旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

亀山本徳寺

2020-12-10 23:08:48 | 姫路
2020年12月9日、お参りしました。
説明書より「亀山本徳寺は、もとは英賀の地にあった浄土真宗布教の本拠、英賀本徳寺(御堂)が1580年(天正8年)秀吉の英賀城攻略の時、秀吉の命により現在地の亀山に移されたのに始まる。のち、本願寺が東西に分かれたのに従い西本願寺派の播磨の根本道場となった。
 現在の建物は英賀から移転した当初頃の建物と推定される鼓楼を始めとし大部分が、17世紀末から18世紀前半(江戸中期)のもので18世紀後半の住宅風建物の茶所や大門など全体として30棟近くの建物である。建物全体が播磨における浄土真宗の中心道場としての伽藍形態を良く伝えていると共に個々の建物が年代を異にしていて江戸時代の建築様式を知ることが出来る点で貴重である。」
兵庫県姫路市亀山324番地
map
大門(兵庫県指定文化財)
「1709年(宝永6年8月)建築、一間一戸四脚門、切妻造、本瓦葺。」













手水舎

本堂(兵庫県指定文化財)
「県下最大の仏堂で18世紀の代表的建築、もと西本願寺の北集会所だったが、1873年(明治6年)移築した。妻入の本堂も珍しい。」





庫裏(兵庫県指定文化財)
「土間と49畳の板間と4つの小部屋があり、県下最大規模の庫裏、1719年(享保4年)の年号が瓦銘(獅子口)にあり、英賀当時の瓦も一部使われている。」

経堂(兵庫県指定文化財)
「18世紀中頃建築、方三間もこし付經堂、方形造、本瓦葺。」







鐘楼

浄華堂

大玄関(姫路市指定文化財)
「1691年(元禄4年8月)建築、正面三間・側面五間・唐破風本瓦葺。」

大鼓楼(姫路市指定文化財)
「十八世紀中頃建築、層正面三間・側面四間、上層方二間、上下層ともに入母屋造、本瓦葺。」



中宗堂(蓮如堂)










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)

2020-12-10 21:45:03 | 姫路
2020年12月9日、お参りしました。
説明書より「当社は播磨総鎮守、姫路城鎮護の神社として、播磨一円の人々はもとより、歴代の城主にも篤い尊崇を仰いできました。古くから『総社さん』の呼び名で親しまれていますが、『射楯大神』と『兵主大神』を本殿に奉斎することから正式名称を射楯兵主神社と云い、播磨国風土記にも登場する歴史ある神社です。
 射楯大神は『五十猛尊』と称し、素戔嗚尊の御子神であられ、日本の国土に檜を植樹された神さまで、幸福へ導く道開きの神さまでもあります。
 兵主大神の別名は『大国主命』『大黒様』と云い、縁結びの神さまと名高く、産業・医薬・酒造などの国造りの神さまでもあります。
 また、境内の摂社・末社には、天照大御神、ゑべっさんをはじめ、名のある64座の神々を祀り、総社の名の由来にもなっている播磨国総神殿には、播磨国内の大小明神174座の神々を奉斎し、日々の平穏と繁栄を祈願しながら人々の暮らしを見守っています。」
兵庫県姫路市総社本町190
map
社標

神門





西門

手水舎



狛犬



拝殿







本殿



恵美酒社・住吉社

鹿嶋神社





琴平社

東播磨総神殿

十二社合殿

西播磨総神殿

神明社

戸隠社

稲荷社





案内社八幡宮



粟島神社

長壁神社

厳嶋神社

長生殿



車祓所

八重垣門










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白国神社

2020-12-10 20:28:27 | 姫路
2020年12月9日、お参りしました。
「白國神社は、姫路市街地の北部にある広嶺山の山麓に位置する神社である。白國の地は、稲背入彦命が播磨別となり阿良津命が播磨国の初代国造りとなり、この地方を治め、その子は佐伯直の氏姓を賜り、佐伯蓮・差浮き宿祢など、代々大和朝廷の要職に就いてきたので、古くから開けた土地であった。『延喜式』神明、飾磨郡四座のなかに『白國神社』の名が、『峰相記』『播磨鑑』にも『白國大明神』の名があり、明治中期まで白国氏が神官として75代続いたという由緒ある神社である。
 八幡社は、本殿の北に位置し、南面して建っている。かつては白國大明神を祀る本殿であったが、昭和10年に県社昇格を祝って現本殿を新築した際、現在地に移して八幡神を勧請したものと伝え、様式的に17世紀末から18世紀初頭の建築と考えられる。
 一間社隅木入り春日造で屋根は銅板葺になっているが、かつては柿葺きであった。正面、側面の三方に切目縁を廻し、高欄、脇障子を置く。軸部円柱の身舎内部は奥行き中央付近で前後に分かち、正面外陣、背面内陣とし、内陣には宮殿を置き、内外陣境は引き違い戸四枚とする。外陣正面は両開きの桟唐戸である。正面向拝は庇を身舎幅より片側で四枝落ちとし、木階七級、浜床、浜縁がつく。縁廻り、高欄、脇障子、浜縁(浜床)は後補である。
 規模は小さいながら、組物を出組とし、蟇股や妻飾りに意匠を凝らしている。身舎の蟇股は正面に鳳凰、右側面に竹に虎、背面は波に兎、左側面は梅に鶯となっており、正面向拝に龍(裏側は渦)が配してある。身舎組物は出組で軒支輪(蛇腹支輪)とし、向拝は出三斗で、海老虹梁で身舎と繋ぐ。身舎、向拝とも頭貫および肘木先端の木鼻に繰形が付く。妻飾りは、正面は虹梁大瓶束で背面は二重虹梁大瓶束である。背面は支輪が廻っているため、背面妻飾り部分が手前にせり出しており、下段の虹梁の間に立葵と菊の紋を飾った蟇股を配している。紋は姫路城主であった本多家と神社の紋を組み合わせたもので、本多家との特別な関係を物語っている。
 17世紀末から18世紀初頭にかけての華麗な細部意匠をもつ上質な建築物であり、白國神社の旧本殿として歴史的に重要である。縁廻り等は後補であるが、全体として保存状況も良い。』
兵庫県姫路市白国5-15-1
map
社標

随神門





大石鳥居
「1717年(享保2年)9月に氏子中にて建てられたもので、播州餝東郡国衛庄白國神社と刻まれている。」

撫で戌



社務所

手水舎





参道

池鯉鮒社

狛犬



拝殿









神馬



本殿







山森稲荷社

白国神社八幡社(姫路市指定重要有形文化財)
「1935年(昭和10年)に現本殿の新築に伴い、旧本殿を移築したものと伝えられている。一間社隅木入り春日造りで、規模は小さいながら組物を出組とし、蟇股や妻飾りに意匠を凝らしている。屋根は現在は銅板葺きであるが、かつては柿葺きであった。17世紀から18世紀初頭にかけての華麗な細部意匠をもつ上質な建築物であり、白国神社の旧本殿として歴史的に重要である。」








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随願寺念仏堂

2020-12-10 20:07:03 | 姫路
2020年12月9日、お参りしました。
説明書より「随願寺念仏堂は常行三昧堂として建てられたものと思われる。1085年(応徳2年)白河天皇の中宮賢子の菩提のため常行堂を二階五間の堂に改め造くられたと増井山集記に記載されている。現在の建物は棟札により江戸時代の1809年(文化6年)大工棟梁池内忠兵衛により完成したものである。本尊は弥陀三尊である。周りには姫路藩士の墓や榊原藩士の墓がある。太子谷には風羅堂跡があり、芭蕉につながる誹諧の地である。姫路城主酒井忠恭の千山を思い『はせを葉や風にやれても名は幾世』と詠じた歌碑もある。」
兵庫県姫路市白国三丁目12-5
map
山門







念仏堂
























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八葉寺

2020-12-10 18:54:20 | 姫路
2020年12月9日、お参りしました。
説明書より「八葉寺(はちようじ)は、播磨西国三番札所で播磨天台6か寺の一つに数えられる古刹です。736年(天平8年)、行基上人の開基と伝えられ、平安時代『日本往生極楽記』を書いた寂心上人が中興したのが始まりとされています。毎年1月7日に修正会鬼会式(鬼追い)が行われます。これは不動明王、毘沙門天の化身とされる赤鬼、青鬼が『息災延命』『五穀成就』の願いを込めて踊るものです。」
姫路市香寺町相坂1068
map
紅葉が素敵ですね。





山王社

行者堂



本堂











弁天堂





観音堂








鐘楼堂













妙勝院










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする