2018.8.21(火)晴れ
ふるさとミュージアム丹後(宮津市)で開催されている企画展のタイトルである。26日までの開催なので今日が最後のチャンスなのだ。縄文時代とはどのような時代であったのか、地名や言葉を研究する際にそれを知ることはつとに重要である。今、東京国立博物館で「縄文ー一万年の美の鼓動」展が開かれている。縄文時代の著名な土器や土偶などが一堂に展示されており、縄文文化の美術的な面や縄文人の精神性をうかがうのに最高の機会である。残念ながら東京まで行けないので、宮津に出かけたわけだが、この企画展では縄文期の自然環境、特に気象変動についての視点で縄文文化をとらえており、大変参考となるところが多く有意義な企画であった。
ミュージアム丹後から阿蘇海の景色はお気に入り。
縄文時代の季候と言えばやはり縄文海進である。三内丸山遺跡を訪れた際に、その地がかつて海岸沿いであったと聴いて縄文海進を実感したのであるが、実際に気温や海進の度合いはどのようなものだったのか自分自身定かでない。
1万6千年前から今日までの気温変化の表があり、意外なことがわかる。日本列島における人類の活動は間氷期といわれる温暖な気候に支えられていて、それ以前は現在より10℃ほど気温が低く、海水面は100mも低かったということだ。縄文時代早期では随分気温が低く、当時の遺跡は海底にあるかもしれないということである。さらに超高温と言われる縄文海進時でも現在より3,4℃気温が高く、海水面は4,5m高かったということである。なんだたった4,5℃の差かと思うのだが、それはとても大変なことのようだ。意外なことと言ったのは、グラフで見る限り平均気温は大きなスパンで見ると下降気味だと言うことだ。温室効果ガスによる地球温暖化などという怪しげな論が出てくるまで、多くの気象学者が地球は寒冷化に向かっていると唱えていたのはこの辺りのデータを基にしていたのだろう。
気温変化のグラフ、右端が現在。
ともあれ縄文時代を考えるとき、4,5mの海進があったと想定することは大変重要なことである。ただし縄文時代全般がそうであったわけでなく、早期はずっと寒冷化していたし、中期には現在に近い気温の頃もあったということだ。その都度海面は上下していたことを考慮しなければならない。
こういった気候の変動に伴い、人類の移動があったり、土器の形状が変わったりしていることが今回の企画展でよくわかった。また、水月湖(福井県)の年縞堆積物により気候の変動や地殻の変動など過去7万年の変化が正確に示されることは奇跡的なことであり、炭素同位体年代測定の世界標準に指定されたのは画期的なことである。その博物館が9月に開設されると言うことも嬉しいことだ。
年縞堆積物は地球の年輪、気候変動や地殻変動がよくわかる。
宮津を訪れるに当たって地図を持ってきたのだが、新たな発見があった。このミュージアム丹後の隣に小松というところがあり、また6Kmあまり丹後半島を進んだ日置に小松浜と言うところがあるのを発見した。小松地名は現在研究中で、海岸、河岸にあるだろうと予測している。両方とも訪ねてみたのだが見事に汀線から5~10m高いところに存在している。小松という地名が付いたときには汀線はそこにあったのではないかと秘かに満足しているのである。
小松と小松浜、小松浜から宮津湾を望む。かつてはここが浜だったのだろう。