旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

赤穗市尾崎の散策

2020-12-11 18:37:09 | 西播磨
2020年12月10日、赤穗温泉の旅館祥吉に宿泊し、帰路で赤穗市尾崎を散策です。
まずは、赤穗八幡宮です。
「赤穂八幡宮は赤穂の氏神さまとして、室町時代の1406年(応永13年)に、現在の鎮座地に赤穂市の西(銭戸島)から 応神天皇(八幡大神)が遷座されました。室町時代は播磨国守護赤松家の庇護のもと維持され、江戸時代は赤穂藩主池田家、浅野家、森家の信仰のもと発展しました。明治維新に神仏分離がなされ八幡神社と呼ばれましたが、昭和27年以降は江戸時代の社名である八幡宮へ戻し、現在に至っています。」
赤穂市尾崎203番地
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社標

鳥居

太鼓橋



狛犬



手水舎

社務所



拝殿







長堂の絵馬













本殿





末社三光神社





八幡宮の東の小路を時計回りに散策します。

如来寺
「天台宗の寺院で、1605年(慶長10年)開創、開基は源清上人、本尊は阿弥陀如来。尾崎赤穂八幡宮別当神宮寺として、歴代の藩主大名及び地方の信者の参詣が多かったと伝えられ、明治維新になり神仏分離によって行基作と伝えられる阿弥陀如来を安置して1870年(明治3年)に如来寺と改め現在に至ります。本堂には阿弥陀三尊を、薬師堂には薬師如来が安置されています。」
兵庫県赤穂市尾崎829













塩釜神社
「赤穗八幡宮の摂社、塩釜神社、金毘羅神社、天神社の三社が1918年(大正7年)に合祀された。」









普門寺
「聖徳太子によって開かれ、慈覚大師により創建されました。もともとは、天台宗長安寺と共に、赤穂城下の東北に位置する雄鷹台山に建立されていました。」
兵庫県赤穗市尾崎825−2







































太地堂

宝崎神社(ノット)
「境内には古代神功皇后が船を着けたといわれるノット岩があり、八幡宮の神幸式ではこのノット岩まで渡御を行います。『ノット』とは『祝詞(のりと)を奏上する所』からその呼び方になったといわれています。宝崎神社には他に水神社と稲荷神社があります。」
赤穂市尾崎618番地
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宝専寺
説明書より「昔の宝専寺は真言密教の霊場として尾崎地区の北東の山の上にありましたが、戦国時代の1536年に浄土真宗のお寺として、現在の場所に移されました。その後、江戸時代に、本願寺から特別に一寺二住職の免許を得て、東院と西院の二人の住職がいる全国でも珍しいお寺になりました。当寺院で江戸時代中期に始まった正月の『めでたい舞い』恵比寿大黒舞は兵庫県無形文化財に指定されています。」
赤穂市尾崎595


























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赤穗市御崎周辺散策

2020-12-11 17:41:22 | 西播磨
2020年12月10日、赤穗温泉の祥吉に宿泊し、翌朝の散歩で周辺を散策しました。
旅館を出て、海沿いに北向いて歩きます。
赤穗だんつう工房の毯なか

お堂

赤穗温泉の看板



周遊バス乗り場

田渕記念館

塩味饅頭三島屋本店

レトロな家

正福寺(赤穗義士史蹟)
兵庫県赤穂市御崎478
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「補陀山と号し、浅野家の菩提寺である台雲山花岳寺の開山秀巌龍田大和尚の退隠された曹洞宗の寺院です。はじめは、城下の加里屋にあったとされており、後に御崎の現在地に移された。1701年(元禄14年)3月、浅野内匠頭の殿中刃傷の変が赤穗に伝わるや当時三世良雪和尚は大石良雄を檄するに『君辱死臣』の名言を与え、元禄の快挙として世に伝わる討ち入りを果たさせた。また大石良雄と良雪和尚が共に囲碁を愛したことは『二良の対局』の寺として世に有名です。寺には、この対局の碁盤や、仇討ち前日にしたためられた大石良雄の暇乞状、また、母への大高源五の暇乞状をはじめ、小野寺十内・原惣右衛門・赤埴源蔵ほか数々の義士書状が残っており、大石良雄が描いた両親の画像も保存されている。」





思誠小学校発祥の地
「1872年(明治5年)の学制公布を受けて、1873年3月20日に正福寺を仮校舎として新浜村(現在の御崎)に初めて小学校となる思誠小学校を発足した。」

法雲寺
「日蓮宗の寺院で山号を啓昌山と号す。」



猫さんに会いました。



光徳寺、真宗大谷派の寺院









廣度寺、浄土宗の寺院で常光山と号す。
廣度寺の本堂は、大石内蔵助が、開城の際に移り住んだ尾崎の「おせど」から通って残務処理をした、赤穂城下の「遠林寺」本堂が移築された。
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旅館に戻ります。

港にはレジャーボートがたくさん繋留されています。

仕出しの梅田商店

赤穗海浜公園の観覧車




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潮彩きらら 祥吉(赤穗温泉)

2020-12-11 15:19:50 | 温泉、旅館、ホテル
2020年12月9日、利用しました。海沿いに建つ旅館です。温泉は、弱含ラドン、カルシウム・ナトリウム、塩化物強塩低温泉のpH6.95です。早めの到着で、ゆっくりと温泉を楽しみました。大浴場から瀬戸内海の島影に夕日が沈むのを見て浴槽に浸かりました。素敵でした。夕朝は男女入れ替え制です。露天風呂が瀬戸内海を展望できます。
 宿泊プランは「浜会席」でスタンダード和室10畳でした。スタッフは皆さん若くて、丁寧で親切な応対でした。
兵庫県赤穗市御崎2-8
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外観

玄関

フロント

到着後にロビーでのおもてなし



売店



ロビー





アイスキャンデーの無料サービス、お風呂上りに1本

利き酒、忠臣蔵(本醸造)、忠臣蔵(生)、雪彦山(吟醸酒)、奥播磨(純米酒)、夕食前に提供しています。

赤穗浪士



ラウンジ

エレベーター内の飾り

廊下



















客室









おもてなし

窓からの眺望



夜にはかがり火が焚いていました。



洗面

夕食です。会場食です。家族ごとにテーブルを分けての提供です。足元は掘りごたつ式で暖房が入っていました。



食前酒、柚子ワインで乾杯、前八寸、帆立山椒煮・小松菜と湯葉の炊いたん・雪輪蓮根・公魚みじんこ揚

清酒の忠臣蔵を注文しました。

造り、季節五種盛り、鯛・鮪・ハマチ・鮑・雲丹

凌ぎ、焼アナゴ蒸し寿司



焼肴、鰆柚庵焼き・カリフラワー摺流し・炙りスペアリブ

鍋物、牡蠣鍋白味噌仕立て



揚物、牡蠣フライ

御飯、留椀、香の物

デザート、アイスクリーム・チョコムース・ラズベリージュレ・塩味饅頭

夕食後、部屋に戻ると"折り鶴"とメッセージ

朝食です。同じ会場です。
サラダ、小松菜とじゃこ、胡瓜の酢の物、豆と佃煮、塩海苔、ミカンジュース・ニンジンジュース・トマトジュース

出汁巻き、鯵の開き、

煮物

湯豆腐



味噌汁
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魚吹八幡神社

2020-12-11 11:28:26 | 姫路
2020年12月9日、お参りしました。
説明書より「魚吹八幡神社の起源は202年(神功皇后摂政3年)、西海より御環幸のとき、お艦(ふね)を宇須伎津の湊に泊められた際、皇后御神託を受け此処に浄地を開き一小社を造り、五依姫命を奉祀して敷島宮と号せられました。第16代仁徳天皇悪夢を畏み給いて紀角宿禰を遣わされ、319年頃、上の御三神を崇め祀られました。505年(第25代武烈天皇7年)に至り、魚の砂吹き寄せの故事に依り魚吹大神宮と号せられました。
 725年(神亀2年)播磨大掾吉備朝臣魚養公、神域を営繕しましたが、保元の頃(1165年~1158年)、石清水八幡宮の別宮となり源平の乱世も公武の厚く保護せられるも、1576年(天正4年)兵火に罹り社殿すべて灰尽となり祭祀の中断のやむなきに至りました。後1645年(正保2年)網干3ケ村、氏子協力して正殿を再建し、1650年以上に亘り、当地方産土神として信仰と伝統が受け継がれてきました。今日では氏子25ケ村、戸数15000戸を擁し特に秋の例祭には見事な屋台練りと、宵宮の華麗な提灯練りが繰り広げられます。」
兵庫県姫路市網干区宮内193
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楼門(兵庫県指定文化財)
「建築年代は不祥だが、鬼瓦及び丸瓦に『1686年(貞享3年)の刻銘がある。三間一戸八脚入母屋造楼門で、どっしりとした重量感があり、細部手法も優れており、播磨地方における江戸時代前期の代表的な楼門である。」















手水舎



狛犬



拝殿・注連柱

















鐘つき堂

社務所

神馬舎

本殿(姫路市指定文化財)
「現在の本殿は1645年(正保2年)の再建と伝えられる。桁行三間、梁間三間、入母屋造り、正面千鳥破風付き平入本殿で、屋根銅板葺きで、播磨地方において江戸時代前期という遺構の少ない時代の建築である。」



厳島神社



敷島神社本殿(兵庫県指定文化財)
「三間社流造で、三方廻り縁・高欄付、中規模ながら細部手法にも優れている。社伝に1645年(正保2年)網干郷民協力して正殿を再建し摂社等を整備したと伝えている。江戸時代初期の神社建築の技法を今によく伝える貴重な文化財である。」

金比羅神社

三神社

松尾神社

放生池

招魂社







力石
「江戸期の文政・天保年間、力石を担いで大力持ちとして関東一円を風靡した武州岩槻藩領三野宮村生まれの『三ノ宮卯之助』が仰向けになって両足で差回した『曲持ち』銘の力石と、手で差し上げた『差し石』銘の力石が当神社に現存する。これは1840年(天保11年)2月、大阪・天満宮で三ノ宮卯之助一行が興行したさい、魚吹八幡神社の氏子である網干回船の船仲間たちが当神社に招き興行したものとみられる。卯之助が担いだ刻銘の力石は、長野・諏訪大社など関東を中心にして26の有名な神社に37個現存しているが『曲持ち』と刻まれた力石は当神社に唯一つ残る貴重な力石。当地より以西には三ノ宮卯之助の足跡は見当たらない。」

小松神社
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