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庭物語

庭に咲くハーブや草花の様子を綴ります。
管理者はミントです。

病院長に贈られたバラ

2006年11月20日 | ガーデニング
夕べ降り始めた雨が一日降り続きました。肌寒かったです。薄暗くて寒い日でしたが、私はその天気も気にならないくらいウキウキしていました。

夕べ寝る前に今読んでいる本の続きを先へ進みました。そしてついに見つけてしまいました。無理な農作業、無料の肥料相談、質素な食事・・・あまりにも体調管理に無頓着だった賢治の身体は体調を崩すと回復に時間がかかります。
花壇を作った病院の院長は賢治の父が親しかったようで自然に賢治とも交流があったのでしょうか。2人とも身体を壊し療養していた時期があり、真夏のある日院長宅に賢治が遊びに来たことが書いてありました。2人とも院長の庭でとても楽しい一日を過ごしたようです。特に賢治にとって忘れられないほど楽しい日だったのではないでしょうか。この先の最後の2行に私の目は釘付けになってしまいました。心の準備がなかったのですごく驚きました。それはこういう文章です。

 秋になり賢治さんは私に立派な薔薇の苗二十種を届けてくれました。その薔薇は今も大切に培養されていて、年ごとに美しい色を咲かせます。[1929年]

1929年は昭和4年です。写真は昭和7年のもの。そしてこの本の初版本は1942年、昭和17年に出されています。贈られて13年経っても美しく咲いているというのです。この本の著者は薔薇を贈られた本人、佐藤隆房院長です。
昨日のブログに本の写真にはバラは3、4本あるように見える、もっとあるかも、と書きましたがほんとは9本くらいに思えていたのです。
パソコンで拡大してみると少ない本数でないことはわかりましたが、まさか20本も贈られていたなんて・・・驚きです。鉢植えを並べて撮ったのでしょう。
ほとんど収入のない賢治がどのようにしてバラの代金を支払ったのかは別として、20本の中に「日光(グルス・アン・テプリッツ)」が含まれていたのでしょうね。
木の大きさに多少違いが見られるようですが皆大きな花をつけているようです。まさか全部が日光?とは思われないので、他にどんな薔薇があったのか気になります。これらの薔薇は今でも存在するのでしょうか。薔薇を贈ったとき賢治は33歳、グルス・アン・テプリッツは32歳日本に輸入されていたのは確実ではないでしょうか。画像はこぼれ種で出たボリジです。春まで枯れずにがんばってほしいです。
コメント (4)
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