晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

高杉探訪-1 2/27

2017-02-27 | 歴史・民俗

2017.2.27(月)曇り

 2012年10月、三和町菟原中の別所を調査している際に隣村高杉で西山さんというおじいさんに出合い興味深い史跡や伝説を聞いた。最も気になるのは、大師堂の脇に古い坑跡があると言うこと、保井谷にマンガン坑があったと言うこと、村のことを書いた冊子が各戸に配られたと言うことである。(2012.10.27参照)別所が鉄の産地だという柴田弘武氏の仮説に基づいて調査したこともあるが、高杉から友渕、草山温泉に向けての友渕川周辺に金属の匂いを感じていたところに絶好の情報だった。その後この方面を訪れることも無く、これらの情報も確かめる機会が無かったのだが、昨年渡りに船の水道検針のアルバイトが入ってきた。各戸を定期的に回るこの仕事は、その地の地理を知り、地元の方とも自然に話ができるという歴史民俗調査には格好の仕事なのだ。この間地理は憶え、歴史に詳しい人も紹介され、友渕の春日神社では盃状穴も発見した。例の坑跡の位置も聞き出したが現物は発見できていなかったし、かつて配られたという地誌の冊子も見つかっていなかった。そんな中、他の仕事が忙しくなり三和町での仕事が続けられなくなった。高杉も今日で最後という日(24日)坑跡の詳しい位置を聞き出そうとHさんを訪ねる。ところが不在で、やむなく薬師堂周辺の石仏や灯籠などに盃状穴がないものか見て回る。このあたりの石材はチャートの硬いものが多く期待薄の上、以前にも調査して見つけることはできなかったので期待もしていなかった。

高杉の薬師堂、元は藁葺きで趣のあるお堂である。
 薬師堂の南隣にある庚申様の石柱あたりを見ていたときである、半分壊れた手水鉢に盃状穴の跡がある。跡というほど旧いものでほとんどわからないままに穿たれているのだ。全身に悪寒が走り、震えが来るようだ。高杉にあれほど求めていた盃状穴が何度も見たはずの薬師堂に現れたのである。

つづく
【今日のじょん】積雪に埋もれていた景色が蘇ってきた。木々は折れ、芝はモグラに食いちぎられ、ネットや柱は雪の重みに押しつぶされてしまった。はげた塗装や折れ曲がった設備にどうしようかと途方に暮れていたときにお客様がいらした。やるっきゃないね、やるっきゃない。

こゆきちゃん(5
ヶ月)こはるちゃん(1才)西舞から来られました。


コメント
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