回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

古いものを大事に使う

2020年10月30日 17時44分30秒 | 日記

朝夕寒くなってきたのでそろそろ暖房が必要かと思っていたところ、一つの部屋の暖房機が故障していることがわかった。不凍液が家の中を回って、それを温風にして部屋を暖めるシステムなのだが、暖房の元になる暖かい不凍液を循環させる栓が開かない。歳とともに力が弱ってきて栓を回す力がなくなったのか、それにしても、そんなに力のいる作業ではないはずなのに何度か試してみてもびくとも動かない。

最近は修理を依頼すると、直せるかどうかを問わず、とにかく出張代と言うことで請求をするという話を聞いていたので、数年前に暖房システムを入れ替えた時に工事してもらったガス会社の子会社に電話をして事情を話すと、まだ5年の保証期間内なのでそれでは、都合の良い日に伺います、費用はいただきません、ということだった。

約束の時間に前回担当した若い技術者が軽四輪に乗ってやってきた。初めに暖房システム全般をチェックした後、問題の栓をチェック、しばらく使っていなかったので、錆び、詰まり、ネジの部分が固まってしまったらしい。慎重に、いろいろな道具を使いながら、少しづつ調整し、最後にはどうにか温風が出るようになった。これで、今年の冬も乗り越えられそうだ。

古い大きな家なので、暖かい不凍液が家中に回るためには時間がかかるらしく、部屋ごとの暖房の使い方をきめ細かに調節しなければならない、と。初めて知ったのだが、暖房システム能力の制約から全室を一斉に全開にして温めることは出来ないようだ。それぞれの部屋では、少し抑え気味にして利用しなければならないらしい。この家が建てられたのはもう半世紀ほど前になるからその時はそれで良かったのか、あるいは、そんなに温めなくても冬を乗り越えられたのか(我慢強かった?)。

しかし、古い温風機の利点は単純な設計であることだ。手動で風量を調節するくらいで、最近のように自動的に温度設定をするとか、人間がいることを察知するセンサーだとか予約と言った機能はついていない。これらは便利ではあるがその分故障することが多い。こういった複雑な機械はどこか一か所でも故障したらすべてが止まってしまう。この点、古い機械はそもそも故障する可能性のある箇所がすくない。修理に来た若い技術者も、このままでもうしばらく使えますよ、と言って新しい機械を売り込もうとはしなかった。

こんな古い機械を大事に使おうとして、イギリスで、古い暖房システムと悪戦苦闘したことを思い出した。ロンドンに赴任して住んだ何軒目かの家は古い一軒家だった。そこは、大きくて庭が広くて気に入って借りたのだが、その家の暖房がかなりの年代物で、たびたび故障する。おかしな音を立てる、暖かい水が出ないなど、それで修理を頼むのだが、修理に来る連中はサービスも愛想もまったく良くない。一応、その道のエキスパートと名乗っていたが、どう見ても素人と変わりない水準。結局費用ばかりかかっていつも不満だらけだった。会社の同僚に聞いてもそれがここでの一般的なものと諦めていた様子だった。古いものを大事に使うというのはそれを支えるサービスがあっての話だ。どこを見ても古い建物ばかりだし、古いものでも大事に使う、と言う先入観があったのだが、それがすこし裏切られたような気がしたものだ。それで、自分で何でも修理するというDIY(Do it yourself)が盛んなのだ、と言うことも聞いた。骨董品などを見てもわかるように、古いものを大事に使うというイギリスの文化は脈々と生き続けているのに、日常生活の不便を我慢しなければならない、と言うのはなんとも皮肉。

翻って、日本ではいつも最新の高性能の家電や機械が手に入る。一方で、古いものはさっさと買い替える、といわれていたが、最近はそうでもないらしい。経済が停滞してきたためか、あるいは、人々がものを大切に長く使おうとし始めているのか、良くは判らない。しかし、今回修理してくれた若い技術者は古いものを見下すことはなく、その利点もキチンと知っていた。多分彼が特別と言うことはないのだろう。自分の思いこみも変えるようにしなければ。日本には古いものを生かそうとするサービスがあるようだ。

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