人間の感覚は確かなようで不確かなものでもあるような気がする。自分では間違いなくそう感じても他人が同じように感じるとは限らない。また、自分のもつ習慣、あるいは思い込みで、ないものが感じられることもあるように思う。
初めてロンドンに着いて少し落ち着いたころ短期間だったが市内の北の方の古い住宅地にある一軒家に住むことがあった。そこはユダヤ人が多く住む町として知られていたところで、ドイツやポーランドなどから迫害を恐れてイギリスの亡命してきた人たちが集まって住んでいるようなところだった。厳格なユダヤ教徒は別として、一般的に普通のユダヤ人は目立たぬように質素に暮らしていて、その界隈も落ち着いた少し陰気ではあったが、緑の多い場所だった。
そこから市内中心部にある職場までは、地下鉄、と言うかそのあたりではもう地上を走っていたのだが、を利用した。初めてこの地下鉄に乗った時、その車両は古ぼけた、太い糸で編まれた織物のカバーの座席だったのだが、何かそれまでに感じたことのない匂いを感じた。それは、長い間埃を被っていた家具や真鍮の燭台の放つような、あるいは骨董品店にでも入ったような匂いだった。必ずしも不快なものではないが、頭の芯に残るような忘れられない匂い。
毎日その電車に乗っていつもその匂いがしていたように記憶している。そのうち、事情があって今度は市内の南の方の家に移ることになり、乗る電車も日本にあるような真新しい近代的なものにかわって、あの匂いも感じなくなった。ある時イギリス人の友人にこの電車の匂いのことを話したら、彼はそんなことを感じたことはない、という。きっと気のせいでしょう、と言いながら、彼は、それよりも彼が東京に行ったときに地下鉄に乗ったら何かいいようのない匂いがした、と。それは日本の自然がかもしだす香りなのか、あるいは日本人が放つ匂いなのかわからないが、それは忘れられないものだった、と。全く逆のことが起きていたのがわかった。
十年ほど経ってまたロンドンに赴任した時、空港から都心までの間を走る地下鉄にのったら、その電車は古い車両だったので初めに感じたあの骨董品店のような匂いがしてきて、それは少しも変わっていないように思えた。なつかしいというのか、様々な機会にまたロンドンに来た、ということを実感したのだが、この匂いもその中のひとつだった。
匂いといえば、人がつける香水についても同じような事がある。大体において日本人は控えめなせいなのか、あるいは匂いに鋭敏なせいなのか、余り香水をつけることをしないように思う。しかし通りすがりにいい香りがしたりするとつい振り向いてみたくなるものだ。ただ、その時はもう後姿しか見えないのでどんな顔だったか、空想するしかないのだが。それでも、服装や髪の形などは判る・・・。
イギリスの女性は若い人も年を取った人もそれなりに香水を付けている。高価なものなのか、そうでないものなのかはわからないが、さわやかで、強すぎないのにふんわりとまとわりついているような香りであればだれでも好感がもてるのではないだろうか。大事な仕事の、内密な打ち合わせなどの際に文字通り額を突き合わせていると、いつもは意識もしないひとからふとそんな香りを感じるととげとげしさもなくなって少し気持ちにゆとりが生まれてくる(ように都合よく思う)。
今でも少し古い電車に乗ればあの匂いがするのだろうか。また、ソーシャルデスタンシングが厳しく求められている昨今では、不意に香水の香りを感じるようなこともできないのだろうか。