回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

ピラミッド

2020年10月13日 16時10分54秒 | 日記

だれでもそうだろうが、まだ世界が自分の周囲に限られていた頃、リーダーズダイジェスト社「(ギリシャ人の選んだ)古代世界の七不思議」と言う冊子をみて、全く違った世界がそこにあった(古代なのだから当たり前だが)のに出くわして大きな衝撃を受けた。その時は、ただただ驚き、また、そういうことを知ったことがなんとなく誇らしくも感じた。つまり、急に目の前が広がったような気分になったのだ。不思議、というのだから当然と言えば当然なのだがどうしても信じられない世界がそこにあることを知らされた。

その最初に載っていたのがエジプトのピラミッドだった。因みにあとの6つは、バビロンの城壁、バビロンの空中庭園、マウソレウム、オリンピアのゼウス像、エフェオスのアルテミス神殿、ロードス島の巨人像、そしておまけにアレキサンドリアの大灯台。

この冊子によれば、エジプトのピラミッドについて、ギリシャ人は自分たちよりも高度な文明を持っていたエジプト人を知って畏怖の念を持ったらしい。それでも古代世界の盟主をもって自認するギリシャ人のことだからすぐに競争意識も生まれ、最初は実際の時期よりも新しい紀元前12世紀頃にピラミッドが出来た、と考えたらしい(実際には紀元前28世紀ころから)。そしてこのライバル意識を象徴するこんな逸話があるという。自惚れの強いギリシャ人がエジプトの古都テーベを訪れた時、神官に自分の家系の長さを自慢して自分は17世代さかのぼることが出来る、と言ったところ、神官は黙って神殿のホールに彼を連れて行き、341体の彫像を指さして、これらが皆親であり子であるのだ、と言ったというのだ。

ギリシャ人はピラミッドの建設技術そのものには驚かなかった(ギリシャの神殿はさらに精緻でもあったから)が、やはりその規模には度肝をぬかれたらしい。そして、ギリシャ人が古代世界の七不思議を選んだ時で既に2000年過ぎていたのだが、さらにそれから2000年経った今、七不思議で残存しているはこのピラミッドだけと言うのは驚くべきことだ。

いつかは行ってみたい、見てみたいと思ってはいたものの、実際に大人になってみるとなかなか忙しくてエジプトにまでは足を伸ばすことが出来ない。諦めかけていたところ、1997年になってエジプトに行く機会があり、その時にピラミッドも含め古代エジプトの遺跡を一度だけ訪れたことがある。その時はカイロにいた同期の駐在員に終始世話になった。博物館やピラミッド、ルクソール神殿群の見物も予定通り終え、最後の夜に彼と一緒にナイル川をクルーズするレストラン船で夕食をとった。食べ物や飲み物にあたらないようにそれまで厳重に警戒していたので無事だったのだが、多分その時に食べたサラダが良くなかったのだろう、あるいは最後の夜と言うことで油断があったのかもしれない。翌日朝早い飛行機でロンドンに向かったのだが、機中で激しい腹痛に襲われ、文字通り這うようにして自宅まで戻ったという苦い経験がある。そのわずか後に日本人10名も犠牲になったルクソール事件というテロ事件が発生した。

その現場となった、焼けつくような暑い砂漠の中の、古代エジプト唯一の女王、ハトシェプスト女王葬祭殿遺跡の壮大さ(荘厳さ)はピラミッドに勝るとも劣らないものだった。僅かひと月後にあんな事件が起きるとは、自分も一歩間違えれば巻き込まれるところだったと思うと首筋に冷たいものが走るのを感じた。

その後も中東は政情が不安だったし、今はまたコロナの感染のこともあり、あの古代遺跡群は自分の中ではまた手の届かない「世界の七不思議」に逆戻りしてしまいそうな気がしてきた。

ピラミッドと傍にある神殿の入り口

ハトシェプスト女王葬祭殿遺跡

 

コメント (2)
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