回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

ラ・ボエーム

2020年10月11日 12時48分06秒 | 日記

ヴェルディの「椿姫」が豪華絢爛、そして退廃したパリの社交界を舞台にしたものであるとすれば、同じパリでも屋根裏を舞台に、何物にも束縛されない、しかし貧しい芸術家と刺繍で生計を立てている貧しいお針子の娘を主人公にしたプッチーニの「ラ・ボエーム」はもう一つのオペラの人気題目だ。

プッチーニにとっては「マノン・レスコー」に次ぐ成功作として2作目のこのオペラもニューヨークのメトロポリタンオペラ劇場で観た。手元のチケットを見てみると2001年11月、「椿姫」をみる10日ほど前に行ったことになる。9月11日のニューヨーク同時多発テロからまだ日の浅いあのときは、再度のテロを恐れて劇場などの大人数の集まる場所を避ける動きがあった。そのため、普段ならなかなか手に入らないようなチケットが容易に手に入ったのだと思う。たしかに、まくあいに飲み物をもって暗い前庭を望むバルコニーに出てみても人影はまばらで客の数は少なかった。

カルチェ・ラタンの屋根裏部屋に住む芸術家4人のうちの一人と階下に住んでいたお針子の娘の純愛劇、そして最後には極貧の中でお針子が病死するという悲劇的な結末だが、そこに至るまでには若者の特権である激しい情熱や嫉妬、行き違いがちりばめられていてあっという間の4幕。お針子の名前が「ミミ(本当の名前はルチーアだが)」と呼ばれる、日本でもいそうな親しみやすい名前と言うのが、特に日本人の心をとらえるのかもしれない。

このオペラがこのニューヨークメトロポリタンオペラ劇場で初めて上演された(そして成功を収めた)のは1900年12月26日だから今からほぼ120年前、自分が見たのはほぼ100年後だった。ミミが最初にロドルフォに自己紹介するアリア「私の名前はミミ」は何度聴いても美しい。百合と薔薇を育て、一人暮らし一人お昼ご飯を食べる、屋根裏なので一番先に春の太陽を見ることが出来る、そして薔薇が芽を出す、しかし、私の育てる薔薇には香りがない、と言うのは、意味深長である。

椿姫にしても、あるいはマノン・レスコーやこのラ・ボエームにしても最後は(いかに劇的で美しいとはいえ)主人公の死で終わる、というのはどこかやるせない気持ちになる。だいたいフランスの小説や演劇は人生の最後まで描かないと結末を迎えられないようだ。

このオペラを見た日は11月の寒い金曜日の夜だった。見終わった後、屋根裏ではないものの一人の家にまっすぐ帰る気になれず、時々顔を出していたバーに寄ってみたら、たまたま知り合いで演劇関係の人が一人で来ていて隣になり、ミミのことを考えていて普段よりは少し多く飲んだような気がする。

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