2024年1月10日、お参りしました。
「附物の地名由来は、有野川支流の八多川上流域に位置し、古代の豪族秦氏が統括していた大蔵に納める工作品の作物所から、附物になったと伝えられている。古くは、衝毛野・付物といい、江戸期の古文書には付物村と載っている。付物村は、丹波国福知山藩領であったが、のち三田藩領となり、1605(慶長10)年の『摂津国絵図』の『摂津高改帳』によると、四七四石余、さらに『天保郷帳』・『旧高旧領』では、ともに七百九石余となっており、裕福な地区であったと思われる。八王子とは、一般的に、天照大御神が須佐之男命と誓約し給いし時に成りませる、天之忍穂耳命・天之菩卑命 ・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命・市寸嶋比売命・狭依毘売命の五男三女の神をいう。神仏習合の頃の信仰では、八王子を牛頭天王、須佐之男命と御子として、八王子権現と称して祀った。当社は、八王子の親神である天照大御神を主神とし、更に、八王子の神々を合わせて祀っている。元、八多神社の摂社として村内に鎮守し、八多神社を大宮(氏神)と崇め祭祀を行っていたが、1889(明治22)年、八多村の大字となった際、八多神社より分離して独立神社となった。」
神戸市北区八多町附物361-2
map
手水舎
社標
鳥居
狛犬
拝殿
本殿
末社
庫
「附物の地名由来は、有野川支流の八多川上流域に位置し、古代の豪族秦氏が統括していた大蔵に納める工作品の作物所から、附物になったと伝えられている。古くは、衝毛野・付物といい、江戸期の古文書には付物村と載っている。付物村は、丹波国福知山藩領であったが、のち三田藩領となり、1605(慶長10)年の『摂津国絵図』の『摂津高改帳』によると、四七四石余、さらに『天保郷帳』・『旧高旧領』では、ともに七百九石余となっており、裕福な地区であったと思われる。八王子とは、一般的に、天照大御神が須佐之男命と誓約し給いし時に成りませる、天之忍穂耳命・天之菩卑命 ・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命・市寸嶋比売命・狭依毘売命の五男三女の神をいう。神仏習合の頃の信仰では、八王子を牛頭天王、須佐之男命と御子として、八王子権現と称して祀った。当社は、八王子の親神である天照大御神を主神とし、更に、八王子の神々を合わせて祀っている。元、八多神社の摂社として村内に鎮守し、八多神社を大宮(氏神)と崇め祭祀を行っていたが、1889(明治22)年、八多村の大字となった際、八多神社より分離して独立神社となった。」
神戸市北区八多町附物361-2
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