回顧と展望

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クリムト-2

2020年10月19日 14時27分53秒 | 日記

1997年1月から4月にかけて新宿の当時安田火災東郷青児美術館で開催されたのが、「レオポルドコレクション、ウイーン世紀末展ークリムトの夢、シーレの愛」。すでに20世紀もあとわずかと言うことで世紀末を謳った展覧会が多く開催されていたうちの一つ。この展覧会の主要人物は展覧会名にもある通りクリムトとエゴン・シーレ。

今手元にあるこの展覧会の図録をみると、表紙は、エゴン・シーレの「首を傾けた自画像」であるが、出展番号の一番から九番まではクリムトの作品となっている。なかでも、目を引くのが彼の代表作の一つである「死と生」。

縦178㎝、横198センチの堂々たる大作。さすがウイーン分離派の中心人物の一人だけはある。それにこの絵に込められた意匠も死のイメージ、生に対する死の脅威、切迫感が一層強まっている。なお、この展覧会はクリムトだけの展覧会ではないのでその他に大勢の、同時代の画家の作品が収められていてクリムトの作品も5作品が鉛筆によるデッサンになっているのはやむを得ないのだろう。

このクリムトの作品群の次に出てくるのが、同じくウイーン分離派の主要な画家、カール・モルの「冬のハイリゲンシュタット公園」。ウイーンの寒く厳しい冬の雰囲気が良く出ている作品。ハイリゲンシュタットは、ベートーベンが好んで訪れた公園としても知られている。また、聴力を失ったベートーベンが弟に宛てた手紙「ハイリゲンシュタットの遺言」でも知られている。

件の上司と一緒の時ではないが、ウイーンに出張してこの公園の片隅にあったレストランで当時ウイーンの事務所にいた同僚と夕食をとったことがある。そのレストランは周囲を建物で囲まれた中庭のようなところにあったのだが、この建物の一角にかつてベートーベンが滞在していた、と。しかし、大作曲家が滞在しているというので使用人の一人が、彼の部屋を無断でのぞき込もうとしたところ、それを知ったベートーベンはすぐにその部屋を引き払って別の部屋に移ったという逸話を聞いた。

それは多分今頃の季節、その年の新しい白ワインが出回ったところで、話が弾んだのか、あるいは新酒と言うことで口当たりがよく、軽めだったせいなのか少し飲みすぎて翌日、軽い二日酔いになったことがある。

コメント (2)
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