2020年9月27日、滋賀観光でお参りしました。
「持統帝の686年(朱鳥元年頃)から八大龍王社と呼ばれ仁明帝の825年(承和2年)から正霊天王社と改称され、明治維新の際、膳所藩主の令達に依り和田神社と解消さる。現在の本殿は鎌倉時代の建築様式と代表する他に比類稀な特色を誇り古代建築技術を保存するものとして著名である。」
滋賀県大津市木下町7−13
map
鳥居と社標
手水舎
絵馬殿
イチョウ(天然記念物・大津市指定文化財)
「このイチョウは滋賀県下において他に例をみないほど巨木で、樹高約24メートル、目通り周囲約4.4メートルあります。樹齢はおよそ約600年を経ていると推定され、多数の気根(地上の幹から出て空気中に露出した根)を垂れています。樹勢もすこぶる盛んで枝葉が密生し、樹形も均斉のよくとれた美しい姿を保つなど貴重な名木です。また、このイチョウは和田神社の神木として、さらに琵琶湖上から和田の浜の目標樹となっていたと思われます。石田三成が関ケ原合戦後、捕われて京へ護送される途中、休止の際に繫がれた樹でもあると伝わっています。」
天満宮
拝殿
本殿(重要文化財)
「一間社流造の小さな社殿で、東面して建てられ、屋根は檜皮葺です。また正面には軒唐破風を付けるという、県内では珍しい建築様式をもっています。この建物には、後世の補修のあとも多く認められますが、側面にあるすっきりとした美しい蟇股などの細部については、鎌倉時代の様式をよく残しています。檜皮葺の屋根の棟から前後の軒先へ流れるような線は、檜皮のもつ柔らかさと相まって美しく、建物の特色の一つとなっています。」
「持統帝の686年(朱鳥元年頃)から八大龍王社と呼ばれ仁明帝の825年(承和2年)から正霊天王社と改称され、明治維新の際、膳所藩主の令達に依り和田神社と解消さる。現在の本殿は鎌倉時代の建築様式と代表する他に比類稀な特色を誇り古代建築技術を保存するものとして著名である。」
滋賀県大津市木下町7−13
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鳥居と社標
手水舎
絵馬殿
イチョウ(天然記念物・大津市指定文化財)
「このイチョウは滋賀県下において他に例をみないほど巨木で、樹高約24メートル、目通り周囲約4.4メートルあります。樹齢はおよそ約600年を経ていると推定され、多数の気根(地上の幹から出て空気中に露出した根)を垂れています。樹勢もすこぶる盛んで枝葉が密生し、樹形も均斉のよくとれた美しい姿を保つなど貴重な名木です。また、このイチョウは和田神社の神木として、さらに琵琶湖上から和田の浜の目標樹となっていたと思われます。石田三成が関ケ原合戦後、捕われて京へ護送される途中、休止の際に繫がれた樹でもあると伝わっています。」
天満宮
拝殿
本殿(重要文化財)
「一間社流造の小さな社殿で、東面して建てられ、屋根は檜皮葺です。また正面には軒唐破風を付けるという、県内では珍しい建築様式をもっています。この建物には、後世の補修のあとも多く認められますが、側面にあるすっきりとした美しい蟇股などの細部については、鎌倉時代の様式をよく残しています。檜皮葺の屋根の棟から前後の軒先へ流れるような線は、檜皮のもつ柔らかさと相まって美しく、建物の特色の一つとなっています。」
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