2022年6月9日、お参りしました。
魚屋道(ととやみち)
「魚屋道は江戸初期から灘地方と有馬を結ぶ東六甲を結ぶ東六甲最古の山越え交通路で、当時の絵地図では、森から山に登り、蛙岩、山の神、風吹岩、東お多福山、本庄橋、一軒茶屋、射場山山腹、有馬のルートを通り、『六甲越え」と呼ばれていた。幕府が、名だから有馬への正規の街道を西宮、宝塚、船坂、有馬の線に定めた後も、遠まわりを嫌った人々はこの道を利用した。そこで、街道沿いの西宮や生瀬などの宿場の承認は、これを『抜け荷の道』と称して、通行禁止を大阪奉行所へ訴え、しばしば紛争が生じた。1806(文化3)年に、灘本庄と有馬の人々がひそかに道の大修理をしている。深江浜の魚は大正時代まで、ここから有馬に運ばれいた。」
由緒書より「1972(昭和47)年迄深江北町4丁目から本庄町3丁目にかけて『薬王寺』という町名が残っていた。その付近に中世に『薬王寺』が建立されていて、真言宗に属し、『大日如来』を本尊として祀っていたが、1481(文明13)年に『薬王寺』住職『観空』は本願寺第八代門主蓮如上人の教化により帰依して、寺号を『延寿寺』に改名、浄土真宗に改宗し、本尊を『阿弥陀如来』とした。そのために寺を出された旧本尊の『大日如来』を村人が引取って、現在地に祀ったのが、この神社の創建だと伝えられている。明治維新まで神仏習合の中で『大日如来』を本尊とする鎮守社が、1868(明治元)年の神仏分離令により分離され、1873(明治6)年村社に列格された。創始以来5百余年にわたり深江の里人から『大日ツァン』と親しまれ、心のよりどころとして崇拝されてきた深江の氏神さまがこの神柱である。1908(明治41)年4月に本殿が新築された。鯛へ宇用戦争の1945(昭和45)年の大空襲で社務所・だんじり庫・樹齢数百年の多くの松も焼失す。戦災を免れた本殿も1995(平成7)年1月の阪神淡路大震災で倒壊し、2000(平成12)年11月に新築再建す。」
神戸市東灘区深江本町3-5-7
map
社標
鳥居
手水鉢
石灯籠
狛犬
拝殿
本殿
末社・深江山の神
「深江では江戸時代より春から里に下りて田の神になり、秋には稲を実らせた後、山に帰るという山の神が広く信仰されていた。山の神は六甲山の深江が見渡せる所に祀られ、日照りに悩まされることの多かった当地の人々が、雨乞いをして五穀豊穣を祈ってきました。石の祠は1858(安政5)年正月に建立され受け継がれてきておりましたが、社会情勢の変化もあり、2004(平成16)年3月に解体搬出作業を行い境内に移設保存して、新しく神殿を建ててお祀りす。」
末社・深江賽の神
「江戸時代より村境の道路に祀らりており、村に疫病など邪気の入るのを防ぎ、又旅人の道中の安全を守る霊力があった。深江では子どもの守り神としても進行が厚く『夜泣きの神様』として有名である。用事が夜と昼を間違えて泣くのを直すのに神殿前の小石を持帰って枕の下に敷くと治ると言い伝えられている。1993(平成5)年2月に神社の近くの北東の場所より移し、新しく神殿を建ててお祀りす。」
稲荷社
「白玉稲荷大明神、末光稲荷大明神を祀る。昔から農業の神様として五穀豊穣をはじめ、商売繁盛、家内安全、無病息災の守護神として、毎年2月に行われる稲荷祭り(初午祭)とともに、長く人びとの厚い信仰をえている。白玉稲荷神社の創建年月は定かではないが、遠く715(霊亀元)年に森の稲荷神社の神様が上陸された所と伝えられている高橋川の右岸にあった『踊り松』の南に森稲荷神社の御分霊が祀られていた。その後私有地となったので、1908(明治41)年1月に森稲荷神社のお旅所とともに、この大日霊女神社境内に移された。末末稲荷神社は1918(大正7)年旧2月24日午の日に祀られ現在に至っている。」
魚屋道(ととやみち)
「魚屋道は江戸初期から灘地方と有馬を結ぶ東六甲を結ぶ東六甲最古の山越え交通路で、当時の絵地図では、森から山に登り、蛙岩、山の神、風吹岩、東お多福山、本庄橋、一軒茶屋、射場山山腹、有馬のルートを通り、『六甲越え」と呼ばれていた。幕府が、名だから有馬への正規の街道を西宮、宝塚、船坂、有馬の線に定めた後も、遠まわりを嫌った人々はこの道を利用した。そこで、街道沿いの西宮や生瀬などの宿場の承認は、これを『抜け荷の道』と称して、通行禁止を大阪奉行所へ訴え、しばしば紛争が生じた。1806(文化3)年に、灘本庄と有馬の人々がひそかに道の大修理をしている。深江浜の魚は大正時代まで、ここから有馬に運ばれいた。」
由緒書より「1972(昭和47)年迄深江北町4丁目から本庄町3丁目にかけて『薬王寺』という町名が残っていた。その付近に中世に『薬王寺』が建立されていて、真言宗に属し、『大日如来』を本尊として祀っていたが、1481(文明13)年に『薬王寺』住職『観空』は本願寺第八代門主蓮如上人の教化により帰依して、寺号を『延寿寺』に改名、浄土真宗に改宗し、本尊を『阿弥陀如来』とした。そのために寺を出された旧本尊の『大日如来』を村人が引取って、現在地に祀ったのが、この神社の創建だと伝えられている。明治維新まで神仏習合の中で『大日如来』を本尊とする鎮守社が、1868(明治元)年の神仏分離令により分離され、1873(明治6)年村社に列格された。創始以来5百余年にわたり深江の里人から『大日ツァン』と親しまれ、心のよりどころとして崇拝されてきた深江の氏神さまがこの神柱である。1908(明治41)年4月に本殿が新築された。鯛へ宇用戦争の1945(昭和45)年の大空襲で社務所・だんじり庫・樹齢数百年の多くの松も焼失す。戦災を免れた本殿も1995(平成7)年1月の阪神淡路大震災で倒壊し、2000(平成12)年11月に新築再建す。」
神戸市東灘区深江本町3-5-7
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社標
鳥居
手水鉢
石灯籠
狛犬
拝殿
本殿
末社・深江山の神
「深江では江戸時代より春から里に下りて田の神になり、秋には稲を実らせた後、山に帰るという山の神が広く信仰されていた。山の神は六甲山の深江が見渡せる所に祀られ、日照りに悩まされることの多かった当地の人々が、雨乞いをして五穀豊穣を祈ってきました。石の祠は1858(安政5)年正月に建立され受け継がれてきておりましたが、社会情勢の変化もあり、2004(平成16)年3月に解体搬出作業を行い境内に移設保存して、新しく神殿を建ててお祀りす。」
末社・深江賽の神
「江戸時代より村境の道路に祀らりており、村に疫病など邪気の入るのを防ぎ、又旅人の道中の安全を守る霊力があった。深江では子どもの守り神としても進行が厚く『夜泣きの神様』として有名である。用事が夜と昼を間違えて泣くのを直すのに神殿前の小石を持帰って枕の下に敷くと治ると言い伝えられている。1993(平成5)年2月に神社の近くの北東の場所より移し、新しく神殿を建ててお祀りす。」
稲荷社
「白玉稲荷大明神、末光稲荷大明神を祀る。昔から農業の神様として五穀豊穣をはじめ、商売繁盛、家内安全、無病息災の守護神として、毎年2月に行われる稲荷祭り(初午祭)とともに、長く人びとの厚い信仰をえている。白玉稲荷神社の創建年月は定かではないが、遠く715(霊亀元)年に森の稲荷神社の神様が上陸された所と伝えられている高橋川の右岸にあった『踊り松』の南に森稲荷神社の御分霊が祀られていた。その後私有地となったので、1908(明治41)年1月に森稲荷神社のお旅所とともに、この大日霊女神社境内に移された。末末稲荷神社は1918(大正7)年旧2月24日午の日に祀られ現在に至っている。」
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