コロナ禍のために、中止、延期となっているもののひとつに各種の国家資格試験がある。特定の職業に就職しようとする場合にはこういった資格試験に合格しなければならないが、今は試験会場の確保や感染防止策の徹底のために試験そのものが行われておらず、就職を考えている人は不安を覚えている、と言うニュースが流れていた。
この状況を打開するために国家試験を主催している各種団体は試験の方法を変え、会場・時期の分散、個別ブースに入っての受験やオンライン試験を導入したりして実施することを検討している。オンラインの場合の課題の一つは、いわゆるカンニング(不正)をどうやって防ぐか、ということらしい。そのために、受験生にはまず顔をコンピュータに認証させ、試験中には顔を録画し、その視線の動きを常時記録してもし不自然な視線の動き(例えばスマホを見る、あるいは他人の答案をのぞき込む)があれば、AIがそれを分析して、不正の確率を計算する、というものだ。AI が一定以上の不正の可能性の数値を出すと不正が疑われそれに対応する(どういう風にするかはまだ不明)。
視線の動きによって、今まで出来なかったことをするというのは大いにありうることだ。既に、例えば難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の方が、視線でパソコンの文字を選んで入力する意思伝達装置によってメッセージを伝える、というのが実用化されているから、視線を利用したものはますますその応用範囲が拡大されるだろう。
色々な感覚のなかで、視線を感じる、と言うのはかなり微妙なものだ。しかし、誰にでも「視線を感じる」と言う経験はある。自分はどちらかと言うと神経質な方ではない(と自分では思っている)から、普段は余り視線を感じるということはなかったが、それでも、実際、某共産国に出張した時には、空港やホテルそれに面会先などでどこからからの視線を常に感じたことがある。同僚に言わせると、そういった国ではその道の専門の者が外国人の挙動をかなりの確率で監視しているらしい。したがってそう思うのには十分な理由があったわけだ。誰だかわからない、視線を常に感じ続けるのは本当に不気味である。
以前知り合いの女性から、ある宴席で彼女は向かいに座った商談相手の男性の視線をずっと胸に感じていたたまれなくなり席をはずして、上にもう一枚着込んだことがあるという話を聞いた。その日は少し気合を入れた服装だったのだがそれが裏目に出たのか。一枚着込んできたら相手から、寒いですか?と訊かれたというが、本当のところは口にできないので、少し換気の風が当たっていたので、と答えたという。こういう話をされた時は、たまたま向かい合って座っていたのでたとえ意図的でないにしても視線を下の方に下ろすわけにはいかなかった。また、一緒に歩いている男女のうち、男性の視線が通りすがりの女性に向けられたりしたら、それはすぐに連れの女性にはわかるのだという。恋する女性は男の視線の先まで見通す力がある?
視線は向けるほうも向けられた方も、向けたと分かることも、なかなか厄介なものだ。受けたい視線がある一方で受けたくない視線がある。それが時と場合、相手によって違ってくるのだからむつかしい。とくに、その思いが互いにすれ違ってしまうときには。柔らかい視線、暖かい視線、冷たい視線、厳しい視線、糸を引くような視線と視線には数限りない。こういった話を始めたらきりがないか。
散歩の途中にすれ違う大型犬の視線。また、どこかでいきなりクマに遭遇した場合。いずれも視線を合わさずに後ずさりするのが正解らしい。間違っても背中を向けて走って逃げようとしてはいけない。その点、いくら視線を向けても文句一つ言わない、ナナカマド。まだ幼い頃、大きな暗い森を横切ることがあって、その時には周囲から何かの視線のようなものを一身に感じて、夢中で走って森を突っ切ったことがある。それは木の視線だったのか、あるいは・・・クマでなくてよかった。