神岡町横山地区は、飛騨市役所の北北東約25km、飛騨市役所神岡振興事務所(神岡公民館)の北約10kmのところ
*飛驒市は、平成16年(2004)2月1日に、平成の大合併により吉城郡古川町・神岡町・河合村・宮川村が合併して飛騨市が誕生しました。飛騨市が発足がしたときの人口は約3万人。飛驒市役所は旧古川町役場に置かれています。
*飛驒市・飛騨市と両方の文字が使用されていますが、、平成16年(2004)に自治体として発足する際に総務省が公告した名称は「飛驒市」、市の公式表記でも「飛驒市」を用いていて、通常時は「飛驒市」「飛騨市」どちらの字体の使用も認められているそうです。
今回は、富山市側から神通川を溯るように国道41号線を南下してきました。
富山岐阜県境の新国境橋からは、高原川と名前が変わって進みます
新国境橋から約2.6kmで「幻に魚 いわな 直売所」の看板の先を左(北東)へ入ります

約200mで右カーブの先に鳥居が見えました

村社 神明神社の社號標です

鳥居です
鳥居の東側の駐車スペースに
車を止めました

手水です

手水鉢の縁になぜか魚の尻尾が置いてあります、イワナかな
イタチの仕業でしょうか

拝殿です

神祠の文化財説明版と標柱です
飛騨市指定(有形民俗文化財)
御鍬神祠
飛騨市指定民俗文化財
横山御鍬神祠
昭和47年1月19日指定
昔、伊勢の御鍬神といわれるお札を、農業の神としてまつり、鍬型を作って供え豊作を祈った。
横山の御鍬神は、きわめて清浄な神明神社境内に立派な祠や、祠のいきさつを知る棟札、そして神に供えた鍬型のいずれをみても完全な形で残っており、ほかに例をみないものである。
祠は明治19年(1886年)に再建、平成15年(2003年)に修復されているが、棟札の一番古いものは享和2年(1802年)で能州大工の建造とされている。
平成24年1月 飛騨市教育委員会

西側から本殿覆い屋と境内社です

拝殿東側に「飛騨市天然記念物 神明神社のスギ」の標柱が立てかけられています



本殿東側に目的のスギです



東北東側から



北東側から、目通り幹囲5.4mの巨木です



北側から

本殿北側の境内社には仏像が祀られています

駐車スペース脇にはお不動様ですね
では、次へ行きましょう

2024・5・15・16・05
*飛驒市は、平成16年(2004)2月1日に、平成の大合併により吉城郡古川町・神岡町・河合村・宮川村が合併して飛騨市が誕生しました。飛騨市が発足がしたときの人口は約3万人。飛驒市役所は旧古川町役場に置かれています。
*飛驒市・飛騨市と両方の文字が使用されていますが、、平成16年(2004)に自治体として発足する際に総務省が公告した名称は「飛驒市」、市の公式表記でも「飛驒市」を用いていて、通常時は「飛驒市」「飛騨市」どちらの字体の使用も認められているそうです。
今回は、富山市側から神通川を溯るように国道41号線を南下してきました。
富山岐阜県境の新国境橋からは、高原川と名前が変わって進みます
新国境橋から約2.6kmで「幻に魚 いわな 直売所」の看板の先を左(北東)へ入ります

約200mで右カーブの先に鳥居が見えました


村社 神明神社の社號標です


鳥居です

鳥居の東側の駐車スペースに


手水です


手水鉢の縁になぜか魚の尻尾が置いてあります、イワナかな


拝殿です


神祠の文化財説明版と標柱です
飛騨市指定(有形民俗文化財)
御鍬神祠
飛騨市指定民俗文化財
横山御鍬神祠
昭和47年1月19日指定
昔、伊勢の御鍬神といわれるお札を、農業の神としてまつり、鍬型を作って供え豊作を祈った。
横山の御鍬神は、きわめて清浄な神明神社境内に立派な祠や、祠のいきさつを知る棟札、そして神に供えた鍬型のいずれをみても完全な形で残っており、ほかに例をみないものである。
祠は明治19年(1886年)に再建、平成15年(2003年)に修復されているが、棟札の一番古いものは享和2年(1802年)で能州大工の建造とされている。
平成24年1月 飛騨市教育委員会

西側から本殿覆い屋と境内社です


拝殿東側に「飛騨市天然記念物 神明神社のスギ」の標柱が立てかけられています




本殿東側に目的のスギです




東北東側から




北東側から、目通り幹囲5.4mの巨木です




北側から


本殿北側の境内社には仏像が祀られています


駐車スペース脇にはお不動様ですね

では、次へ行きましょう


2024・5・15・16・05