家から車で数分走ったところの、道路が緩くカーブしている突き当りにある家は張り出した大きな窓際に、これまたいくつかの大きな鉢植えが置いてある。この窓は東向きなので一年中日当たりがいいはず。そこにはいつも天井まで届きそうな大きなポインセチアの鉢が置かれている。その鮮やかな赤い苞は緑の葉との対照で一段と輝いているように美しい。
クリスマス時期にきれいに咲いていた(ように見えた)ので、きっと花の手入れに熟練した人が丹精込めて育てたのだろうと思っていた。ところが2月になってもその美しさは変わることがない。いくら育て方が上手だといっても生き物であればいつかは変色したり少なくとも葉の色が変わってくるだろうが、そんな様子は見当たらない。不思議に思って車の少ない時(このところの外出自粛で交通量は少なくなっている)に近くでじっくりと観察してみた。よく見ると、安っぽくは見えないが多分プラスチックか何かで作った造花だとわかった。日当たりが良すぎるのか、むしろ少し色あせてさえいる。
車で何気なく通るときには目を楽しませてくれたこのポインセチア。しかし、これだけの大きさで、少なくとも遠目には鑑賞に耐える造花を飾っておくというのは簡単ではないだろう。そういえばこの家は空き家ではないのに住んでいる人を見かけたこともなく、家全体にどことなく人の気配が薄いように感じる。きっと、多忙でしょっちゅう家を空けている人かあるいは年老いた夫婦あるいは独居老人が住んでいるのかもしれない。
ロンドンで働いていた時にそこの事務所の、30人は入ることのできる大会議室には大きな花瓶にドライフラワーが活けてあった。秘書に聞いたら、匂いもあまりしないし生花より長持ちするからこういう場所にはドライフラワーの方がいいのだという。春夏秋冬、一年に4回ほど入れ替えられていたので季節感も楽しめた。これを見て自分でも庭のバラを束ねて逆さにつるしてドライフラワーを作ろうとしたことがあった。しかしそれらしいものは出来たが鉢に活けるものにはならず、結局いくつかをまとめてスワッグにして玄関に飾ったことがある。造花の変わることのない美しさにも引かれるが、何物も永遠というものはないのだから、遅かれ早かれ枯れてしまうとわかっていても生きた花の方がいいと思う。
造花の一つといえるのか、陶器で作られた花もある。これは1801年創業のスタッフォードシャー、クラウン社製のフラワーポットアレンジメント。35年前にロンドンを離れるときに秘書から贈られたものだ。遠い記憶だがこの秘書は、その時は陶器のように色白で整った顔をしていた。