これまで接しなかった表現で ちょっと長いけれども書き留めておきたい。
「(前略)日本に来る前、日本における原水爆禁止運動の活発さ、その世界的反響等から考えて、日本ではすでに原爆罹災者は国費によって治療、生活、職業の点で申し分のない手当を受けているものと信じきっていた。われわれの常識、社会的感覚からいって、そうなっているとしか考えられなかったのである。そういう我々はヒロシマで、罹災社の「団地」生活の実情をみたとき、どんなショックをうけたことか、それはとても言葉では申し上げられない。一体、この国には政府というものがあるのだろうかと疑わずにはいられなかった。
しかし、政府も政府だが、国民も国民だ。1回の世界大会にどれだけのカネを使っているか、それを知ることは、私の取材能力では不可能だったが、なまやさしいカネではなさそうだ。それで、参加人員を百分の一にしぼって、百分の九十九を浮かしてもいいし、(中略)十分の一を浮かすだけでもいいかもしれない、そうやって浮かしたカネで、原水協の人々が罹災者のためのセンターを作ってもかなりのことができるはずだ。原水爆禁止運動は慈善事業ではないだろう。しかし 社会医保障という言葉はあってもその実のない社会では、原水爆禁止運動はそういう事もやるべきだと思う。ああいう団地のそばで原水爆禁止世界大会を開く日本人、開かせる日本人――心理が私にはわからない」 ――1960年の世界大会の取材に来たオランダ人記者の感想。
この事態はいまだ変わっていない。
国家的災害、変動への対処に関して この本では 原爆と同じこととして筑豊の炭坑の衰退をとらえている、筑豊は閉山に至るまで、この国家を支えてきた、にもかかわらず
小手先だけの対策だけで、国支えた、国に尽くした、国によって犠牲を強いられた、
という大元に至っていない、木を見て森が見えない(譬が下手ですが)。これはオキナワもだし、フクシマ でも全く変わらぬことを今我々は見ている。
いまだ変わらぬ「日本国家・政府」を国民はナゼ変えようとしないのだろうか?
ブタの様な議員はもとより、霞が関のみならず下々至るまでの悪しき官僚主義・前例主義。
今、戦争をしようと躍起になっている保守層の連中は「民主主義」というものの根幹を判っておらず、「命令一下の天皇支配」(なぜなら「責任」は彼に負わせることができるから)が好都合なのだ。 しかも其「責任」も結局いまだに曖昧なまま。
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