回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

ホームカミング

2021年02月04日 16時53分58秒 | 日記

かつて同窓会というと高級ホテルの大広間での宴会、お決まりのスピーチと余興、校歌(あるいは寮歌)を歌ってお開きという、そしてそのあと三々五々二次会三次会で旧交を温めるというのが定番だった。同じ学校の出身者ということで、ひょっとすると何か仕事にも役立つかも(人脈)という期待をもって参加した人もいるかもしれない。いずれにしても、高校にせよ大学にせよ、学んだところへの愛着というよりも、その当時の級友、学友と会うことが主たる目的だ。もっとも、卒業した学校に対して、いい思い出を持っていない人も数の上では結構多く、そういう人たちはそもそも同窓会などの会員にはなっていない。もちろん、会員になるには年会費あるいは終身会費を支払わなければいけないから、費用対効果(!)で距離を置いている人もいる。

しかし、ここ15年ほど、特に大学では同窓会とは言わずに「ホームカミングディ」と名前をかえて、内容も宴会というよりも、母校への愛着を再確認してほしい、そのため、場所もホテルなどではなく卒業した大学のキャンパスで行うセミナ-や記念講演、施設紹介という風になってきて、そろそろ定年を迎え時間を持て余している団塊の世代の、かすかに残っている「知への関心(!!)」に応えようとしているようだ。一方で今や国立大学といえども財政的に自立が求められ、もはや象牙の塔などというのは完全に死語になってしまっているから、何らかの形で卒業生からの支援を受けたい、と思うのは自然なことだろう。

確かに、アメリカに駐在していた時、秋のはじめ頃、そこかしこの高校や大学で派手なホームカミングディの催がありそのアトラクションとしてアメリカンフットボールの試合が行われていた、という記憶がある。それがいつの間にか日本でも同じように行われるようになり、定着してきたのだろう。同窓会という少しかび臭い権威主義的な名称よりもホームカミングディという英語のネーミングの方が卒業生にも受け入れられやすい。

文字通りのホームカミングとは帰郷、帰国だから、ホームカミングディは学校が卒業生に「お帰りなさい!」という気持ちを表したものだ。人間帰るところがある、あるいはお帰りなさい、と言われるのはたとえそれが学校であってもうれしいはず。

ロンドンで骨董品を買っていたころ、たまに日本からイギリスあるいはヨーロッパに持ち出された(輸出された)ものと出くわすことがあり、骨董屋はこちらが日本人だとわかる、誰でも日本の焼物に詳しいと勘違いしていろいろと意見を聞いてくることがある。こちらはもちろん素人だから、当たり障りのないことしか言えない。またそれでも熱心に売り込んでくるものもいる。目利きはできないから気に入ったものをそして値段の安いものを買うことにしていた(どのみち、吹っ掛けてきているのだから)。それで買ったのが、この九谷の花瓶。明治時代に日本から輸出されたもの、ともっともなことを言ってたが、正確にはいつ頃のものかはわからない。いずれにせよ、日本の窯で作られたことは間違いなく、その意味では、日本に里帰り、ホームカミング、といえる・・・。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする