タワーマンションの上層階からの眺望やガラスとスチールでできた機能的で清潔な部屋には都市生活の魅力があると思うが、一方で緑に囲まれた静かな環境も人を惹きつける。かつてイギリスの貴族階級は大都会には仕事のための住まいをもち、仕事のない時には広大な敷地に芝生や林に囲まれた本宅を持つことを常としていた。こういった本宅がカントリーハウスと呼ばれる。しかし、そういうことのできる特権階級はほんの一部であり、ほとんどの人はそんな贅沢な選択は持ち合わせない。都市での生活を選ぶかあるいは少し不便でも田舎の生活を選ぶか、ということになる。自分の限られた知識や伝聞からではあるがイギリス人はできるのであればいつかは静かな田舎に住みたいと思っていると思う。特にある程度歳を取るとその傾向は強くなっていくようだ。
40年ほど前にロンドンに駐在になって、週末に郊外に出かけて感じたことはイギリスの田舎の風景が清潔で豊かに見えたことだ。どんな田舎でも、どんな細い道路も舗装されていたし、どこでも電線が地中に埋められているので電柱や電線が風景を損なうこともない。深い緑の中に石造りの家が肩を寄せるようにして道路の両側に連なっているのを見ると田舎暮らしを夢見るイギリス人の気持ちが理解できるような気がした。
翻って赴任の前に仕事で何度か日本の地方、農村地帯を訪れる機会があったのだが、そのころの農村風景には建物に統一感もなく、表現が不適切かもしれないがくたびれたような家が目について、必ずしもひとをひきつけるものではなかった。それだけにイギリスの農村風景が新鮮に見えたのだと思う。日本の家屋の大半が木造でトタン屋根が主流だったのに対してイギリスの家は農村であってもその地域の石を使用した重厚なもので年月を重ねるごとに趣が増すようにも感じたから、小さくて少し傾いていたとしてもうらぶれたという感じはなった。
もともと100年程度は持ち堪えられるようにできている石造りの家と、流行を追って2-30年ごとに新しい家に建て替えることを前提にしている日本の家とでは比較するのは無理があるのかもしれない。それにイギリスの農村風景は産業革命や多くの植民地によって潤っていた大英帝国からの遺産でもあるのに対し、日本のそれはまだ短く更に敗戦による国土の破壊などもあって蓄積が違っていたのも事実だろう。
しかしながらここ30年ほどの日本の農村の風景や農家の佇まいの変化は著しい。新幹線などから望む農村の風景は、新しい瀟洒な大きな家が立ち並び、住環境は決してイギリスの農家に引けを取らない。それは何も農村の家だけではなく、道路や公園の整備についても言えるだろう。経済の停滞が長く続いてはいたけれども、日本は着実に量から質への転換を行ってきたのだと思う。惜しむらくはいまだにそこかしこに電柱が立ち並び電線が空を切り裂いているところの景観がいささか残念だと感じさせるところか。
1982年にデイヴィッド・テイトが創業したリリポットレーン(Lillipot Lane)はイギリスの観光名所から始まって地方の民家や漁師の家まで、そのミニチュアを手作りで製造することで一時代を画した会社。作られたミニチュアは細部まで再現され、家に絡まるつる薔薇、フラワーポットや敷石も本物と見紛う。今にも扉を開けて人が出てきそうな精巧な、そしてどこか温かみのあるミニチュアはイギリスの田園生活に対する人々の憧れに応えるものでもあった。これを見ていればどこにいてもイギリスの生活の一端を味わうことができる。それなりに人気はあったのだと思うが、この会社はしかし、2016年に工場を閉め製造を中止してしまった。翌2017年創業者のテイトは9年に及ぶ癌との戦いの末死去。こういった味わい深いミニチュアが再び作られるようになるのはいつのことか。
茅葺き屋根(Thached Roof)コテッジのミニチュア。