東京は世界の大都市の中ではどちらかと言うと暖かい所に位置すると思う。もちろん、シンガポール、バンコクやジャカルタなどのようにほぼ熱帯に近い大都市もあるがこれらの都市には四季がない。四季があって夏の暑さは熱帯並みと言うのは東京だけだろうか。この東京も10月に入ると急に涼しくなり朝夕の冷え込みには身の引き締まるような気分になる。個人的にはこの時期の東京が一年の中でも一番好きな、そして過ごしやすい時期だと思っている。もちろん、どこかに暖かさの予感のようなものを漂わせている春の宵も魅力的だが、秋の、冬に向かう直前の透明な空気も同じように魅力的だ。
最近の海外転勤の様子は良くは知らないが自分が40年前に初めてロンドンに転勤になった際には2か月ほど前にその事前予告(連絡)があり、健康診断や現地での就労許可が取れることが条件となっていて、それからそれらを取得するための手続き、たとえば、大学の卒業証明書や無犯罪証明書など、膨大な書類を一言一句間違えることなく作成しそれを転勤先の国に提出し、許可を得なければならなかった。先方としては自国民の雇用のことを考えれば出来るだけ、日本からの派遣者を減らそうと考えるのは当然だし、また、一旦就労を許可すれば何年も滞在するのだから変な人間に来られてはたまらない、と神経質になる。
こちらの方は、周囲に海外転勤の予定を隠すわけにはいかない一方で、もし万一健康診断で問題が見つかったりあるいは現地からの許可が出ないのではないかと、宙ぶらりんと言うか不安な時期でもある。就労許可を得られなかったということも、健康診断で異常が発見されることも極めてまれではあったが絶対にない、と言うことではない(悲劇的な例では、この健康診断で癌が判明し、転勤どころでなくなった、と言うのが身近であった)から、この期間はこれらの条件がひとつづつ解決されてゆくのを見守るしかなかった。
そうしてすべてが揃って最終的に現地に飛行機で飛ぶ2週間ほど前になって正式な辞令が出る。ここまでくればもう問題はないので安心し、やっと知り合いや親戚への挨拶と言うことになる。40年前は今ほど海外旅行が盛んだったわけではないし、例えば国際電話料金は極めて高額だった。インターネットは勿論ない。いったん赴任すると次はいつ日本に帰れるのかはわからない。簡単に行き来できないことだけは確かだった。今ならあり得ない話だろうが、海外転勤になると当時箱崎にあったTCAT(Tokyo City Air Terminal)まで同僚が見送りにきてくれたものだ。尤も出発直前になって海外転勤に怖気づいて出発しないようなことの無いように見張り番と言う俗説もあったが。
そうした初めての海外転勤ほど緊張したことはそうはない。そんな不安な時期がちょうど今の時期だった。そのためか、どうも東京の秋とは自分にとっては初めての海外転勤の緊張と新しい世界に乗り込んでゆくという期待の入り混じった気分を呼び起こすものになっている。秋晴れの、さわやかな明るい東京からもうすでに冬の気配が漂う、暗い寒いロンドンに到着したのは11月の中旬だった。到着して初めて何か東京に忘れ物でもしたような、損でもしたような気持になったのを覚えている。しかし、息つく暇もなく仕事に追われまた、生活基盤を固めるのに忙殺されてそんな懐かしさを感じる余裕はすぐに消えてしまった。
既に薄暗くなってきたロンドンに到着して最初に泊まったのは、現地の支店が用意してくれた、地下鉄セントラルラインのクイーンズウエイ駅近くにあるInverness Court Hotel(ネス湖の近くにあるInvernessという地名を名乗るホテルだけに一層薄暗く感じたのかもしれない・・・)。すぐそばにあるハイドパークにはもう枯葉が何層にも散り積もっていた。
下の写真は夏のInverness Court Hotel.