旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

白鬚神社

2018-12-29 15:57:35 | 滋賀
2018年12月25日、お参りしました。
由緒書より「社記によれば、垂仁天皇の25年倭姫命により社殿を創建したと伝え、白鬚社の総社でもある。その後、慶長年間に豊臣秀頼により境内の整備が行われた。」
『謡曲「白鬚」は、白鬚明神の縁起を語って祝言を述べる曲である。勅使が近江国の白鬚の社に参詣すると明神の神霊が漁翁の姿で現れ、白鬚明神の縁起を詳しく語り、比叡山が仏法修行の清浄地として、外道魔物を入れない地となった縁起を語る。やがて明神は真の姿を現して楽を奏し、天女も竜神も現れて御代を祝うというのがその粗筋である。』
滋賀県高島市鵜川215
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鳥居

湖中鳥居

拝殿



狛犬



手水舎



本殿(重要文化財)
「本殿は、慶長8年(1603)片桐且元を奉行として、播州の大工により建立されたことが、棟札・嵌板墨書によってわかる。桁行三間、梁間三間、入母屋造、向拝一間、檜皮葺。建物は、地垂木や桔木の長さを節約して、当初から軒先に支柱を入れているため、外観はやや軽快さに欠ける。屋根は、明治12年に向拝の軒先を切り縮め、現拝殿を付加したため権現造風となり、雨仕舞を考慮して、それまでの柿葺を檜皮葺に改めている。本殿は、大型で向拝の手狭・蟇股などの絵様に、桃山期の特徴をよく表した優れた建物である。また、寛永元年(1624)建築の旧拝殿(現絵馬電)を除く社殿も慶長復興期のもので、近世の社殿配置を残す神社としても貴重である。」

末社若宮神社本殿(高島市指定文化財)
「桃山時代建立、一間社流造、こけら葺。」

上の宮

豊受大神宮(高島市指定文化財)

天照皇大神宮(高島市指定文化財)

八幡三社(三所)中央は八幡神社・向かって右は加茂神社・左は高良神社

波除稲荷社

岩戸社

中野照子 歌碑


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天皇神社

2018-12-29 15:56:11 | 滋賀
2018年12月25日、お参りしました。
説明書より『和邇は、往昔孝昭天皇(第5代天皇・紀元前475~393)の皇子、天足彦國押人命より出で、近江國和珥臣の遠祖 彦姥津命及び彦國葦命等の本拠地たる大和國添上郡大岡郷和邇よりこの地に遷り、近江の國政を司り和邇家の本領とす。子孫連綿、因って地名を和邇と称す。當時國内に居住する尊貴の名族は総て和邇家に属せしという。また湖岸を和邇津という、東國、北國との運漕の衝地なり。其の後和邇家より小野氏出で、南部に居住す。因って地名を小野と称す。
 天皇神社の創立は不祥であるが、社伝によれば村上天皇康保3年(966)創始とある。京都八坂祇園の「牛頭天王」を此地に遷して「和邇牛頭天王社」と称し、和邇中、今宿の産土神として崇敬されている。明治9年(1876)「天皇神社」と改称されている。』
滋賀県大津市和邇中146
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鳥居

拝殿



社務所

忠魂碑

本殿(重要文化財)
「現本殿は、正中元年(1324)の建築で正面三間、側面二間の母屋の前面に一間の庇(向拝)をつける切妻造本殿で、鎌倉時代後期の建築物で全国的に類例がもなく、この地方特有の本殿形式となっている。
 他に小野篁神社と道風神社がこの様式である。
 平面は、後方中央の一間が内陣で、その周囲三方は外陣である。柱は母屋円柱で隅延付、庇角柱で、組物は母屋隅柱上舟肘木、側面中央柱上大斗で向拝柱上舟肘木、中備蟇股である。軒は母屋、庇とも垂木を二股に配する二軒である。
 母屋は正面中央間と右側面は幣軸構板戸両開、脇間格子嵌殺のほかは板壁である。
 外陣内部は内法長押上に漆喰塗の蟻壁で、小組格縁天井を張る。内陣は正面板扉両開、両側面板壁で床は外陣長押上端を床面とし、天井は棟木から天井長押上へ板を打ち流したいわゆる舟底天井である。
 外陣および内陣は後世の改造を受けていないので、鎌倉様式の極めて荘重なものである。」









樹下神社
「創立は、後醍醐天皇正中2年(1325)に日吉十禅師社の分御霊を此地に奉遷し社殿を造営し、同年11月遷宮される。和邇牛頭天王社の摂社と称し中浜の産土神として崇敬されている。」



三宮神社
「創立は、後光厳天皇康安元年(1361)に日吉三宮の分御霊を此地に奉遷し、社殿を造営するとともに、同年11月遷宮される。和邇牛頭天王社の摂社と称し中浜の産土神として崇敬されている。」

若宮神社
「創立は、後小松天皇明徳2年(1391)日吉二宮の分御霊を此地に奉遷し、社殿を造営するとともに、同年9月遷宮される。和邇牛頭天王社の摂社と称し中浜の産土神として崇敬されている。」

松尾神社

宝塔(大津市指定有形文化財)
『境内地南隅に鎌倉時代の優れた作品として評される二基の宝塔がある。宝塔は、塔身の平面が円形となる単層の塔で、平面四角の基礎と笠を伴い、笠上には相輪を立てるものが多い。「法華経」見宝塔品では、釈迦・多宝二仏が宝塔中に同座することを説くため、「法華経」を根本経典とする天台宗で盛んに宝塔が造立された。旧志賀町内の神社に、この種の古遺品が点在するのも、比叡山延暦寺の強い影響があったものとされる。』


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小野神社

2018-12-29 15:55:15 | 滋賀
2018年12月25日、お参りしました。
由緒書より
『小野神社は、小野妹子・小野篁・小野道風などを生んだ古代の名族小野氏の氏神社である。推古天皇の代に小野妹子が先祖を祀って創建したと伝える。そして、餅及菓子の匠・司の始祖である第五代孝昭天皇の第一皇子天足彦国押人命と同命から数えて七代目の米餠搗大使主命の二神を祀る。
 平安時代に小野篁(802~852)のときに、同族が小野神社に集まって氏神を祀ったことは、「続日本書紀後期」にくわしく載っている。
 今から一千年前の延喜式の神名帖に滋賀郡大三座の内小野神社二座、名神大社(官幣大社の意)とある古社である。
 古事記によれば天足彦国押人命は孝昭天皇と尾張国の連の娘余曽多木比命との間にお生れになった第一皇子で春日、大宅、栗田、小野、栃木、大阪、安濃、多岐、羽栗、都怒山、伊勢、飯南、一志、近江、の国造の祖であると記されている。
 又、日本書紀には大和和邇(やまとわに)の祖であるとも記されている。
 大和朝廷成立以前この地において、今の大阪府、京都府、奈良県、三重県、愛知県、滋賀県の広い地域を統治されていた王族であり、諸国に多い小野の地名、氏族の発生地、祖神でもある。
 延長5年(927)寛政の「延喜式」神明帳に「小野神社二座神大」とあり、日吉神社と並ぶ官幣大社であった。現在の社殿は、江戸時代に再建されたと伝えられている。』
滋賀県大津市小野1961
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鳥居



手水舎



社務所

歌碑

拝殿

小野小町の塔



鳥居

小野神社







小野神社境内社篁(たかむら)神社(重要文化財)
「現在の本殿は、室町時代前期に建てられ、形式は三間社の切妻造に一間の向拝が付く、切妻造平入りの本殿は遺構が少なく貴重な建物である。」







夫婦円満の木
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神田神社

2018-12-29 15:52:39 | 滋賀
2018年12月25日、お参りしました。
由緒書より「神田神社は、彦国葺命がこの地を開創したときに社殿を建てたと伝えられ、祭神に彦国葺命を祀る。」
滋賀県大津市真野普門3丁目8-1
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鳥居







社務所



狛犬



拝殿

本殿(重要文化財)
『現在の本殿は棟札に、「御上棟当社神田明神御宝殿建徳元年」(1370)とあり、よく時代の特色を伝える。形式は前室付き三間社流造。正面庇に建具を備えて前室とし、さらに向拝をつける形式は滋賀県の中世本殿に遺構が多く、古式流造が一層優美に発達したものである。母屋柱上に舟肘木を用いる簡素な意匠であるが、本格的に造られた均整のとれた本殿である。』





末社、八幡宮・若宮神社


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