閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

本に限らず 物の行方

2011-09-26 19:50:31 | 日記
 このところ 一軒の家の片付け という 話が多い。
古いタイプの人たちは 物を捨てる ということに罪悪感を持っている。
そういった人たちが イザ自分で身の回りの世話が出来なくなったとき
残された品々は一体どうなるだろうか。
 本も もちろんこういう事例は多いのだが、陶磁器、あるいは油絵
になるとなお始末が悪い。
 下手にサインや窯印があると ひょっとすると「売れる」人の
作品か? と 処分を躊躇してしまう。 これが 怪しい!
 陶器祭などでの売れ行きが悪いと聞いた。 当然である。古書の
世界とおなじく 住宅事情は悪い、次々と新しい作家は出る、なかなか
割れて次に買い替えと いう場面はすくない。  行き着くところは 
やはり個々の作品の「力」でしかない。
 大量生産されたものを 少し時間がたったところで云々しても
結局ゴミ漁りのような結果でしかなかろう。要するにつくり過ぎなのである。

 ゴミの中から「宝物」を探す人、一方で 探された「お宝」しか
扱わない人、この二者のどちらに付くか? 思案のしどころである。
 世の蔵書家の皆様 お片付けはゼヒ 自分の目の黒いうちに
なさるよう あるいは反対に 一切ゴミでもかまわないと残る家人
に 言いくるめて置かれるよう。
 基本的には本も同じだが 世の中から消えてくれなければ
「希少価値」は発生しないのであるから どんどん捨てるべき という
 古本屋の希望にたどり着く。 本は基本的に「ゴミ」だあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする