2020年9月27日、滋賀観光でお参りしました。
「社伝によると天智天皇が大津の宮に遷都の際、この地を御厨所と定めた667年(天武天皇6年)に大和の国から御食津神を奉遷して、大膳職の御厨神とされた。慶長年間に至り大政所豊臣秀頼、徳川家康などが当社を厚く尊信されて種々の神器の寄進があり、東山天皇は膳所大明神の宣下をされました。また、1601年(慶長6年)、膳所城創始以来、歴代の藩主本多候は歴代崇敬が厚く、社領、社殿の寄進、造営が度々あった。」
滋賀県大津市膳所1丁目14-14
map
鳥居と社標
狛犬
表門(重要文化財)
説明書より「この表門は、旧膳所城の二の丸より本丸への入り口にあった城門で、1870年(明治3年)の膳所城取り壊しの際に移築されました。門は、棟筋と扉筋とが同一の垂直面にない薬医門で城門として多く用いられています。屋根瓦には旧膳所城主本多氏の立葵紋がみられ、桃山時代の建築として貴重にものです。脇には潜り戸を付け、頑丈な造りで、城門としての貫禄を持っています。」
手水舎
授与所
舞殿
北門
「膳所城門を移築した薬医門で、切妻、桟瓦葺、潜り戸付」
南門
「切妻、本瓦葺、一間一戸、高麗門」
神門
本殿
稲荷社
松尾社
「社伝によると天智天皇が大津の宮に遷都の際、この地を御厨所と定めた667年(天武天皇6年)に大和の国から御食津神を奉遷して、大膳職の御厨神とされた。慶長年間に至り大政所豊臣秀頼、徳川家康などが当社を厚く尊信されて種々の神器の寄進があり、東山天皇は膳所大明神の宣下をされました。また、1601年(慶長6年)、膳所城創始以来、歴代の藩主本多候は歴代崇敬が厚く、社領、社殿の寄進、造営が度々あった。」
滋賀県大津市膳所1丁目14-14
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鳥居と社標
狛犬
表門(重要文化財)
説明書より「この表門は、旧膳所城の二の丸より本丸への入り口にあった城門で、1870年(明治3年)の膳所城取り壊しの際に移築されました。門は、棟筋と扉筋とが同一の垂直面にない薬医門で城門として多く用いられています。屋根瓦には旧膳所城主本多氏の立葵紋がみられ、桃山時代の建築として貴重にものです。脇には潜り戸を付け、頑丈な造りで、城門としての貫禄を持っています。」
手水舎
授与所
舞殿
北門
「膳所城門を移築した薬医門で、切妻、桟瓦葺、潜り戸付」
南門
「切妻、本瓦葺、一間一戸、高麗門」
神門
本殿
稲荷社
松尾社
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