最近買い受けた本の中に、「本屋さんへ行こう」「ケトル(創刊準備号)」というムックがあった。
以前から時々出る「特集記事」や別冊などがあるが、そして中には時々古本屋のことを
あれこれ というのもあるが、 さらにこれらのムックはどう見ても数千部、あるいは萬
を超えて販売されていると思われる。 さらば 其の読者は一帯何処にいるのか?という
疑問がわく。大牟田の片田舎は論外としても福岡に、北九州にどの程度存在するかしら。
一方、ムック類の内容は 圧倒的に東京情報で 本当にどうでもよい「泡」の記事ば
かり、まれに関西が顔を出すのは アリバイ工作か。そして 新刊やはこんなに「騒動して」
あれこれ紹介しなければならない価値のあるものだろうか。
思うに この手の出版を企ている連中の感覚には東京以外の「文化圏」というものは
存在しないと思う。またほとんどの者が稲の実のなり方も知らないのではないか。
都会派 それはそれで結構だが このような本(雑誌)が次々出るのを見ると
「紙の無駄使い」「神田村ド壷」という思いしか浮かばない。古本で数百円で買える
品を麗々しく宣伝し数千円で売る、 それを買う どっちが先で、どっちがわる
いのでしょうかなあ。
内容には 「本屋に行って何か探し出そう」と言うような惹句がある。これだけは
強く 支持する文言である。ことに古本屋は「何かあるかな?」と思っていくところ
であって、 新刊屋の売れ残りを安売りしているのでは ない! 「先々月の文藝春秋
をください」など 決して訪ねてきてほしくない。
以前から時々出る「特集記事」や別冊などがあるが、そして中には時々古本屋のことを
あれこれ というのもあるが、 さらにこれらのムックはどう見ても数千部、あるいは萬
を超えて販売されていると思われる。 さらば 其の読者は一帯何処にいるのか?という
疑問がわく。大牟田の片田舎は論外としても福岡に、北九州にどの程度存在するかしら。
一方、ムック類の内容は 圧倒的に東京情報で 本当にどうでもよい「泡」の記事ば
かり、まれに関西が顔を出すのは アリバイ工作か。そして 新刊やはこんなに「騒動して」
あれこれ紹介しなければならない価値のあるものだろうか。
思うに この手の出版を企ている連中の感覚には東京以外の「文化圏」というものは
存在しないと思う。またほとんどの者が稲の実のなり方も知らないのではないか。
都会派 それはそれで結構だが このような本(雑誌)が次々出るのを見ると
「紙の無駄使い」「神田村ド壷」という思いしか浮かばない。古本で数百円で買える
品を麗々しく宣伝し数千円で売る、 それを買う どっちが先で、どっちがわる
いのでしょうかなあ。
内容には 「本屋に行って何か探し出そう」と言うような惹句がある。これだけは
強く 支持する文言である。ことに古本屋は「何かあるかな?」と思っていくところ
であって、 新刊屋の売れ残りを安売りしているのでは ない! 「先々月の文藝春秋
をください」など 決して訪ねてきてほしくない。