まるでとてつもない大きさの巨人の手で家をわしづかみにされて振り回されるような感覚になる地震、バレンタインデー前夜のプレゼントとしてはあまり歓迎できない。日本に生まれた以上、誰にとっても地震は生活の一部であって常にそれに備える心構えが必要だから多少の揺れでもそう驚かないが、昨夜の地震、福島県の震度6強というのは想像すると確かに恐ろしくなる。これまで自分自身が経験したのは、2011年の大震災での震度5強。品川のビルの23階で仕事をしていて、見慣れた窓の外の風景が時間が止まったようになり、周囲の高層ビルが横揺れで一瞬重なり合うように見え、また室内では書棚が大きく移動してしまうほどの揺れだった。
その晩は部下の帰宅を見届けるために事務所で一夜を明かし、眼下に見えるJR と京急の品川駅からゆっくりと電車が動き出すのが見てから帰り支度をした。その日土曜日の昼過ぎ杉並の自宅に着いてみると外壁には異常がなかったものの、部屋の内部は文字通り足の踏み場もない状態。辛うじて書棚は倒れていなかったが中のいくつかの飾り物は破損していた。一方で食器棚は大きく移動して扉があき、食器が飛び出して被害が大きかった。
その前20年ほど過ごしたロンドン、ニューヨークはともに地震とは無縁だったので駐在中に大きな揺れを感じたことはない。たしか一度日本に出張したときに夜中震度3程度の地震に遭遇したことがあり、年甲斐もなく動転したことがある。足元の大地が頼りなく、まるで軟体動物にでもなったように揺れるということほど人間を不安にさせるものはない。
2011年の大震災の翌週には釜山へ1週間の出張の予定が入っていた。まだ余震の続く日曜日の夕方成田を飛び立ったJALが東京都心の上空を通過すると、街全体の明かりがいつもの数分の一にまで少なくなって暗い中に沈んでいたように見える。そのなかで、明かりの乏しい新宿から西に伸びる甲州街道を走る車の灯りの列が一際鮮やかだった。その頃日韓関係は今ほど険悪ではなく、行く先々でまずは地震についての状況が話題になり(日本には多くの韓国人がおりその安否を気遣う人も多かったから)、そして丁寧なお見舞いの言葉をかけられたことを思い出す。+
2011年の震災の時自宅には地震保険が掛けられていた。保険会社はほかの膨大な保険事務処理に忙殺されていたのだろう、簡単な調査の後、家財道具に被害が出たということで保険金として25万円ほどを支払ってきた。一つ一つの被害額を算定してはいないが、建物に大きな被害が出たわけではなく、壊れやすい家財道具が破損した程度だったからそれにさほど不満はない。そうは言っても家の中の整理には数日かかったように思う。
この時に破損したひとつが19世紀末のドイツ製といわれる3脚の手描きの絵入りの花器。3本あるライオン足の一つが棚からころげ落ちた時に根元から折れてしまった。幸い破損個所はそこだけでありまたきれいな割れかたをしたので、接着剤で取り付けてみたところ遠目にはわからない程度にまで修理できた(当然骨董品としての価値は殆どなくなったが)。
この花器、取手が3つあり3面にーそれぞれ異なった美しい女神たちの姿が描かれている。重量感があって、置き物としては申し分ないが、花器としては足が1本折れたのでもうあまり無理はできない。