旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

神戸ホテル・フルーツフラワーと神戸イルミナージュ

2017-02-09 17:01:42 | 温泉、旅館、ホテル
2017年2月6日、神戸フルーツフラワーパークにある神戸ホテル・フルーツフラワーに泊まりました。こちらのホテルは有馬温泉と同様に赤い酸化鉄の温泉があり、また、2月12日まで建物を飾りイルミネーションがありましたので選びました。
宿泊プラン名は、「2017新春大バーゲンプラン☆1泊2食☆イルミ鑑賞券付」です。ディナーバイキング、朝食バイキングです。温泉は露天風呂が「大沢温泉」で、内風呂、菖蒲湯、サウナ、ミストサウナ、泡風呂などがあります。
神戸市北区大沢町上大沢2150
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園内案内図



遊園地

室内







おもてなし

窓からの景色





廊下



バンキングレストラン゛「カトレア」



夕食バイキングです。蟹がありましたので、ビールを飲みながら頂きました。



朝食バイキングです。

売店

フロント



ロビー



まずはお風呂に入って、温泉を楽しみます。少し小雨でしたが、露天風呂に入りました。赤い湯で少しなめてみると非常に塩っぱいです。そして、ミストサウナ、サウナ、菖蒲湯と泡風呂とゆっくりと浸かりました。
神戸イルミナージュ17時30分点灯です。夕食前に散策です。宿泊しない場合にはイルミネーションは1000円です。宿泊での鑑賞券付なのでフロントで事前に頂きました。





























































































ひかりのモンキーショーが無料で数回の上演をしています。





































演技終了後はお猿さんへの評価として募金をお願いしていました。お猿さんは5歳ですが、3年以上の訓練でさまざまなことができるようになったとのことでした。寸志を出しました。
翌日、園内の散歩です。













温室です。

































お疲れ様でした。宿泊に合わせて三田、宝塚など近くを観光しました。帰りにコヤマロールでのロールケーキを買って帰りました。約40分並んだのには少し大変でした。
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三田市の蓮花寺、高布売神社、御霊神社、大川瀬住吉神社

2017-02-09 17:00:59 | 三田
2017年2月6日、三田市内ドライブをし、神社、お寺詣りをしました。
蓮花寺
説明書より「攝津国多田庄槻瀬郷蓮花寺の創立は古い、法道仙人開山と伝え1300年の寺歴を誇る古刹で、社町上鴨川神社蔵大般若経に鎌倉時代同寺住僧侶の写経典書や本尊阿弥陀如来像(県重文)の文永8年(1271)墨書銘などから伺いしることができる。山門は室町末の戦乱期に兵火で焼失したが、豊臣秀頼の寄進により再建されたと伝え、建物全体の手法は和様でその時代の特色をあらわしている。三間一戸単層八脚門、屋根は入母屋茅葺である。両脇の仁王像も市指定重文である。」
兵庫県三田市下槻瀬678
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寺標

山門(兵庫県指定文化財)
説明書より「川原観福寺と同形式の単層仁王門であったが、昭和63年の解体修理にあたって屋根下の木組みを調査した結果、創建時はニ層の楼門であったことが確認されたので、原形に復元した。縁腰組は三手先に組み、中備は間斗束、和様を基調に室町時代末の特色をよく残している。山号額は享保19年(1734)京都門跡尼寺宝鏡寺より送られた額である。」



仁王像(三田市指定文化財)
「観福寺と同様、運慶作と伝えられている。」













十三仏堂















庫裏

鐘楼



三尊種子板碑(兵庫県指定重要文化財)
「嘉暦2年(1327)の建造」
石造五輪塔(三田市指定文化財)
「長享3年(1489)僧良真銘」



高布売神社
「高売布神社(たかめふじんじゃ)は、三田市内唯一の式内小社で、旧社格は旧川辺郡の郷社である。下照姫命(高比売神)を主祭神とし、創建は推古天皇当時と伝えられている。」
兵庫県三田市酒井50
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鳥居

拝殿





社務所

狛犬



本殿(重要文化財)
「室町後期永正10年(1513)再建、一間社流造、檜皮葺。」







戎神社



稲荷神社







2017年2月7日、神戸ホテル・フルーツフラワーに宿泊した翌日にお参りしました。
御霊神社
三田市貴志字美内1100
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参道



説明書より『「貴志宮」又は、「貴志神社」とも呼ばれてきたが、鎌倉時代に当地豪族貴志氏が関東御家人となった縁より、相模国の鎌倉御霊神社から、武勇に優れた「鎌倉権五郎景政」公の御霊を勧請合祀。御霊神社と改称され今日に至っている。本殿は、室町後期の文明2年(1470)貴志の村ひとたちによって再建された。このいきさつは殿前扉裏板に墨書されていて当時のもようがよくわかる。身舎正側面、向拝紅梁上に計6つの蟇股を配し、透彫絵模様の中に珍しい物がある。身舎上に牡丹に唐獅子、戎大黒ほか特に見るべきものに当時の神仏習合を表わしたものとして向拝上の種子キヤ(十一面観音)がある。なおこの地区の神事講は永禄年(1558~)より書き留められてきて巻子本として残り今も続いている。」





鳥居





拝殿



彫刻が素敵です。



















狛犬



本殿(重要文化財)
「兵庫県下でも類例が少ない桁行二間、梁間正面三間、背面二間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、檜皮葺。」













末社









夜なき石
『その昔、境内にあった石(夜なき石)が殿様の目にとまり屋敷の庭石に使われたところ、夜になると「貴志に帰りたい、貴志に帰りたい」とないて殿様を困らせた。そして石は元の貴志に帰ってきた。』



大川瀬住吉神社
兵庫県三田市大川瀬1644
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「本殿は鎌倉時代に建立され、国の重要文化財に指定されています。本殿造営のとき近隣24か町村の氏子が参集したとされ、信仰のあつい神社であったことを物語っています。」
鳥居





狛犬



拝殿









舞殿(兵庫県指定重要文化財)
「舞殿は近世初期のもので、今は能楽堂となっているが、元来は拝殿であったものをこのように改造されたものである。桁行一間、梁間ニ間入母屋造、茅葺である。寛文ごろ(1661~)から毎年奉納舞が行われ、折々に藩主たちが観能に訪れました。現代は10年毎に能楽を奉納しています。」





本殿(重要文化財)
説明書より「社殿は三間社流造、屋根は檜皮葺の伝統的な工法で鎌倉期の建築様式を残しています。建築後いくたびかの補修再建が繰り返されてきました。昭和47年に半解体修理が行われました。その時社殿の基壇石組は創建当初に復元されました。建築された年代は、大工日原氏が建てたとする棟札写などによって文永2年(1265)の建立であると考えられていました。文化財の修理工事の調査報告書では、古文書に見える貞治4年(1365)の上棟をとるべきであるとの見解が示されました。三田市内に現存する最古の神社本殿の建築であるとともに、14世紀中ごろの流造の遺構としても全国的みても貴重な本殿である。」





末社



















お疲れ様でした。
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八幡神社(宝塚市波豆)

2017-02-09 08:54:12 | 伊丹・宝塚
2017年2月6日お参りしました。本殿は国の重要文化財に指定され、境内の鳥居や石塔などは兵庫県の文化財に指定されています。
波豆八幡神社縁起について、説明書より『当社本殿は柿葺三間社流造りで応永10年(1403)に再建された簡素ながら端正なる容姿は国指定重要文化財中でも優秀な部類に属し、この時代の代表的な遺構です。特に昇勾欄の寶珠柱の向拝の蟇股に応永以前の古材が保持されています。神社縁起では攝津源氏の祖・源満仲公の弟鎮守府将軍治部輔源満政公の建立と伝えています。満政公は晩年、官職を退き、ここ波豆の里に隠棲、諏訪神社の神宮寺金福寺に入り律師満政を帰して仏道に精進しています。一日童子で寶珠を捧げ持って現われ、「此の寶珠は護国の珠なり、請う以て垂迹の印となせ、朕はこれ八幡麿なり」と宣べられ、寶珠を満政公に手渡すと忽然と消え去り、満政はその場にひざまづき宝珠を捧げ垂迹の地を拝みました。そしてこの地に宮社を築き、自ら一刀三拝の礼をもって神影を彫刻し社奥に御祀りしました。波豆里は古くから「波豆千軒8ケ寺」と呼ばれ、大変賑っていました。里人や氏神にして諏訪の神・誉田別尊(応神天皇)建御名万命建姫宮命を御祀りしています。この宮地に八幡神の垂迹の由縁を以て創建された八幡神社は後世の源一族が氏神として八幡神を尊び戦神として武人の信仰を高めましたが、正に八幡信仰の「源地」といえます。今では八幡神を厄除の神として世の尊信を集めています。境内には湖底に沈んだ金福寺の三尊種子板碑、宝篋印塔、五輪塔等が安置されています。湖水を影を映す石の鳥居は応永32年(1425)の銘を持つ県下2番目の古い鳥居です。』
兵庫県宝塚市波豆字谷田東掛2
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鳥居(兵庫県指定重要有形文化財)
「この鳥居は室町時代の応永32年(1425)に、八幡神社参道入り口に立てられた。地元では、波豆川西岸の石切場から川底に青竹を敷き並べ引っ張り上げてきたと、言い伝えられている。千刈水源池築造に際して現位置に移された。三田市藍本の酒垂神社にある応永3年(1395)の石造鳥居は同じ波豆産出の流紋岩製で、構造・形式も同一であることから同人または同系の石工の製作と考えられる。中央高約3.7m。」

狛犬



拝殿



本殿(重要文化財)
覆屋で覆われています。柿葺三間社流造りで応永10年(1403)に再建された。

境内

末社







波豆石造美術群
「波豆周辺には奈良時代から室町時代にかけて優れた石造美術品が多く残っている。これらは波豆川下流の石切場(現千刈水源池内)から切り出された流紋岩を使用している。これらの石造美術品は、旧金福寺の境内にあったもので、千刈水源池がつくられた時に、現在地に移されたものである。」
板碑(兵庫県指定重要有形文化財)
「ここにある高さ約4mの板碑は嘉暦3年(1328)に立てられたもので、三尊の種子(梵字)が薬研彫りに深く刻まれている。」

宝篋印塔(兵庫県指定重要有形文化財)
「明徳2年(1391)に建てられたもの。」

五輪塔(兵庫県指定重要有形文化財)
「康永2年(1343)に建てられたもの。」

宝篋印塔(宝塚市指定文化財)
「左の宝篋印塔は、笠部の隅飾に種子が刻まれており、南北朝時代中期(14世紀後半)に建てられたものであろう。」

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