな木が見えて来ます

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 北東側から、クスノキの根元は玉垣で守られています

 北側から、環境省巨樹巨木林データベースによれば、樹齢は推定500年、樹高約20m、目通り幹囲5.2mの巨木です

 東側から、細い注連縄が巻かれています

 石の祠が「大上権(だいじょうご)神社」です、治水の神様だそうです

 南側から見上げました

 では、次へ行きましょう

 
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兵庫県洲本市、塩屋1丁目「洲本市民広場のユーカリ」です!!

2024-06-19 19:02:54 | 巨樹・大木
 塩屋1丁目は、洲本市役所のすぐ北側のところです

 旧鐘紡の工場跡地がお洒落な市民広場となって回りには多くの商業施設があります

 北側の洲本市文化体育館の駐車場に車を止めさせて頂きました

 洲本市ウォーキングトレイルの案内板です、洲本八狸の民話が記されています
   洲本八狸
     淡路島の民話の中でも代表的な芝居好きの、芝右衛門狸
 その昔、大阪・中座で芝居を興行中、木戸銭(見物料)箱に木の葉が入っていました、不思議に思って調べてみると、なんと狸がお客に混じって芝居見物をしていました。
 この狸が「柴右衛門狸」です。三熊山に住み、毎日のように人間に化けては芝居見物に出かけていたとか・・・
 芝右衛門狸は、「芝居の神様・柴右衛門狸大明神」として、洲本八幡神社に祭られています。
 出身地の三熊山では洲本城天守閣のそばに、昭和37年に藤山寛美さんや、片岡仁左衛門さんらの寄進で建てられた祠もあります。
 柴右衛門(しばえもん)・武左衛門(ぶざえもん)・柴助(しばすけ)・お増(おます)・桝右衛門(ますえもん)・川太郎(かわたろう)・宅左衛門(たくざえもん)・お松(おまつ)の八狸のキャラクターが決められているようです
 (柴右衛門狸と案内板には表記されていますが、一般的には「芝」の文字が使われているようです)

 図書館の建物の西側に「お松」の像です、柴右衛門の娘狸です

 広場のクスノキです(北側から)

 東側から、東側にはイオンの駐車場が見えます

 鐘淵紡織の石碑です
 かつてこの地には、日本有数の大きな綿紡織の工場があった。 
 左は、明治42年(1909年)鐘淵紡績(現カネボウ)の洲本新工場開業式当日の風景写真です。
 右は、昭和12年(1937年)三熊山より洲本市街を望んだものである。洲本で綿紡織事業が最も盛んだった頃の写真である。

 南側の市民広場から

 図書館のある一角です

 市民広場の中央に大きな木が見えました(西側から)

 南西側から

 ドラゴンクエストのモニュメントです、どうして此処に

 南側から目的のユウカリを見ました

 東側から、目通り幹囲4.7mの大木です

 北側から

 公園南側の「淡路ごちそう館・御食国(みけつくに)」の建物です

 「くにうみの刻」のモニュメントです

 では、次へ行きましょう


 2024・6・6・15・20
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兵庫県洲本市、中川原町厚浜「厚浜諏訪神社のクスノキ」

2024-06-19 06:45:50 | 巨樹・大木
 中川原町厚浜地区は、洲本市役所本庁舎の北約4kmのところ

 洲本市役所本庁舎北側の県道76号線へ出て北東へ、約400mの「海岸通」信号を左(北北西)へ洲本川を渡ります

 約900mの「炉口北」信号で国道28号線に出て北へ進みます

 約3.3km海岸沿いを進み「民宿中屋荘」の先の横断歩道の所を左(西)に入ると

 道路正面の丘の上に大きな樹冠が見えました

 南東向きに参道入口と鳥居です

 鳥居前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 厚濱諏訪神社の社號標です

 由来記説明版です
   厚浜諏訪神社由来記
     御祭神 建御名方神(たけみなかたのかみ)
         八坂刀売神(やさかとめのかみ)
         〔大国主の命の御子神とその妃神〕
 本神社は約2000年以前より長野県諏訪湖畔に鎮座まします諏訪大社の御分社一つで、享保12年(1727)(八代将軍徳川吉宗の時代)の管記「正法寺は諏訪明神を掌持する」とありますから、今から260年以上の昔からこの地に勧請されたものです。
 その後何度も改築され現在の社殿は明治42年10月11日に竣工されております。
 諏訪大明神は風雨を司る龍神信仰から発して武家の守護神(武田信玄の信仰篤かった)・農業の守護神・海の守り神として全国に一万有余の分社があります。
 本神社は「無病延命」「難病息滅」の社として島内に多くの信者を有し、特に流行病のある時は参拝者が絶えなかったと云われています。
 かつては神楽講社の講員も三千余名、世話人は七十余名あったと云われており、現在でも信仰等い人々のお詣りをいただき春秋の大祭には神楽を奏して昔ながらのお祭りが行われています。
  

 石段を上りましょう

 石段を上り切ると社殿は南向きに建っています

 社殿前庭に目的のクスノキです
 
 東側から

 北側から、根元には石碑や境内社の祠・石燈籠等が置かれています

 西側から、少し南側に傾いている幹が解かります

 南側から社殿ですが半分程はクスの根元で隠れてしまいました

 境内西側の石の祠は境内社のようです

 下側の南東側から見上げました

 では、次へ行きましょう


 2024・6・6・15・00
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