朝方はまだ小雨が残っていましたがいつの間にか晴れて暖かい日になりました。
少しこんな日が続いて欲しいですね。
よく「賢治が愛したバラ」として紹介されている「日光」(グルス・アン・テプリッツ)ですが彼はどこでこのバラを知ったのでしょうか。
のんのんさんのお話によると明治41年位には日本に来ていたそうです。昭和初期には香りがいいのでトップクラスだったというのを読んだことがあります。カタログや定価表にそのようなことが書いてあったのかもしれませんね。実家で病気療養中にカタログで見て取り寄せたのかも・・・。一生懸命調べている彼の姿を想像してしたりしています。賢治にとってこのバラが特別だったのでしょうか、今まではそう思っていました。
でも先日、院長宅に20種ものバラ苗が届いたことを読んでから少し思いが変わってきました。色々検討して20種類を選んだのであって「日光」だけが特別なバラという訳ではないのではないか、と思えてきたのです。他にはどんな種類があったのでしょうね。
現在まで生き残ってくる過程で<日光が特別なバラ>になってきたのではないかなぁ、なんて思ったりしています(勝手に想像しているだけです)。
画像は今日の夕方のグルス・アン・テプリッツです。花びらが少なくなって花全体も小さくなりました。早朝は蕾だったのに今日の暖かさで夕方には少し開いていていい香りが漂っていました。誰がどんなことで悩んでいてもバラはこうして咲いてくれます。
少しこんな日が続いて欲しいですね。
よく「賢治が愛したバラ」として紹介されている「日光」(グルス・アン・テプリッツ)ですが彼はどこでこのバラを知ったのでしょうか。
のんのんさんのお話によると明治41年位には日本に来ていたそうです。昭和初期には香りがいいのでトップクラスだったというのを読んだことがあります。カタログや定価表にそのようなことが書いてあったのかもしれませんね。実家で病気療養中にカタログで見て取り寄せたのかも・・・。一生懸命調べている彼の姿を想像してしたりしています。賢治にとってこのバラが特別だったのでしょうか、今まではそう思っていました。
でも先日、院長宅に20種ものバラ苗が届いたことを読んでから少し思いが変わってきました。色々検討して20種類を選んだのであって「日光」だけが特別なバラという訳ではないのではないか、と思えてきたのです。他にはどんな種類があったのでしょうね。
現在まで生き残ってくる過程で<日光が特別なバラ>になってきたのではないかなぁ、なんて思ったりしています(勝手に想像しているだけです)。
画像は今日の夕方のグルス・アン・テプリッツです。花びらが少なくなって花全体も小さくなりました。早朝は蕾だったのに今日の暖かさで夕方には少し開いていていい香りが漂っていました。誰がどんなことで悩んでいてもバラはこうして咲いてくれます。