閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

(古)本屋に何をもとめているのでしょう?

2014-03-13 21:28:12 | 日記

先だって、ある「新刊」大型書店と、ブック・オフに行って見る機会がありました。いずれも本がいるので行ったわけではなく別の用事で、しばらく待つことになって、店の様子を眺めてみました。週日の昼過ぎというのに結構人の出入りがあって、次々と入店しては店内に散ってゆく、レジも休むことはほとんどない。 小生の関心は来店者の言動なのですが、見ている20分くらいの間で、店員に「あれはないか」「どこにあるか」と尋ねる人は一人もいない!皆さん黙って書棚へ向かって流れてゆく。  なぜこんなことを書くか、以前からこのブログを見ている方にはお分かりだろうが、吾店に来るお客さんと 全然態度が違うことです。 誰も店員にあれこれ聞いてはいない。ひるがえって吾店ではほとんどの(地元の)入店者は入ってくるなり「○○はないですか」「○○ば探しよっですたい」と言って、自分ではこの小さな店の棚を見渡すこともしない人たちです(これは誇張ではありません)  なんで吾店の来店者はこう我がままなのでしょうか?「どうぞお探しを」といえば「探せというのか」「分類はどうなっとるか」「この棚の本はいくらか」etc.  これも先日、珍しく続けて、これとは反対の来客有。関連のない3組4名ですが、いずれも入ってくるなりずっと書棚をあれこれ見て、二人組は少し買われて「こんなにいろいろあるとは思わなかった。云々」。お一人は次々と本を手にして熱心に見ている、結局初版本を数冊、「もっとほしいけどお金が・・」もう一方は大牟田出身で今は上方在。郷土史や三池炭鉱、水俣病と関心は広い、こちらも「旅先なので」と控えめながらそれなりにお買い上げ戴いた。 いずれも 大牟田の人 ではない!  

 このところ本を処分される話しが相次いでいる、12・13日は久留米で、14日は荒尾で、15日は地元で。いずれも捨てるには惜しい、さればとて一点、一点が素敵というものではない、しかも長年吾店とのお付き合いのあった方の片づけとあっては疎かにはできない。倉庫はすでに満杯。買い入れるときは数百、数千冊いっぺんにであるが、売れて出てゆくのは1冊づづ。

 

 

 

 

 

 

 

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