今日の日経平均株価は1990年8月2日以来約30年半ぶりに3万円台に乗せた。雇用情勢は良くないのに、コロナの感染者が減ってきたことやワクチン接種が始まること、「コロナ後」の景気回復を期待するという、何かにつけていつも一歩先走りをする(したがって外れた時の反動も大きい)株式相場なのだろう、このところ日本もアメリカも株価が上昇している。株取引の一つの諺として「噂で買い、事実で売り」というのがあるが今は市場の「空気」で買いが買いを呼んでいるようだ。いつものことだが、証券会社は言ったことについて全く責任を持たないから(常々友人に言っているように)火傷したくなければ株には手を出すな、ということだ。
日経平均株価が3万円だった最後の日、1990年8月2日は、いわゆる湾岸戦争の契機となった、イラク軍によるクウェート侵攻のあった日。それまでもいくつも戦争はあったが(たとえば1982年のフォークランド諸島をめぐるイギリスとアルゼンチンの軍事衝突やイラン・イラク戦争など)、一国の軍隊が他国に侵攻して全土を占領する、というのはほかに例を見ない。原油とカネをめぐるイラクとクウエートの対立が思わぬところで軍事侵攻・占領となり、それがアメリカ軍を中心とする多国籍軍による湾岸戦争、クウエート解放、イラク・フセイン政権打倒に繋がる。
幸い、というのが適当かわからないが軍事的には多国籍軍が圧倒していて一か月ほどのあっという間にイラク軍を殲滅し大勢が決した。多国籍軍についていえば人的損害も総計で400人程度にとどまった。もっとも、イラク軍がクウエートから撤退したときに油田に火をつけたため、それを鎮火させるために10か月という時間と莫大な費用が掛かったが。
自分は中東とはあまり縁がなかったが、その1年ほど前に、一つのプロジェクトのためにトルコ、バーレーン、オマーン3か国に出張したことがある。その時はまだ戦争の予兆はなかったように思う。比較的寛容なイスラム教国であるバーレーンは、橋で厳格なイスラム教国であるサウジアラビアとつながっている。現地の駐在員に案内されてどこまでも続く浅い海に架けられたキングファハドコーズウエイを国境の検問所の傍まで車で行った。晴れ渡った空に青い海、そこをまっすぐに伸びる高速道路、そしてその先はイスラムの盟主サウジアラビア、という何か蜃気楼にでも包まれたような光景が極めて非日常的だった。
そして1年後、その時は2回目のロンドン赴任したばかりの時であり、中東とは遠く離れているとはいえ、飛行機による移動には不安を感じないわけではなかった。それに、前回のフォークランド戦争のことが頭にあったから、そしてイギリスもアメリカに同調して早々と多国籍軍への派兵を決めていたから、周囲に戦争の匂いがして、大げさながら緊張感のようなものがあった。
絨毯は偽物をつかまされることが多いといわれ、また、値段も10倍くらいは平気で吹っ掛けると言われていたので買う気がなかったが、出張時のイスタンブール事務所長が旧知の間柄で彼の勧めで買ったのがこのトルコ絨毯。別に彼に絨毯を見る目があるというのではなく、もし友人を裏切ったら二度と商売しない、という圧力を絨毯商にかけてカモにされないようにしてくれた、というもの。大きさは玄関マットにちょうどいくらいが、さすがにそれなりの値段のしたもので普段踏みつけるのには忍びなく今はサイドボードの上に広げている。シルクなので肌触りも良く、光線の加減で見える色が明るくなったり暗くなったりするところも魅力だ(ただ、ある人に言わせると絨毯は踏まれて締まるもので、踏まれないところに置くのは良くない、とか。素人目にはまだ、結び目は緩んでいないようだが・・・)。