「Y歌を聞きに行く」五木寛之:「ふるさと文学館」第47巻 福岡Ⅱ 所載。
筑豊の想い出を語る文で表題のように昔聞き覚えの猥歌のもとを探った話。
「ぼんぼよ」を繰り返す 数え歌だが 「名前」がない。そこで新聞記者を通じてあれこれ探る中で446pに「四十年の炭坑生活をふり返ってかかれたという伊藤晴雨の『うたがき炭鉱記』によれば・・」とある。(456pにも同様) 少し幅のある本好きならすぐに分かると思うけれどこれは「時雨」の間違いである。これは平成七年(1995)の刊行で、五木の昭和44(1969)の文章を載せたもので、いま初出の文藝春秋を確かめるまではできないけれども、五木は晴雨のことを知らないとは思えず、これを採用し、新たに組みなおす時間違ったのだろうけれども、「校正・校訂」がなされていないことが 知れてしまった。伊藤晴雨は全くの畑違い、古典的SMもの「責め絵」の大家であって晴雨が知ったら「アホくさ・何やってんだ」というだろうし、伊藤時雨氏からは怒られても仕方がない間違いだ。
いつものことで小生が目を通す本は「新刊」という事はごくまれで、古本なので間違いに気づいても訂正の申し出のしようがないものばかり。 出版社の態度・力量を推し量るばかりで、「本」になっているからと言って信用してはいけない、という事の再確認ばかりでやむをえないとはいえ面白いことではない。
ところでこの「ぼんぼよ」を繰り返す 数え歌だが 僅かに聞き覚えがある。ズット以前(昔と言ってもよい)上野英信と森崎和江の二人が大牟田へきて、その夕方、今はもうなくなった飲み屋で「歓迎会?」があって、武松氏の誘いで加わった。今にして思えば恥ずかしくなる「無知」な本屋だったがそのことはおいて、その際、森崎氏が歌ったのがこれだったと思う。参加していたほかの連中も「ぼんぼ」の意味が分からずポカンとしていて上野・森崎の両氏が苦笑?していたのを覚えている(ちなみに小生はわかった) そして小生は(歌はもとより)お返しの「芸」を全く弁えておらず「順番に」と言われて大変困った覚えはある。
この時 上野氏は数日後に南米へ出発するという事だった。このことは後で本になり、「筑豊万葉集」で見ることができるが、当時の小生はなんのことだか分らなかったのも恥ずかしいい想い出である。
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