回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

葡萄

2020年10月17日 17時20分39秒 | 日記

かなり高齢の叔父から、庭の葡萄が食べ頃になった、自分だけでは食べきれないので、分けてあげたいと思う。ついでがあったらでいいから立ち寄って欲しい、と言う電話があった。普段あまり話をする叔父ではないのでしばらくご無沙汰にしていた。叔父は4年ほど前に胃がんの手術で胃の大部分を切除し、一時は体調も良かったのだがこのところ食欲がなく、体重が減ってきてそのうえもう90歳を超えてているので、いくら元気だと言ってもやはり心配していたところだった。前回姿を見たのはは2か月ほど前の墓参りの時。その時は、多分どこか血流でも悪くなっているのか、くるぶしから足にかけてむくみがひどく歩くのもままならなかった。彼は去年、長年連れ添ってきた夫人をがんで亡くし、今は一人暮らしをしている。たまたま隣に住む姪がいつも気にかけていて何かあればすぐに駆け付けることが出来るようなっているのだが、叔父(子供はいない)としては姪とはいえ、負担をかけるのには抵抗があって出来るだけ自分のことは自分ですると聞いていた。

姪は自分にとって従姉妹にあたり、歳も近いので子供の頃からよく知っている。それで彼女にそれとなく様子を尋ねてみたら最近は元気、ただ、訪れる人もあまりいないので、そういうのであれば是非顔を出してやって欲しい、と。自分の家の庭にも数本葡萄の木があって食べきれないくらい毎年できるので、葡萄狩りを、と言われた時にはどうしたものかという考えが頭をよぎったが、この従姉妹の話もあり、また無碍に断るのも忍びないと思い、週末の午後ご機嫌伺いも兼ねて顔を出してみた。

叔父は父の弟で、その下にもう一人弟がいたのだが彼は2年ほど前に他界してしまい、今では父の兄弟では彼と叔母が二人、ということになっている。大きな家で、少しガランとしたような応接間で改めて叔父の顔をゆっくり見てみると、3年ほど前に他界した自分の父とよく似ている(兄弟だから当然と言えば当然だが)。年齢的にも父の年齢に近づいてきていることもあるのかもしれない。顔が似ている、と言うことで、声も何となく似ているように思った。足を見てみるとむくみはほぼなくなっていたから、体調は以前より少し良くなったようだ。

とりとめもない話をしていたがやがて少し真顔になって、自分には子供がいない、妻にも先立たれてしまった。自分に何かあったら誰かに頼まなければならないのだが、という話になった。まだまだお元気ですよと言っておいてから、心当たりでもあるのか、と聞こうかとも思ったが、友人で遺言や相続に詳しい弁護士がいるので、体の調子が良いときに叔父さんの考えていることを弁護士に相談してはどうか、いつでも紹介しますよ、と言っておいた。

彼の庭の大きな葡萄の木は、多分ナイアガラ種とデラウエア種だと思う。この木には一寸したいきさつがあって、彼の知り合いの寺の住職がこの葡萄苗を知り合いの米国人から譲り受けた。そしてそれを檀家の一人が欲しいというので大切に育ててくれと言って譲ってあげた。住職がある時この檀家の家に法事に行ってみると葡萄が鉢のままで手入れもされていないことに気が付く。それで住職は葡萄を不憫に思い彼から取り上げ、それを叔父に託したのだという。叔父はもともと几帳面な人だったから住職に見込まれたらしい。その苗が30年以上経って立派な葡萄の木になって今はたわわに実を付けているという次第だ。

いずれにしてもそう遠くない将来、彼が死ねばこの家も主をなくして、間違いなく跡形もなく取り壊され、土地は更地になるのだろう。その時にはこの葡萄棚も壊されてすべて廃棄されるのだろうとぼんやり考えてしまった。彼から頂いた買い物袋ひとつの葡萄を車に持ち込んだら、その甘い香りが車の中一杯に広がった。いつかまた葡萄の香りを感じる時にはこの時の叔父を思い出すかもしれない。

コメント (2)
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