閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

箴言や 諺 沢山あるが・・。

2011-09-14 18:18:14 | 日記
 まず前便の 文言の訂正をしなければいけません。
「日照りに凶作無し」 では無く「日照りに飢饉無し」です。不作・凶作に決まっていて、なおかつ・・。
というところがミソなのに なんでこんなこと間違ったのか
自分でも不思議ですが「間違い」というのは往々にしてこんなもんでしょう。ことに昔だったら
「老人・老域に達し・・。」という齢ですから・・・。 ところで このようなブログでも
 方々の文章でも 古人の言葉、箴言、諺、たとえ、熟語 を頻繁に使い それによって
自分の論を展開していく人が多いが  感心至極 です。よく本を読んでいるなあ と。
 小生は「なんでこうなるの?」という部分に「執着」があります。 この辺のところから
呼んでもらえる 文章を書けるようになりたい。
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まだ 強い日差し

2011-09-09 14:08:16 | 日記
このところ 天気の悪い日が続いていた。 世間ではあまり話題にならなかったが、
小生は大変気にしていた。それは日差し、田畑の作物にとっての「日照不足」を心配していた
からに他ならない。 このところ二日おきくらいに 郊外に出る機会があって田んぼの様子を見ること
が続いたら 見る毎に 緑の勢いが増し、稲も大豆もどんどん元気になってゆくのは うれしい見ものだった。
 今日本では飢饉ということを まず考えなくなったが こんなことはほんの戦後からのことだということを忘れてはいけない。
 水不足はもちろん困るが、それは都市生活に響くから騒動する(特にマスコミが)のであって
「日照りに凶作なし」というのは昔からの言葉であって、本当に怖いのは多雨、即ち「日照不足」による
 生育不足、「青立ち」だということを 都市生活人は知らない。こういう「生産からの(関心の)乖離」が食料自給率を下げ
たも平気な「鈍感人」(経済界、官僚のトップで農家出身は居るまい)が大きな顔をすることになるのだと思う。
 元々百姓志願で 転進のきっかけをつかみそこねて 年を取ってしまった小生は でも関心だけは持ち続けなければと思っている。
 そして 一昨日晴天、9時半から1時半まで「204号」の外作業をしたら、腕も顔も真っ赤。さほど暑いとは感じなかったが
結果は結果。9月といえども日差しは侮れない。
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「読む」のは努力が要ります

2011-09-05 19:37:15 | 日記
本日 約1時間かけて4冊を選ばれた お客様があった。その一冊は戦前の古典全集だったので
思わず「読めますか? これはいい本ですが字が小さくて・・。」 というと「何とか努力します。」とのこと。
 この店でこの叢書が売れたのは一体何年前だろうか。「八犬伝」「滑稽本」「お伽草紙」
等など、読めば面白かろうと思いつつも あまりの字の小ささに頁がめくれない。
 でもこういう本を買ってくださる(他の3冊の脈絡は ?だったが)方が もう少し
 増えてくれることを切に願う。 我が家は新刊書店の売れ残りの処分場ではないのだ。
 このことについては 先で話をする機会があるだろう。
 「歳を取ってから ゆっくり読もうと思っていた」というのは幻想。本を読むというのは
根気、忍耐、努力の要ることです、  このこともまた先で触れる機会があるでしょう。
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秋の風

2011-09-02 13:17:25 | 日記
 数日前の晴天、真っ青、抜けるような青空、決まり文句そのもの。その色は夏空というよりすでに秋か と思ったのだが
 暑さは半端ではない。そして今日は 台風の余波で雲多く 風もある、湿った重たい風で気分のよい物ではない。
 このところ台風が九州に来なくなった。梅雨の様子も含め、全体に夏の配置が200kほど東へ寄ったと感じられるが、専門家の目ではどうなんだろう。 海水温の上昇もあり、九州は台湾のような風土になるのではないか。
 アキアカネはすでに飛んで回っているし虫の声も聞こえる。 風に 秋を感じられるまであと何日かかるかな。
 「近代化遺産」「市街化活性化」その他 上の方ではいろいろやっていらっしゃる、そういう動きがあると 我が店は「桶や」になる。というのは、あちこちの「学識経験者・評論屋・団体の旗振り」といった面々が大牟田を訪れることとなる。ズット以前はこういう人たちの多くは我が店に何か無いかしらと見に来てくださっていた。このごろは大変少なくなったけど それでも幾人かは来てくださる。そうすると普段は誰も見も、さわりもしない本がお嫁に行ってくれるという、大変ありがたいこととなる。ただし(いつものことだが)一緒にくっついてくる大牟田の人達は本を見るどころか、まず店の中に入ろうともしない。 
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