今朝、NHK FMの「クラシックカフェ」という音楽番組を聞いた。よく知られているブラームスのクラリネット五重奏曲 ロ短調 作品115他が放送されていたのだが、ナレーションの貞平麻衣子の声を聴いていたらどこかで聞いた声によく似ているような気がした。すぐには思い出せなかったが、しばらく聞いているとその声は、かつて自分が働いていたところの組織の電話交換手の声だった。
携帯電話が当たり前になっている現在では想像もできないだろうが、1970年代、日本では、電話回線が高価だったのか、あるいは電話番号の制約があったのか、どの組織にも代表電話があり、そこで電話交換手が一旦受け、それからそれぞれの部署の内線番号に転送する(繋ぐ)と言う形式だった。今では完全に姿を消した電話交換手と言う職場あるいは専門家がいた。
仕事を始めた頃、自分は本部の大きなビルにいたので出先から電話をするということはほとんどなく、したがって、電話交換手とも接点はなかった。その後ロンドンに転勤となり、しばらくしてから、大きな案件で東京の本部の幹部と直接電話でやりとりをするようになった。東京とロンドンは夏で8時間、冬には9時間の時差があるので、ロンドンの深夜か朝早くに東京に電話することになる。当時の国際電話には、声が相手に到達するのに少し時間がかかり、また返事として聞こえてくる声が微妙にずれてしまうという独特な感覚があったので、交換手はかけてきた相手が海外からの国際電話と言うことが判るようになっていたと思う。
頻繁に電話をしているうちに、一人の交換手が大体自分の電話を取り次いでいるらしいことが判った。もちろん交換手は自身の名前は言わないからこちらは名前を知ることは出来ないが、交換手のほうはこちらが名乗ったうえで話したい相手に繋げるから、こちらの名前はわかることになる。初めの頃は電話をする幹部とのやり取りに気を取られていて交換手の声に気が回ることはなかったが、案件にも、幹部にもだんだん慣れてくるにつれて少しゆとりを持てるようになって、改めて交換手の声を聴いてみるととても耳に心地いい響きだ。
考えてみれば交換手は声がいのちなのだから心地よい声の持ち主を採用するのは当然なのかもしれないが、それでもこの一人の交換手の声は特別のように思えた。そのうち、こちらから電話をするとその交換手はすぐにこちらの名前が判って、いつものところにつなぎましょうか、と言ってくれるようになった。その交換手の声は、とても柔らかい女性の声なのだが、媚びるような感じはなく、発音は全部明瞭で、一つ一つの言葉を実に大切にしているのが良く判った。生まれ持ったものなのだろうが、言葉に癖がなく、澄み切った響きのする声の持ち主。いくら声が良いと言っても例えば、吉永小百合(失礼!)のように少し鼻にかかったような声は自分は苦手だ。しかし、この交換手の声にはそういったところは微塵も感じられなかった。
何度も電話をかけているうちには、繋ぐ相手が話し中、ということがある。その時にはこのまま待ちますか、あるいは架け直されますか、と言う質問になるがその時に短い会話をするようになった。もっともこちらからはどのくらいかかりそうですか、と訊くと多分もう少しで終わると思います、とか、しばらくかかりそうです、と言うような会話にすぎない。
いつか東京に行くようなことがある時にはこんなに気に入った声の持ち主なので顔を見てみたいという誘惑にかられることがないでもなかったが、さすがに名前を聞くのはためらわれた。もちろん彼女から名乗ることはしない。いわば匿名性が交換手の絶対の要件だったから。そのうちに、東京にそう頻繁に電話をすることもなくなり、いつかこの交換手と話す機会もなくなった。それが数十年経って今朝、貞平麻衣子の声を聴いてその声にあまりにも似ていると思えた。声だけで記憶が蘇る。もうこれからはこんな経験をすることもできないだろう。
今朝放送されていたブラームス。アマデウス弦楽四重奏団、クラリネットはカール・ライスター