面白い本を見つけた。正確には本というよりその「序文」が面白い。鴎外の筆なのだけれど 明治時代の活字と日本語の表記の揺れ動きについて対話形式に苦言を呈している。先に雑誌に提供した小文を「本」にする際に 彼なりの言い回し、正字の使用を求めたのに、活版屋が応じないので仲介の出版人と談判する話。
「机上寶典 誤用便覧」明治44初版。大町桂月・佐伯常麿著、文栄閣書店・春秋社書店 発行、A6版・総ページ583という袖珍本としては厚めの本。
洒脱な文章で漱石の「坊ちゃん」を思わせる表現、鴎外だってこんな軽味の文を書くのだ、と思った次第。 本文は「当て字」「誤用」のオンパレード。その解説も一読の価値あり。このころの人々は漢籍の下地があるし、康煕字典をもっぱら使っていたので漢字は自在、仏典に多いむやみと字画を増やした字も苦にならない、文語體から口語への「実施試験中」、しかも西洋語の翻訳の新語も加わるというという時期で今日の「日本語」の成り立ちにとって大変面白い時期であることは先刻承知。
小生もできれば簡略な教科書風の字よりも「本字」を使った方がよいと思っている方で、ことに今日のようにワープロが普及したら戦後のいい加減な漢字制限などはなくしてもよいのではないかと思っている。交差点の差は「叉」でなければ無意味、塚の字もいのこへん(豕)の中に押さえの一筆がなければ本来の塚の意味をなさない。塚とは積み上げた土をたたいて固めたもの、すなはち「墓」のことだという意味が分からなくなってしまう。一説にはこの改変・略はある大手新聞社がやりだしてそのまま普及したという。 戦前の書物にはほとんどがルビを振ってあって(これは江戸期の庶民文化の大きな功績・これには音読という習慣も加勢している)多少字が判らなくとも一応「読める」、そのうち慣れて難しい漢字も苦にならなくなる。 いま 先に言ったようにワープロ全盛なのだから雑誌や大衆読み物にルビを付けるのはそう難しいことではないはず、総ルビ本が復活するのは悪いことではないと思うのだが。
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