2023年10月23日、お参りしました。
説明書より「大御堂が創建されたのは、1185(寿永4)年と伝わりますが、定かではありません。堂は現在、『堂のワキ』という場所に位置し、北側に『堂ノモト』という地名があることから、本来は現在地のやや北へ建てられていた可能性があります。建築された当初は、一辺が8間(約14.5m)あったものの、その後、江戸時代初期に3間に縮められたとも伝えられます。現在は吹き抜けですが、柱には、かつて板戸で仕切られていたことを示す跡が残されており、幾度かの再建・修復を繰り返しているものの、部材には室町時代以前に遡る古材も多く残されています。社地域の式内八社でも、江戸時代までは、神と仏として祀る『神仏習合』が行われており、この大御堂もかつては『神宮寺』とも呼ばれていました。今もその名残として、堂の西側に『神集場』という御旅所があり、秋祭りには8社の神々が集まって神事が行われます。また、毎年7月中旬には、地域住民が堂に集まって大きな数珠を廻し、五穀豊穣や虫除けを祈願する『百万遍』も行われてます。」
岡山県真庭市社651
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大御堂(真庭市指定文化財)
大数珠
神集場
説明書より「大御堂が創建されたのは、1185(寿永4)年と伝わりますが、定かではありません。堂は現在、『堂のワキ』という場所に位置し、北側に『堂ノモト』という地名があることから、本来は現在地のやや北へ建てられていた可能性があります。建築された当初は、一辺が8間(約14.5m)あったものの、その後、江戸時代初期に3間に縮められたとも伝えられます。現在は吹き抜けですが、柱には、かつて板戸で仕切られていたことを示す跡が残されており、幾度かの再建・修復を繰り返しているものの、部材には室町時代以前に遡る古材も多く残されています。社地域の式内八社でも、江戸時代までは、神と仏として祀る『神仏習合』が行われており、この大御堂もかつては『神宮寺』とも呼ばれていました。今もその名残として、堂の西側に『神集場』という御旅所があり、秋祭りには8社の神々が集まって神事が行われます。また、毎年7月中旬には、地域住民が堂に集まって大きな数珠を廻し、五穀豊穣や虫除けを祈願する『百万遍』も行われてます。」
岡山県真庭市社651
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大御堂(真庭市指定文化財)
大数珠
神集場
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