今回からは2024年6月6日取材分です
久しぶりの淡路島訪問です、前回は明石港から淡路ジェノバライン(渡し舟)で、明石海峡大橋の下を通って行きましたが、今回は、埼玉から車で向かいましたので、明石海峡大橋を渡りましたよ
久野々地区は、淡路市役所の北北東約6kmのところですが、今回は神戸淡路鳴門自動車道の東浦インターチェンジから説明させて頂きます
常隆寺があるのは伊勢ノ森(標高515.1m)の頂上東側直下に有ります、因みに淡路島の最高峰は南あわじ市にある諭鶴羽山(標高607.9m)です
明石海峡大橋を渡って、淡路ICの次が東浦ICを出て、取り付け道路を下り、県道460号線を東浦の「道の駅東浦ターミナルパーク」前の「浦」信号に出ました、ここまでインターチェンジから約1.5kmです
浦信号を右(南)へ、国道28号線です、約1.4kmの「久留麻」信号を右(西)へ、県道71号線で坂道を上って行きます
約3.5kmで左手に河内ダムが見えまて来ます

更に約3.4kmで「常隆寺」の案内板が有ります
ここからは林道と言ってよい感じの狭い道になりますが、舗装されています

約3kmで、常隆寺庫裡の手前の駐車場に
車を止める事が出来ました

庫裡側の境内入口に大きな自然石に「国立公園 常隆寺」と在ります

縁起説明版です
常隆寺御縁起
抑も当山は人皇45代聖武天皇の世(724~748年)摂津国摩耶山で在錫中の行基菩薩が西方の方角に、紫雲靆き、光明の放っているのを望見していた。また淡路机の海浜(冨島)に船が滞り、或は漁獲も止まると聞いていた、それで淡路へと巡錫に来られました。
当山に登りて見ると栗の大木があり、それより光明が放たれているのを見て、菩薩は秘法を修して曰く「吾れ此の大木を以って十一面千手観世音菩薩を刻し安置し奉らん、希くば当来諸人の迷夢を驚かし、天下の富饒を謀らせ給え」と祈祷された。それにより当山を栗村山と号するようになりました。
また当山は、霊鷲山(印度で釈迦が修行した聖地)にも等しい、尊緑深い霊山でもあるといわれています。
桓武天皇の世、延暦4年(785)早良親王が皇位継承紛争の過中に王子でそのため廃太子となり淡路に配流される途中薨去され、御遺骸のまま流されました。
当時、都では、天変地異、悪疫蔓延、これらは、親王の霊魂の祟りであるとして、その霊を鎮めるため、延暦19年7月(800年)崇道天皇と追号、また延暦24年正月24日(805年)桓武天皇は勅使を当山に派遣して、勅願寺とし、七堂伽藍を建立、本尊を安置し佛事信心を怠らず、故に当山は益々隆盛いたしました。それから700年余後永正年中(1058年)戦国時代の兵火により堂塔僧坊残らず焼失したが、御本尊十一面千手観世音菩薩は焼失からまもられたのであります。
これもひとえに尊像の大慈大悲の妙力絶大なる所以で世の人々一度この尊像に合掌礼拝すれば現世の悪事災難をのがれ、未来には佛果を得て、願望成就すること必定であります。
瀬戸内海国立公園 桓武天皇勅願所 早良親王霊安寺 淡路西国三十一番霊場
栗村山 常隆寺

山門は少し南側です


山門は鐘楼兼仁王門です

参道は東側に続いているようです

山門を境内側から

銅鍾です

歌碑が有ります「平和の鐘の音 かねついて 山 一めぐりする」でしょうか

手水舎です

本堂です

本堂の南側に鳥居が在ります

伊勢ノ森への登山口になっているようです

更に南側には大師堂です

大師堂前から背後の斜面にスダジイの大木と奥に巨木です

北側上の方にはアカガシの巨木も見えました

鳥居から登ってみます

左手にスダジイです、目通り幹囲5.5mの巨木です



斜面に付けられた階段を上って北東側からアカガシです


戻って東側から見上ましたが幹には焦げ跡が見られます

南東側から見ましたが解かりづらかったかな



スダジイを西側から



北西側から見ました

木の根を踏んで、更に奥へ進んでみましょう

杉やスダジイ・カシの林です

山頂部に「魚霊供養塔」です、供養塔の後方にはアンテナ設備の建物が建っている「伊勢の森」の山頂部のようです



山頂周辺にもスダジイの大木が見受けられました
では、次へ行きましょう

2024・6・6・13・10
久しぶりの淡路島訪問です、前回は明石港から淡路ジェノバライン(渡し舟)で、明石海峡大橋の下を通って行きましたが、今回は、埼玉から車で向かいましたので、明石海峡大橋を渡りましたよ

久野々地区は、淡路市役所の北北東約6kmのところですが、今回は神戸淡路鳴門自動車道の東浦インターチェンジから説明させて頂きます
常隆寺があるのは伊勢ノ森(標高515.1m)の頂上東側直下に有ります、因みに淡路島の最高峰は南あわじ市にある諭鶴羽山(標高607.9m)です
明石海峡大橋を渡って、淡路ICの次が東浦ICを出て、取り付け道路を下り、県道460号線を東浦の「道の駅東浦ターミナルパーク」前の「浦」信号に出ました、ここまでインターチェンジから約1.5kmです
浦信号を右(南)へ、国道28号線です、約1.4kmの「久留麻」信号を右(西)へ、県道71号線で坂道を上って行きます
約3.5kmで左手に河内ダムが見えまて来ます

更に約3.4kmで「常隆寺」の案内板が有ります

ここからは林道と言ってよい感じの狭い道になりますが、舗装されています

約3kmで、常隆寺庫裡の手前の駐車場に


庫裡側の境内入口に大きな自然石に「国立公園 常隆寺」と在ります


縁起説明版です
常隆寺御縁起
抑も当山は人皇45代聖武天皇の世(724~748年)摂津国摩耶山で在錫中の行基菩薩が西方の方角に、紫雲靆き、光明の放っているのを望見していた。また淡路机の海浜(冨島)に船が滞り、或は漁獲も止まると聞いていた、それで淡路へと巡錫に来られました。
当山に登りて見ると栗の大木があり、それより光明が放たれているのを見て、菩薩は秘法を修して曰く「吾れ此の大木を以って十一面千手観世音菩薩を刻し安置し奉らん、希くば当来諸人の迷夢を驚かし、天下の富饒を謀らせ給え」と祈祷された。それにより当山を栗村山と号するようになりました。
また当山は、霊鷲山(印度で釈迦が修行した聖地)にも等しい、尊緑深い霊山でもあるといわれています。
桓武天皇の世、延暦4年(785)早良親王が皇位継承紛争の過中に王子でそのため廃太子となり淡路に配流される途中薨去され、御遺骸のまま流されました。
当時、都では、天変地異、悪疫蔓延、これらは、親王の霊魂の祟りであるとして、その霊を鎮めるため、延暦19年7月(800年)崇道天皇と追号、また延暦24年正月24日(805年)桓武天皇は勅使を当山に派遣して、勅願寺とし、七堂伽藍を建立、本尊を安置し佛事信心を怠らず、故に当山は益々隆盛いたしました。それから700年余後永正年中(1058年)戦国時代の兵火により堂塔僧坊残らず焼失したが、御本尊十一面千手観世音菩薩は焼失からまもられたのであります。
これもひとえに尊像の大慈大悲の妙力絶大なる所以で世の人々一度この尊像に合掌礼拝すれば現世の悪事災難をのがれ、未来には佛果を得て、願望成就すること必定であります。
瀬戸内海国立公園 桓武天皇勅願所 早良親王霊安寺 淡路西国三十一番霊場
栗村山 常隆寺

山門は少し南側です



山門は鐘楼兼仁王門です


参道は東側に続いているようです


山門を境内側から


銅鍾です


歌碑が有ります「平和の鐘の音 かねついて 山 一めぐりする」でしょうか


手水舎です


本堂です


本堂の南側に鳥居が在ります


伊勢ノ森への登山口になっているようです


更に南側には大師堂です


大師堂前から背後の斜面にスダジイの大木と奥に巨木です


北側上の方にはアカガシの巨木も見えました


鳥居から登ってみます



左手にスダジイです、目通り幹囲5.5mの巨木です




斜面に付けられた階段を上って北東側からアカガシです



戻って東側から見上ましたが幹には焦げ跡が見られます


南東側から見ましたが解かりづらかったかな




スダジイを西側から




北西側から見ました


木の根を踏んで、更に奥へ進んでみましょう


杉やスダジイ・カシの林です


山頂部に「魚霊供養塔」です、供養塔の後方にはアンテナ設備の建物が建っている「伊勢の森」の山頂部のようです




山頂周辺にもスダジイの大木が見受けられました

では、次へ行きましょう


2024・6・6・13・10